連載「幸せな方の椅子」 弟2章 幸せなままでいれた日々のこと ①ジューサーのような椅子(起こったこと全てを混ぜ込む椅子)・松山美由紀

まだ若かった頃、お洒落なインテリアが好きだった主人が、「家具は、まずは椅子からなんだよ」と教えてくれました。ここにあるような高価な椅子は買えなかったけれど、結婚して、新居のアパートにこのポスターを貼った時、とっても嬉しかったのを覚えています。
いろんな椅子がありますね。

皆さん、こんにちは。少しご無沙汰してしまって申し訳ありませんでした。ライター塾7期生の松山です!これまで、連載第一回第二回第三回第四回と書かせていただく中でご感想をいただくことも増え、一つ一つを読ませていただく度に、体中から力が抜けるほどホッとしたり、言葉が心にまで届くということが、泣きたくなるほど嬉しくて、ありがたい気持ちでいっぱいになっていました。どのご感想も私にとっては宝物です。本当にありがとうございます。

 

前回の第4回で少し区切りがついたところで、今回からは気持ち新たに第二章に入らせていただければと思います。これからも、お付き合いいただければ、とても嬉しいです。

第二章のはじめに

本当に大きな悲しいことが起こってしまった時というのは、どんなに優しい言葉も、どんなに素敵な言葉も、どんなに好きだった歌の歌詞でさえ・・・
心に届かなくなるかもしれません。
生きていれば、そんな時をきっと私達は何度も知ることになるんじゃないかと思います。
打ちひしがれて、不安の上に立って・・・
一人ぼっちで頑張らないといけない時も来るかもしれない。
足が震えているのに、それでも行かなきゃいけない時もきっと来る。
でも、この先どんなことが待ち受けていたとしても、もしかして、もしかしたら・・・

この「幸せな方の椅子」のカケラが、どなたかの心の中に少しでも残って、優しい力になれたなら・・・。谷底から一歩、足を踏み出す力になれたなら・・・。
そして、私が明太子パスタの友人に、這い上がる勇気をもらえた時のようなことが起こるとすれば・・・。
悲しみから、とんでもなく優しいものが生まれる気がしています。

 

もし、そんなことが起こるというのなら、悲しみは決して無駄にしてはいけない。他の感情と同じように大切にしないといけない。
未来で誰かを笑顔にできるのなら、それが光の道でも、いばらの道でも、私は言葉にすることを、あきらめないでいようと思います。

人生の狭間や隙間で見つけたものを、誠実に書いていこうと思います。
そんな気持ちで連載再始動です。
第二章、出発進行です!

 

家族で大きな手術を乗り越えて、初めて迎えた2011年夏、熊本で遭遇したブレーク寸前だったくまモン!家に帰って息子が書いてくれた絵は、今でもリビングで笑っています

第二章:①ジューサーのような椅子(起こったこと全てを混ぜ込む椅子)

人生はミックスジュース !


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これからも、「私達ってどれだけ強いん??」って笑えるような、大変な時でも、ミックスジュースみたいに、ユーモアをグルグル混ぜ込むような女性になるべく、今日も生きていこうと思います。(2011.7.9)

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2011年の夏のはじまりの頃。主人の最初の大きな手術から4か月。今よりも12歳若い私が、連載第二回のパスタの友人Iさん宛に出したメールです。

実は当時 Iさんと交わしたメールが、なんと、Iさんのパソコンに今も残っていて、連載がはじまった頃にまとめて送ってもらっていました。自分が12年前にこんなことを書いていたことに、実は私自身がものすごく驚きました。最初の木っ端微塵に心が砕けた日から、まだほんの数か月です。
それなのに「大変なこと」に、「ユーモア」を混ぜるなんて言ってる。酸いも甘いも、自分に混ぜ込んで生きていこうとしていて、すでに今の私の原型ができているように見えます。

きっと、この「混ぜる」という感覚が、4か月の経験を通り抜けた先で私が見つけた、生き抜くための「最初の答え」だった気がしています。それは、たとえ深い悲しみが積み重なっていくような時でも、全てを過不足なく自分に混ぜ込んだ方が、前へ進めるかもしれないということでした。

悲しいことや困難に出くわした時、人はどうして、それらから目をそむけたり、否定したり、消してしまいたいと思うのかというと、きっとそれは、その現実を自分の中に受け入れてしまったら、心の中の大切な部分が壊されてしまうような気持ちになるからではないでしょうか。

でも、すでに自分の人生に起こってしまっている現実を否定するということは、自分の人生そのものまで否定してしまうことにもなりかねなくて、一気に心が、水の上を歩くように不安定になります。

「こんなの私の人生じゃない」と思うと、人は多分もう、苦しくて前に進めない。何かを否定するエネルギーというのはものすごく強くて、前へ進む力をどうしようもなく奪っていきます。
だからそんな時は、「そっか、これが私の人生なんだ」と、まずはフラットな心で、ただ丸ごと認めてあげることが大事だった気がしています。自分だけでも自分の人生を分かってあげる。大切な人の苦しみを分かってあげたいと思う時と同じように。

私の場合は、そんな風にいったん少し自分から離れて、客観的に静かな心で、自分に起こっている現実を理解してからの方が、前へ進むことができました。
同時に、幸せも共存させるという強い意志をもつことが何よりも必要でした。

そして、幸せな方の椅子に座る。

もちろん、全てを呑み込む時というのは、ものすごくきつい。私も鉛を呑み込むとはこういうことなのかと思った日が数えきれないほどありました。でも不思議なんですよね。いざ呑み込んだら、人生が少しずつ進み出す。まるで止まってしまっていた時計の針が、「カチっ」と音をたてて再び進み出す瞬間のように。

だから私は、全てをなくさないように生きていきたいなと思います。悲しかったことも幸せなことも、嬉しかったことも後悔も、そして悔しさも・・・
自分から生まれた大切な感情だと思って平等に大切にしたいと思います。

そうすれば、いつかきっと、悲しかったことも優しさに変わると信じて。

それが自分の人生を、丸ごと大切にすることだと信じて。

人生をミックスジュースに例えたら?

人生をミックスジュースに例えるとしたら、皆さんのジュースは、どんなジュースですか?これまでの経験や感情が全て混ぜ込まれているジュースだとしたら?!
色はどんな色でしょう?形状はサラサラでしょうか?それとも、ドロッドロでしょうか?
味はどうでしょう?苦いかな?甘いかな?ひょっとして「まずーーーい!」って叫ぶような味? 

そんな風に様々なジュースがあると思うのですが、今がどんなジュースにせよ!
なんていったって、これからいろんなことが混ざる一方のジュース。

多分、いろーんなものが混ざれば混ざるほど、他にはない自分だけのオリジナルな味になるはずですよね。
いつか、熟成してまろやかな味わいになるかもしれないし、爽やかで幸福な匂いのするジュースになるかもしれない。

ひょっとしたら、エナジードリンクなんかよりもずーっと元気の出るスペシャルドリンクになってたりして!
そう思って、私も、今日も明日も明後日も・・・とりあえずグルグルグルグル混ぜ込みます。
穴に入りたくなるぐらい恥ずかしかったことも、あちゃーっと思うような大失敗でさえ!自分に混ぜ込んで生きてみようと思います。

それは本当はちょっぴり辛い時もあるんですけれどね。

でも、その方が実は心は壊れたままにならないと知ってしまったから。
むしろ心は強くなると知ってしまったから。そして何よりも、受け入れた後の方が、自分や大切な人に、うんと優しくなれたから。

そんな風に、優しさが広がるようなジュースができた時は、近くの人にも遠くの人にも、差し出せるような人になりたいなと思います。



次回は、主人の最初の大きな手術を乗り越えた頃に見つけたある椅子のことをお話しようと思っています。この椅子は、今でも私が度々頼ってしまう心強い椅子の一つで、「幸せな方の椅子」の真髄のような椅子だったなと思っています。この椅子を見つけた日も、私の自分史にクッキリ刻まれているので!その日のお話を、うまくご紹介できたらいいなと思っています。どうぞお楽しみに♪


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