主人が大切にしていたgibsonのギター。つい最近、息子が引っ張り出してきました。どうやら久しぶりに、また弾きたいようです。
みなさん、こんにちは。ライター塾7期生の松山です。
前回の第一回目 では、私達が「病気になったけれど、幸せなままでいようね」と約束した頃までのお話をさせていただきました。
今回は、私がはじめて幸せな椅子を見つけることになった日のお話です。
今この時、いろんな場所で、いろんな想いを抱えながら頑張っている方へ・・・
どんなときでも、「幸せはあるのかもしれない」と、心がやさしくなれたり、強くなれたり・・・そんなことが起こればいいなと福岡の片隅で願っています。
きっかけは友人の言葉
幸せな方の椅子へ座ることは、結論から言えば、そんなに難しいことではないはずなのです。
だって、誰だって、不幸な方になんて座りたくないでしょう?
でも、実際にはこれが、なかなかどうして難しい。
私も、主人がどうやら悪い病気かもしれないと分かりはじめた頃は・・・
家族の前では、お陽さまのようなお母さんでいれても、1人になるとてんでダメでした。
朝起きて5秒後には、心が不安でいっぱい・・そんな日々。
「なんで、こんなことになったのかな?」
(私達、何か悪いことした?)
「私が一番そばにいたのに、なんで気づいてあげれなかったんだろう?」
(私、パパの心電図がおかしいことは知ってたのに。)
「パパの仕事はどうなる?これから我が家はどうなる? 」
(震えてしまうぐらい悪いことしか頭に浮かばない)
「なんでパパなの?あんなにいい人がどうして?」
(道ゆく人とすれ違うだけで、そんな風に思ってしまう。)
「いつもニコニコ大魔王みたいな息子ちんはどうなる?」
(息子の笑顔が可愛ければ可愛いほど胸が苦しくなる)
今なら、「そんなことないよ。」って、言ってあげられるけれど、
当時は少しでも気を抜くと、悲しみというよりは、未来に対する「恐怖」で一歩も動けなくなりそうでした。
例えて言うならば、私は、漁師さんの網にひっかかった魚のようでした。
何が起こったかも、よくわからなくて、ただただ怖くて、海に戻りたいのに戻れない、
網の中で不安に絡みとられて、バタバタ頑張ってはいるけれど、希望は見えず、どんどん弱っていく・・・そんな魚でした。
そんな、我が家の非常事態だった頃に、なぜかふっと、友達にメールを出してみました。
「久しぶり。元気?」と、主人のことなどは、おくびにもださずに。
なのに、そのメールを読んだ友人は、
「あ、みゆさん(私)に何かあったのかも・・・」と直感でわかったそうです。
彼女の返信は「うちに来ない?」というものでした。
行くかどうか迷いながらも、フラフラな状態で彼女の家におじゃました日。
その日が、私が最初の幸せな方の椅子を見つける日となりました。
彼女の家に到着するや否や、私は、誰にも言えなかったことを、話すことができました。
「食欲がなくて、ここ数日ろくに食べてない」
「私が強くならないといけないのはわかってる。でも、とても強くなんてなれない。」
「しっかりせないけんけど、どうしてもできない。」
すると友人は、何を思ったのか、明太子のパスタをちゃっちゃと作ってくれました。
私は、「うわあ、今は食べれないなあ」と思いながら、おそるおそる一口・・・。
そうしたら、頭で考える前に、涙がポロポロポロポロ・・・。そのバスタが本当に美味しくて。
涙と鼻水でグチャグチャになりながらパスタを頬張る私に、友人がかけてくれた言葉が、私達家族の未来を変えてくれることになります。
「みゆさん(私)だけが、しっかりせなって思わなくてもいいよ」
「できることを できる人が できる時に やればいい」
「強くなろうなんて思わなくてもいいよ。」
「こんな試練たえられないと思ったら、神様に『ごめんなさーい!こんなん、私、耐えられませーん!』って叫んで、その日は頑張らんでいい。」 (当時の日記より)
特に、
「できることを できる人が できる時に やればいい」「『こんなん、私、耐えられませーん』って思ったら、その日は頑張らなくていい。」
この言葉が、当時の私にとっては、本当に目から鱗でした。
そして、この友人の言葉が、まるで*バタフライ効果のように私の心のエネルギーが向かう矛先を、劇的に変えてくれることに繋がっていきます。
*バタフライ効果:ほんの些細な事が、とても大きな変化の引き金になること
どうにもならないことに背を向けて
「できることをやればいいんだ・・・」
そう思った瞬間、私は、「自分ができること」を探し始めていました。
そして、自分が囚われていたもののほとんどが、「考えてもどうにもならないこと」だったことに気づきます。
「自分ができること」と「どうにもならないこと」
この2つを見極めることが、幸せな方の椅子を見つける際に、とっても大切なのではないかと思います。
「どうにもならないこと」で、心が苦しいのなら、体中の勇気をかき集めてでも、それに見切りをつけて、背を向けた方がいい。
そして、それは大変な時であればあるほど、一刻も早い方がいいように思います。
なぜなら、網に引っかかった魚のままでは、とてもではないけれど、心も体も、もたないから。
そこに囚われていても事態が良くなることはないから。
そうやって見切りをつけてから、改めて未来を考えはじめると、自分の手に人生の舵が戻ってきます。
舵さえしっかり握っていれば、未来は自分が決心した分だけ変えられる。急旋回だってできます。
あの日、私は、友人のおかげで、心のエンジンを逆噴射させるかのように、
自分の「不安」や「後悔」に背を向けることができました。
そして、背を向けて踵を返した瞬間、まるで体中の血液が逆流するかのように、
頭も心も逆方向に回りはじめていました。
「パパと息子のために、私が今できることは?・・・・・すべきことは何?」
「大丈夫、きっと私達は幸せなままでいられる。ううん、絶対私がパパと息子を幸せなままにする!」
人は大切な人を想って動く時、普段全く使っていないような力がムクムクと急に湧き上がってくる時があります。
それは火事場のバカ力のような力かもしれません。
心がまるでブルドーザーでぺっちゃんこにされたようになってしまって、
その上、網にひっかかった魚のようにバタバタ苦しかった私にも、そんな力がまだ残っていたようでした。
友人がいなかったら、私はどうなっていたんだろうと今でも思います。
彼女は間違いなく我が家のかけがえのない恩人でした。
そんな友人宅からの帰路、私は車を運転しながら、
初めての幸せな方の椅子を思いつくことになりました。(第3回へつづく)
小学生だった息子が学校で書いた絵。
主人は自分の生きる意味をいつも見出そうとしていたから・・・亡くなるその日まで、ずっと何年もこの絵が主人の携帯の待ち受けでした。
主人は、人の為に自分を犠牲にしてでも動くことのできる、本当の意味で強くて優しい人でした。
自分の悔しさや辛さは、ゴミ箱に投げ捨てるようにして、息子と私の幸せだけを考えてくれた人。
私と息子の記憶の中に沢山のものを「遺す」ことを、彼の「生きる意味」にしてくれた人でした。
主人が命がけで遺してくれたものに、私と息子は今も守られている気がします。パパ、本当にありがとう。
最後にちょっとご紹介
今日のお話と重なる、私が大切にしている一節があります。実は、主人が発病した11年前よりも、その1年半後に再発してからの方がずっと、私達はいろんな決断や難しい選択を迫られました。その度に、あの日のことを思い出したり、この一節をそっと唱えて、前に進んできました。特に最後の「区別する賢さ」は、とても難しいけれど、決してあきらめることなく、永遠に自分に問い続ける人でありたいと思います。
God, give us grace to accept with serenity
the things that cannot be changed,
Courage to change the things
which should be changed,
and the Wisdom to distinguish
the one from the other.
神よ、変えることのできないものを 静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと 変えるべきものを 区別する賢さを 与えてください。
「二ーバーの祈り」 byラインホールド・ニーバー
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
次回の第3回目は、いよいよ、私の「初めての幸せな方の椅子」のお話です。
些細な閃きから見つけた椅子でしたが、私の心にやさしさを取り戻してくれたり、
大切なことを教えてくれた椅子でした。
そのお話の後に、「幸せな方の椅子への座り方のコツ」も、まとめてお伝えする予定にしています。
本当は、第二回でそこまでお話したかったのですがごめんなさい。
とっても長くなってしまいそうなので、今日はこの辺で。
次回もお楽しみに♪
小さかった息子が「お庭にいっぱい四葉のクローバーがあるよ〜」と、摘んできてくれたもの。目を凝らせば、いつだって、幸せは隠れんぼしてるのかもしれませんね。