幸せな方の椅子 第3回 はじめての椅子 松山美由紀


パパが植えてくれたシマトネリコが、今日も穏やかにゆらゆらと揺れています。

 

皆さん、こんにちは。ライター塾7期生の松山です。すっかり秋めいてきましたが、いかがお過ごしでしょうか?
少し時間があいてしまって申し訳ありませんでした。
今回は、前回のお話の続きとなります。私が選んだ「はじめての椅子」のお話です。

人生には、びっくりするような悪いことが起こることがありますが・・。
その時に、どれだけ自分らしさを保てるか・・・取り戻せるか・・・
そして、隠されている「救い」に気づけるか・・・
そこに人生の鍵があるような気がしています。

「不幸なこと」が降りかかったとしても、大切なことに気づきながら、
振り絞るように一歩を踏み出して見上げた空が、どうしてあんなにも美しく見えたのか・・・
その答えを「言葉」にしたくて、私は書いている気がします。

今回も、お時間許せば、おつきあいいただければ幸いです。

  私のはじめての椅子:「マリア様作戦」

前回のお話で、私に明太子パスタを作ってくれた友人宅からの帰路のことでした。
私は、朝までは死んだ魚の目のようだったのに、すっかり正気を取り戻して、
小さなことでもいい、自分ができることを探してみようと思いながら、運転していました。
「そうだ、パパが入院したら・・・」
私はそんな未来のことを考え始めていました。
そして、その時私はなぜか自然と2つのストーリーを頭に思い浮かべていました。

_________________

ストーリーその①
私は、心配そうにパパの病室に入っていく。悲しみや不安をどうしても隠せなくて、そのままパパの前に立つ。
それを見たパパの目も不安そうになる。
会話は進みそうにない。(私が今のまま、気持ちを切り替えられなければ、多分こちらになる)

ストーリーその②
(病室の前で深呼吸してから)女優さんのように「ぱん!」っと変身して、
「調子はどう〜?」と、パパの前に爽やかに登場する(できれば、やさしいマリア様のような笑顔で!)。
パパの目は少し弾かれたようになるけれど、すぐに笑顔になる。
「まあまあかな?暇だけどね」なんて少し照れたように言う。(部屋の空気がぱっと明るくなる。)

さあ、どっちにする?

________________

実は、そんな妄想のような空想から生まれたのが、私のはじめての幸せな方の椅子でした。
私は「②」のマリア様になる方を選ぼうと決めました。
その時の私には、②の方が幸せな未来に思えたから。


同じ場面でも、「幸せな方の椅子」は人によって全く違う。
例えば、その人らしい優しさの出し方一つとっても、人それぞれ違うはずです。
大切なのは、心を交わす相手の気持ちを沢山考えながら、自分にできそうなことを「探しはじめること」。
他の人と一緒の椅子である必要はないし、世間一般で言うところの「ポジティブ」なものである必要もありません。


私のこの椅子も、あくまで「妄想」なので、うまくいくかどうかもわからない。
主人に「なんで俺はこんなに不安なのに、お前だけそんなに元気なんだよ〜」って
思われる可能性だって大いにあるから、
ある意味、実験みたいなものです。
でも多分、あの時の私には、この作戦が成功するかどうかよりも、
自分にもできそうなことを見つけることの方が大切だったんだと思います。


「そっか!これからもずっと、私はこうやって少しずつ幸せな方を選んでいけばいい。」

そう思えた時に、自然と自分のおなかの中に、優しい「生きる力」が湧いてくる感触がありました。

「幸せな方を選ぶ人生にする」

これさえ見失わなければもう迷子にならない。
そんな私だけの北極星みたいなものを、あの日、私は幸せな方の椅子から、もらえたのかもしれません。

そして、その後11年たった今でも、その星はいつも、私の心を輝らし続けています。


2001年 大分の湯布院でプロポーズされた日に、2人で買ったカップと、
2014年 愛媛の病院で治験を受けた時に、道後温泉のお庭で、家族3人でひろったドングリ。
どちらも大切な宝物です。
              

「マリア様作戦」がくれた「幸せ」と「救い」

それからほどなく、主人は手術の為の入院生活へ。
11年前のその入院は、とても大きな手術の入院で、
何度も自分の心臓の音が大きく波打つのが聞こえるぐらい、戸惑うことばかりでした。
それでも私はマリア様作戦を遂行しながら、入院期間中のあらゆる場面で、
キョロキョロ幸せな椅子を探すようになっていきました。

もちろん失敗もありましたが、そんな時は、次の一手をすぐに探します。

「それなら・・・こっちの方が幸せかな?」「いやいや、パパにとっては・・・こっちかな!?」
「私にとってはどっち?」「息子ちんにとってはどっちよ~?」


そんな風に考え続けて、行動し続けたら・・・なんと!
退院する頃には・・・私達はすっかり、「しあわせ色」の家族になっていました。

互いに互いを想い、必要とし、励まし合いながら、未来へ進もうとしたあの入院生活は、
どこを切り取っても愛に溢れていました。
まるで、第二の新婚旅行のようだったとさえ思えるから不思議です。

今でも、入院中の主人の幸せそうな笑顔を思い出す度に、私は少し救われます。

「みゆ(私)がおったら、なーんか大丈夫な気がするけ不思議やねぇ。もうちょっとおれる?」

手術の後、訳がわからないほど無数のチューブにごっそりつながれているというのに、
世界一幸せそうに笑った主人の顔は、今でも、私だけが知っている、私だけの宝物です。

家で待つ息子を安心させる為に撮った写真。手術の後、顔も体もベイマックスのように腫れあがったパパと、マリア様作戦を真面目に遂行中の私です。

 


心を100%病気に独占させてはいけないということ


私の場合は、ささやかな選択の積み重ねでも、未来が変わりはじめることに気づいた時に、
心に詰まっていた何かが静かに流れ出して、未来への扉がそっと開きはじめた気がしました。


主人の闘病期間を通して分かったことは・・・・

決して「心を100%病気に独占させてはいけない」ということでもありました。

必ず、他のものが入れるスペースをあけておかないと、心がとてもではないけれど、もたないからです。
(これは、病気だけではなくて、他のことにも言えるかもしれませんね。)


あの頃、病気のことだけでパンパンになっていた私の心に、いろんなものが混ざり始めたのは、
多分、幸せな方の椅子の力を借りることで、
心の中に「やさしいものが溶け込めるスペース」が空いたからでした。

心にやさしいものが溶け込むと、気持ちがぐんと柔らかくなります。
まわりの人達の温もりに気づくことができたり、
どんどん小さな幸せに気づけたり・・・・・心が少しまろやかになる。

何より、やさしさを心にとり戻せた時、私自身が苦しみからずいぶんと救われていました。

そしていつのまにか、私達にとって、「病=死」ではなく、「病=生きる」になっていたのでした。

(次回へつづく)

 


腫瘍をはがすだけでも6時間。大静脈も人工のものに置き換えたりの大手術だったこともあり、
術後もなかなかどうして大変でした。息子をなかなかお見舞いに連れていけなかったので、
「息子の代わりにパパを守ってね」と、このライオンのぬいぐるみ(右)を病室にずっと飾っていました。
今は、パパライオンと一緒に、我が家のリビングの一等席で、私と息子を見守ってくれています。



 ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

次回は・・・・

ここまで我が家のとっても大変だった時のことを書いてきましたが・・・
実は!「幸せな方の椅子」は、大きすぎる困難な時だけでは決してなくて、日常のあらゆる場面で役に立ちます。

なので、次回はちょっと我が家のことからは離れて、
幸せな方の椅子に座る時の注意事項などをお伝えできればと思っています。

お楽しみに♪

主人は息子を見つめて、息子は私を見て、私は二人をカメラ越しに覗いてる。
なぜか大好きな写真です。













 


特集・連載一覧へ