この「外の音、内の香」が、私だけのものではなく、
色々な人があちこちで、 見つけてきたことを持ち寄る「場」になればいいなあと
作ったコンテンツ「ライターズマルシェ」。
新しいメンバーは、ライター塾サロンのメンバー、松山美由紀さんです。
ライター塾サロンでは、みんながいろんな暮らしの中の小さなできごとや、お仕事報告などを
綴り、その文章について、またみんながコメントする、という方法で
「書く」ということを軸に、コミュニケーションを続けています。
その中から、シリーズでまとまったものを、こちらの「ライターズマルシェ」で
みなさんにもご紹介することになりました。
実は松山さんのことは、この「外の音、内の香」でも、以前少し綴らせていただきました。
今は地域の基幹病院で、お医者様の秘書を務めながら、日本癌治療学会の癌ネットワークシニアナビゲーター
としても活動されています。
ご主人の長い闘病生活に寄り添い、昨年見送られたばかり……。
その松山さんが教えてくださったのが「幸せな方の椅子に座る」という言葉でした。
この言葉を聞いたときの衝撃と言ったら……。
つらい日々を過ごされている中で語られたからこその言葉の力に、涙が溢れました。
そんな松山さんが、今息子さんとふたりで暮らしながら、少しずつ「幸せな方の椅子に座る」というテーマで、
文章を綴ってくださっています。
それを、ぜひみなさんにも読んでいただきたいと思います。
悲しいことがあった日でも、苦しみの中でも、「幸せじゃない方」の椅子に座るか、
「幸せな方の椅子」に座るかは、
自分で選ぶことができる……。
ぜひ、ゆっくり、じっくり味わってみてくださいませ。
【連載】 幸せな方の椅子
第一回:「どんなときも」目の前に二つの椅子が置かれているとしたら?
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この二人さえいれば何があっても大丈夫。いつも、そう思っていました。
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「幸せな方の椅子」
たとえば、心が負のものでゆさぶられている時
悲しみや痛みで身動きが全くとれず、息をするのも苦しいような時でさえ
いったん、心をしーんとなるまで止めてみる
どんなときでも、目の前に「幸せな方の椅子」と「幸せじゃない方の椅子」が置かれているとしたら?
さあ、あなたは どちらに座る?
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皆様、はじめまして。一田憲子さんのライター塾7期生の松山美由紀と申します。
九州は福岡の山と水が綺麗な田舎町に住んでいます。高校を卒業したばかりの一人息子と、
お空で見守ってくれている優しい主人がいます。
昨年の4月からは、塾生が入会できるサロンにも参加させていただき、
一田さんはじめ優しくてゆかいな仲間達と共に、日常的に「書くこと」を楽しませていただいています。
この連載 「幸せな方の椅子」では、そんな私が、主人が大きな病を発病してからも、
幸せなままでいようとした10年余りをふり返りながら、
人生の深い深い底で見つけたことについて書かせていただこうと思います。
人は幸せになるために生まれてきたんだと思いたいから・・・
どうか皆さんが、自分だけの幸せな椅子を、何度でも何度でも見つけることができますように。
どんなに悲しみや痛みが体中からこぼれそうだったとしても・・・
その先で、自分だけの未来や幸せに、手をのばせますように・・・
私が幸せな方の椅子に座ろうとするまでのお話
ー「幸せなままでいようよ」という約束 ー
家にいる時は、いつもパパにくっついて離れず、完全にパパっ子だった息子です。二人は本当に可能な限り、いつも一緒だったね。
今からちょうど11年前のことになります。東日本大震災のあった年のことでした。
私は、高校時代からつきあい続けて、結婚した主人と、小学1年生の息子と、ささやかながらも幸せな毎日をすごしていました。主人の惚れ込んだ建築家さんと、長い時間をかけて家を建ててまだ数年。息子はひよこのように、ほよほよ可愛い盛りでした。本当に絵に描いたような幸せの真っ只中にいたような気がします。
そんな日々がずっと続くといいなと思っていた頃・・・
何の前触れもなく、主人がとても大きな病を患っていることがわかりました。
誰かに「どうして?」と質問したとしても、その答えはどこにもなくて、自分たちがどんなに頑張っても、避けようもなく襲ってきた出来事でした。病気はすでにかなり進んでいて、当時は1,2年後の未来も想像できないような状態。腫瘍が胸の中に播種を起こしていて、病期はステージ4でした。とても稀な腫瘍で、まだ治療法も確立されていませんでした。
例えて言うならば、幸せな色に染まっている世界から、真っ暗な世界へグィっと手をひっぱられて、引きずり込まれていく感じ。目に映る世界全てがグラっと傾いて、歪むようだったのを覚えています。それまでの人生でも、「これは困った」ということに出くわしたことは何度もあったけれど、全くもって次元の違う出来事。私は心が折れるというよりは、心がブルドーザーで木っ端みじんになるまで潰されて、心の中の大切な芯のようなものが、理不尽に握り潰されたような状態になってしまいました。
ただ、そんな鉛を飲み込まされたような苦しみの中でも、愛する家族の為になんでもいい、どんなに小さくてもいい、何か望みを探す・・・ その想いからのみ成り立つ自分が、かすかに残っていたんですね。暗闇から這い上がれるかなんて、全くわからない中でしたが、絞り出すように主人と約束した言葉があります。
「病気になったけど、しあわせなままでいようよ。」
本当は病気に対してこれ以外に、その時の私が言える言葉はなくて、どうしようもないことに対する、強烈な焦燥感から生まれた、祈りのような約束でした。
この連載を書かせていただくにあたり、過去の自分の日記を読み返してみたけれど・・・・病気になる前の手帳には、病気とは無縁の毎日の中で、ただただ小さな幸せを見つけては、握りしめている私がいました。きっと私は、その握りしめていたものを守りたかっただけでした。主人と息子と私・・・・・いつもニコニコ仲良しで、可能な限り一緒にいたから・・・
私達だけの幸せの芯のようなものを守りたかったんだと思います。
2011年春、主人が12時間もの大きな手術をして退院した頃、息子くんが書いてくれた絵。
幸せな椅子に座るということ ー未来を選んで「今」を変えるー
私達家族が幸せなままでいるためには、まずはなんとしてでも、息子の笑顔を守らないといけなかった。そして、パパも元気にしないといけなかった。私が泣いている場合じゃなかった。
でもどうしたらいい?私がしっかりしなきゃいけないのはわかってる、でも・・・・・・・どうしたら???
その問いへの私なりの答えが、「幸せな方の椅子に座る」という考え方でした。
我が家の幸せを守る為に、そして一度粉々になった私の心を再構築する為に必要だった「生きる術」のようなものです。
人は、毎瞬毎瞬、無意識にいろんな選択をしているんだと思います。でも、何かとても大変な状況に置かれてしまった時、人はどうしても弱くなり、何かに行く手を塞がれたかのように感じてしまう。そして、未来をもう自分では選択できないように思います。でも、それは錯覚で、少なくとも、少しでも良い方向へ舵を切ることはできるはず。自分の人生の舵を、自分が置かれた状況に委ねずに、自分でしっかりと握りなおして、少しでも幸せな方の未来を目指す。
それが、「幸せな方の椅子に座る=幸せな方の未来を選ぶ」ということ。
どうして、「椅子」をイメージするのかというと、心が大変なことで100%占拠されているような時でも、とりあえず目の前に用意されている椅子に座るだけなら、なんとかできそうな気がしませんか。とりあえず座ってみようと、心に決めるだけで十分。心のベクトルが変われば、自然と未来が変わり始めるから。そして、未来を選ぶと、「今」が変わりはじめる。
もちろん、この10年余り、私達家族にも何度も何度も、綺麗事では片づけることのできない出来事が襲ってきていたし、「神様、どうにかしてください・・・お願いだから・・・」と、空を見上げて、溢れる涙をどうしても止めることのできなかった日もあります。それでも、この椅子のおかげで、私達家族は、何度でも明るい方の世界に戻り、やさしい時間をたくさん取り戻すことができました。そして、「生きてさえいれば、必ず幸せは降り積もる」ということも知りました。主人が亡くなってからもなお、幸せは、私と息子に今も降り積もり続けています。
そして、未来へ手を伸ばし続けた主人は、ステージ4から10年7カ月という、まさに奇跡のような日々を生き抜きました。ありふれた毎日であっても、私達にとっての10年間は、なにもかもが「ありふれた奇跡」のような毎日でした。それはこの椅子のおかげだったのかもしれません。
この連載を通して、そんな椅子のことを、書いていけたらと思っています。
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子育て世代であった私達夫婦が、命に関わる病に直面した時、恐らく病気のことと同じぐらい、子供の「今」と「未来」を主人の病気の影響から守れるかがとても心配でした。当時から我が家の「幸せの芯」のようだった息子です。私は何よりも彼の楽しい毎日を守りたかった・・・・。だけど、10年以上たって思うのは、彼がいたから、私も主人も強くなれたし、優しくもなれた。果敢にも病へ立ち向かえた。守るつもりだったけれど、守ってくれてたのは、彼だったのかな。
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自分や大切な人の未来の為に、幸せな方の椅子を想像することができれば、どんなに悲しい時でも、やさしさを取り戻せたり、待ち構えている未来へ飛び込む勇気をもらえたりします。
次回はそんな椅子の具体的なお話ができればと思っています。11年前に私の未来の扉を開いてくれた、はじめての椅子のお話や、椅子の見つけ方、座る時のコツなどもお話できたらと思っています。
お楽しみに♪