【わたしのサードプレイスの見つけ方】〜「断る」ことは大切なものを「選ぶ」こと〜木山理絵

この連載「わたしのサードプレイスの見つけ方」は、今いる場所ではない、もうひとつの場所=サードプレイスを見つけて、扉の開け方を紐解くお話です。

今いる場所に大きな不満はないけれど息苦しさを感じている人や、ひとりでがんばりすぎて苦しくなっている人にとって、自分の居場所を見つけるヒントになりますように。

 


こんにちは!ライフコーチのきやまりえです。

前回は、ストレスを感じた時の「自分の心と体の声を大切にする処方箋」コーピングリストについて書きました。

年度末が見えてきたこの時期
「やらなきゃ」「やるべき」で、いっぱいいっぱいになっている方はいませんか?

今日は、「断る」ことについて書いてみようと思います。


教員時代の「断れなかった私」



教員時代、私は断ることがとても苦手でした。


仕事で「◯◯できる?」「◯◯をお願いしたい」と言われたことに対して「できません」と断ることはタブーだと思っていたんです。


初めてのことでも、苦手なことでも、本当は時間や気持ちの余裕が全くなくても、仕事なんだから絶対にやるべき、やらなければいけない。私が断ると別の誰かに負担がかかる。


子どもが生まれてママ先生として働くようになってからは、子どもの体調不良で休んだり、お迎えのために早く帰らなければならない自分に、迷惑をかけている、教員として役に立てていないんじゃないか…と負い目を感じていました。

その負い目が、さらに断れない自分を作っていったんです。


支援級を受け持っていたとき、4月にどの学年を誰が受け持つか話し合いがありました。



どの学年になっても喜んで担任したい。
ただ、高学年を受け持つということは、
修学旅行や林間学校などの宿泊を伴う校外学習の引率をするということです。



当時は子どもがまだ小さく、夫は会社員なので平日に2〜3日連続して休みをとることは難しい。両家の両親は県外で気軽に頼ることはできない。
もし校外学習のタイミングで子どもが体調不良になった場合、どうしたらいいんだろう…



色々な自分の状況を考えると、本音は高学年を断りたかったです。
でもそれってわがままかな…みんな言わないだけでそれぞれ事情がある。仕事だからと頑張っている。そう思うとなかなか言葉にできませんでした。



そしたら、同じく小さな子どもを持つ同僚がさっと手をあげ「わたしは高学年はできません」と発言したんです。


その年、支援級の担任になった教員は6〜7人いたけれど、女性は主任とわたしと発言した同僚3人のみ。高学年の宿泊を伴う引率は、お風呂やトイレの支援もあるので必ず女性が一人は必要です。


主任はいつも、いろんな場面で大変な仕事をさらっと引き受けてくださる方でした。わたしが断れば、また主任に負担がかかることになる。さっき発言した先生も、きっと同じことを考えながらも、勇気を振り絞って先に断ったはず。


今更「できません」と言うことはできない。言葉にできなかったのは自分、どうにかしてやるしかない…いい先生でいなければならない、頼りになる人でいなければならない。だって迷惑をかけているんだから。


この頃は、この思い込みが自分で自分を苦しめていることに全く気がついていませんでした。

 

 

2年前の苦渋の決断


2023年8月、一田さんの企画『私を見つけてプロジェクト』に申し込み、
インタビュー記事を掲載していただきました。

記事の中で、季節ごとに開催していたオンラインコミュニティ『ごきげん朝会』についても紹介していただき「次は11月ごろにやります」と言っていたんです。

ところが、当時癌で闘病中だった父の具合が急激に悪くなりました。今もし開催したとしても、途中で何があるかわからない。開催できなくなるかもしれない。

その頃、クライアントさんや一田さんの記事で私を見つけてくださったフォロワーさんから

「次のごきげん朝会楽しみにしています!」
「前回は参加できなかったから、次こそ参加したいです」

と続々とメッセージをいただいていました。

楽しみにしてくれている人がいる。一田さんの記事でも紹介してもらったのに、約束を果たせない。
すごく悩みました。本当に悩みました。

仕事で一度やると発表したことなんだからやらなきゃいけない、期待に応えたいという思いと、父と過ごす時間を大切にしたいという気持ちが、激しくぶつかり合いました。

何日も何日も考えて、ごきげん朝会を開催しない決断をしました。

「楽しみにしてくれていた方たちに申し訳ない。」
「記事に書いてくださった一田さんにも申し訳ない。」
「約束を守らなかったら、嫌われてしまうんじゃないか」

怖さや不安がぐるぐると渦巻いて押しつぶされそうだったけど、「本当にごめんなさい」と震える指でインスタグラムの投稿ボタンを押したことを、今でもはっきりと覚えています。


自分も家族も全力で大切にしながら、暮らし働き生きる

この経験は、家族と過ごせる残り時間や自分のこれからの働き方、生き方に改めて向き合うきっかけとなりました。


それまで週6でやっていたオンラインセッションの日を週3日にしぼり、自由に動ける日を確保しました。モバイルWi-Fiをレンタルし、長崎の実家でのセッションにも挑戦。


クライアントさんにもご理解いただき実家でも問題なくできたことで、いつでもどこでも仕事ができるし、父に会いたい時に会いに行けると安心することができました。


仕事に集中する日
家族と過ごす日
自分のための日


父の病気はとても悲しい出来事だったけれど、自分の優先順位や時間の使い方がとても明確になりました。

自分も家族も全力で大切にしながら暮らし働き生きる、
という独立する時の一番の願いを叶えることができたんです。


自分の願いを叶えることができたのは、それまで数回開催していたごきげん朝会の中で、参加者の方々にその時感じている気持ちを正直に、そのまま言葉にすることを続けていたことがとても大きかったと思います。


苦しい時や悲しい時、胸の内を話すことや、時に人前で涙を流すことは「弱い自分を見せてはいけない」「我慢しなければならない」という固定概念で、物心ついた時からずっと自分に対して禁じていたことでした。


ごきげん朝会の参加者のみなさんと一緒につくった安心安全の場は、私にとっても大切な居場所だと言うことに改めて気がつくことができました。

クライアントさんからの言葉

「ごきげん朝会2023冬をお休みします」という投稿に、しばらく経って一通のコメントをいただきました。

一田さんの記事で私を見つけ、
過去のごきげん朝会に続けて参加してくださった60代のクライアントさんからでした。

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「りえさんの決断に👏
 大切にしたいのは柔らかな気持ち。
 そのために手放したいのは、思い込み。
 今年一番影響を受けたのはりえさんです💗」

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このコメントを見たのは外出先でした。
うれしくてありがたくて、人目も憚らず涙が止まらなくなりました。

「私の決断は間違っていなかったんだ」
そう思えた瞬間でした。

「断る」ことは、大切なもの「選ぶ」こと

過去の私は、断ることは誰かの期待を裏切ったりがっかりさせることだと思いこんでいました。

でも、無理をして期待に応えることは、本当に相手が喜んでくれることでしょうか?

クライアントさんの言葉が教えてくれました。
「断る」ことは、大切なものを「選ぶ」ということ。自分にも相手にも誠実であること。

思い込みを手放したら、本当に大切なものが見えてくる。そう気づいたんです。

 

「いい人でいなきゃ」
「期待に応えなきゃ」
「迷惑かけちゃいけない」


そんな思い込みで、断れずに自分を苦しめていませんか?
時には誰かではなく、自分自身の柔らかな気持ちを大切に選択できますように。



まとめ

・「断る」は「選ぶ」こと

・本当に大切にしたいものを大切にするために、そうでないものを手放す勇気

・「やらなきゃいけない」という思い込みが、自分を苦しめていることもある

・断ることは、自分にも相手にも誠実であること

木山 理絵

木山 理絵 / Rie Kiyama

1979年生まれ、長崎県出身。大学院修了後、公立小学校教員の道へ。4年勤務した後いったん退職。2008年、夫とふたりでバックパックを背負って世界一周旅行に出発。1年2ヶ月で37カ国を旅する。 帰国後復職。働く母として30代を駆け抜け、第3子育休中に40歳を迎えた。自分の本当に望む生き方・暮らし・働き方に向き合ったことで再び退職。カウンセラーを経てライフコーチとして独立し、40代からの人生の歩き方を応援・伴走している。

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