連載 第7回「幸せな方の椅子」:第2章 幸せなままでいれた日々➂ Pay it forward ー次の誰かへ渡す椅子  松山美由紀

皆さん、こんにちは。ライター塾7期生の松山美由紀です。いよいよ夏がやってきますね。福岡は元気に蝉が鳴きだしました。大好きな向日葵の季節が楽しみです。

さて、今回の椅子は、私がこの連載を書かせていただいている理由が、ぎゅっと詰まったお話になりました。うまく伝えることができたらいいのですが・・・

お時間許せば、おつきあいください!



 

手術の結果に、かけだしの勇者、コテンパンにされる

主人の病が発覚した2011年2月からのほんの数ヵ月の間に、私の心は、まるでジェットコースターにでも乗っているかのように山あり谷あり。「大変」な時が一番、人が大きく変われる時とは良く言ったものですが、あの当時の私の心は、未知の経験の中で大きく変化していった・・・というような立派な感じではなくて、訳がわからない方向へ強引に動きだしてしまった人生に、もみくちゃにされて、変化せざるをえなかったのでした。でも、そんな時こそ人生のど真ん中に戻って、未来に立ち向かう勇者のような主人公になってみた方がいい。そんな風に「人生のど真ん中に座る椅子」を選んだ私は、ほどなく、主人の腫瘍の詳細を知ることになりました。

実は、腫瘍の組織検査の結果は・・・電子カルテの中に浮かび上がるその結果を見た瞬間に、思わず思考が止まる程、私にとっては目を疑うものでした。というのも、術前に聞いていた病名よりも更に悪性度の高いものだったからでした。 

その病気のことも調べてはいましたが、私にとっては最強に恐ろしいラスボスのようなイメージだったと言ったらいいでしょうか。それに私はなんと言っても、まだ駆け出しの勇者でした。例えて言うならば、いきなり最強のラスボスが目の前にドカーンと現れて、パカーンと頭に痛恨の一撃を喰らい、スコーンと豪快にすっ転んでしまったような状態になってしまいました。多分、2.3日はショック状態から抜け出せず、ボーっとしてたんじゃないかと思います。まだ小さかった息子に心配されている様子が日記に残っていました。

「ねえ、かか~(私のこと)、このご飯、だれが作ったと?固さもちょう~どいいし、味もちょう~どいいね。すぅ~~っごく上手にできてるよ~!」と、まるで料理評論家のように話す息子ちん(当時7歳)。

普段はそんなこと言わない息子に「へ?」と、最初は意味が分からなかったけれど、きっと私が料理を失敗してしまったような残念そうな顔をして、考え事をしていたんでしょうね。他にも、息子が突如、当時流行していた「ドドスコスコスコ」を狂ったように踊りだして、私を笑わせようとしていることに気づいてハッとしたり。

ただ、私にはもう勇者になる椅子(弟6回の人生のど真ん中に座る椅子)があったので、やっぱりその椅子に座ろうと思いました。目を閉じて深呼吸をして、心の動きをシーンとなるまで止める・・・そして目をパチっと開けたなら!ムッキムキで、また自分のど真ん中に戻る。何度も引き戻されそうになったから、何度も深呼吸をしなくてはいけなかったけれど、術後の主人の体も順調に良くなっていたことも相まって、私達はまた少しずつ普通の生活を取り戻していきました。

そんな頃、あの主人の病気がわかって間もない時に、私がはじめての「幸せな方の椅子」を見つけるきっかけをくれた友人に、会いにいくことにしたのでした。

 

 

2011.6.15の福岡のとある海岸です。あの日、ガラ携で撮った画像が残っていました。自分達の声と波の音だけしか聞こえないような静かな場所で、彼女と語り合ったことは、生涯忘れないだろうと思います。

悲しかったことは無駄にしてはいけない

私には、「幸せな方の椅子に座る」ということを思いつくきっかけをくれたIさんという友人がいます(連載第2回)。Iさんは、その後もずっとメールをくれたりしながら、事あるごとに私を支え続けてくれました。

本当に誰かを救う為には、同情なんてこれっぽっちもいらなくて、愛だけが必要なんだという当たり前のことを、当時の彼女とのやりとりを見ていると思い知らされます。彼女は、世の中にはどうにもならないことがあることを充分知った上で、それでも私の状況をどうにかしようとしてくれた人でした。そしてそう思ってくれたのは多分、彼女も私と同じように大きな悲しみを知る人だったからでした。

そんなIさんに私は3か月ぶりにやっと会いに行くことができて、海の見えるレストランで食事をした後、海岸で流木を拾い、砂浜に大きな絵を描いたりしながら、まるで女子高生のようにずっとお喋りをしていました。「生きることは甘くないね」とか「強くなんてなりたくなかったよね。」だとか・・・。でも内容に反して、私達は相手を信頼しているからこそ身を委ねるように穏やかに話せていて、冗談も言い合えたり、そして笑い転げたりもしながら、波の音をバックにして、ただただ心地よくて優しい時間がそこには空気のように流れていた気がします。

当時は、東日本大震災が起こってちょうど3か月が経った頃でもありました。日本中がまだ悲しみであったり、これからどうなっていくのかという不安の中にいて、そんな沢山の起こってしまった悲しみや、生まれてしまった痛みについても、自然と話が及んでいきました。そして彼女は自分自身に言い聞かせるように、こう言ったのです。

「悲しかったことは、絶対に無駄にしたらいけない」と。

悲しみの渦中にある時に、未来へ目を向けることって、実はものすごく難しい。それなのに彼女はもう未来へ目を向けて、「今を無駄にしたらいけない」なんて言う。さすがIさんだと思いました。

若い頃は・・・いえ、今だってそうかもしれないけれど、悲しいことは、できるだけ経験したくないというか、ものすごくマイナスなものだと私は捉えていました。
でも、歳を重ねて思うのは、悲しいことがない人生なんてやっぱりなくて、そんなどうしようもない時に、悲しいことを知っている人が差し出してくれるものって結構すごい。そのすごさはまるで「魔法のような」と言う言葉が当てはまるレベルな気がします。

なぜ、どん底にいた私が、彼女のおかげで「幸せな方を選ぼう」というところまで立ち直れたのかと思う時、それは、悲しみの渦中にいる人の心に何が必要で、逆に何が必要じゃないかまでを彼女は知っていて、それがなんとなく私に伝わってきたからじゃないかと思います。その必要なものとは、私にとっては、ほんの少しの「光」だったし、「私にだってできることがある」ということに気づくことでした。

人は暗闇の中にいればいるほど、ほんの少しの「光」さえあれば、その光を通して未来を見ることができます。ドン底から立ち上がるには、そんな「未来」が必要だということを、彼女は知っていたような気がしてなりません。

そしてIさんは、私に対しては「大変なことを乗り越えたみゆさんが、みゆさんのまわりの人に、またいい影響をあたえるんだと思うよ」とも言ってくれました。そんなIさんのようになれるなんて、当時はとてもじゃないけれど思えませんでした。でも、まるで悲しみが無駄にならない未来がハッキリと見えているような目をしたIさんの隣で、私はふんわりと、そう言ってもらえただけでも嬉しいなと思っていました。

 

 

時を超えて、「過去」と「今」が繋がった日

あの海でIさんと語ってから、ちょうど12年が経ちました。12年前の私が知ったら、きっと腰を抜かすのではないかと思うのですが、今、私は、長年のファンでもあり、尊敬してやまない一田憲子さんのサイトで、この連載を書かせていただくという夢のような大きな機会をいただいています。5月に連載の第二章も始まり、一通また一通と読者の方からのご感想も届くようになって、どれもがありがたくて優しいものばかりでした。

そんな中、ある一通のお便りが満員電車に乗っていた時に私のスマホに届きました。そのお便りをくださった方は、数日前にご主人が病院に運ばれたばかりで、これからの先行きが全くわからない中にいると書いてくださっていました。でも、そのメッセージの最後に、

 この連載は、私の永久保存版です。
 辛くなった時に何度も読み返したい。
 元気が出ました。
 口角を上げて、深く深呼吸をして。
「私は大丈夫。よし、かかってこい」と唱えたいと思います。

と書いてくださっていたんです。私は、スマホをもつ手が震えそうになるのを一生懸命抑えないといけないほど、一文一文が胸にズーンと染みわたり、言葉にはできないような熱いものがこみあげてきました。きっとそれは、私が一番辛かった時に、Iさんの家でパスタを食べさせてもらいながら、彼女の言葉によって元気を取り戻し、初めて幸せな方の椅子を見つけたあの時の自分と、読者の方がすごく重なったからでした。私がIさんから受け取ったものを、連載を書くことで無駄にしなくてすんだのかもしれない、読者の方へ渡せたのかも・・・胸が震えるってこんな感じなんだと電車の中で自分だけが異空間にいるような気持ちになってしまっていました。

そして電車を降りて、思わず涙が零れそうになってしまったから、私は無意識に空を仰いでしまって、そしたら視界のほとんどが空になって、空と私だけになって・・・

「何、これ・・・」と思いました。

その空が、昔、何もかもが、どうしようもなくて、ただただ涙を流すことしかできずに「神様お願いですから、どうにかしてください」と、すがるように仰いだ空と、とても似ていたからでした。

昔と同じように「神様・・・」と、私は思わず問いかけてしまったけれど、その日の心に生まれた言葉は「ありがとうございます・・・」でした。

神様なんていなかったんだと思った日があったのに、
神様はいたんだと思えた日でした。
そして、悲しかったことは、無駄にならないんだと知った日でした。


Pay it forward ー次の誰かへ渡す椅子

今やっと私は、Iさんが、「悲しかったことは無駄にしてはいけない」と言った意味がわかった気がしています。
自分の経験を自分だけのものにせずに、どなたかの為に使えた時にはじめて、悲しみを超えるものが生まれる。この世の中のどこかで、毎日生まれ続ける悲しみや痛みの総量を、私達がほんの少しでも減らせる方法があるとしたら、もうこれしかないんじゃないかとさえ思えます。

そんな誰かがくれた大切なものが、人の手から人の手へと、バトンが繋がっていくように、この世の中をキラキラと行き交えば、すごくいい世界になるんじゃないかと思うんです。

それが、誰かのどうしようもなかった過去や、誰かのどうしようもなさそうな未来を、どうにかできる唯一の椅子なのかもしれないと私は思っています。

 


 

次回からは、私達が私達らしく、幸せを掴みながら生きた時代に入っていきます。
どうぞお楽しみに♪

 


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