6月に誕生日を迎え、36歳になりました。そして偶然にも、5月から6月は親しい友人の誕生日が続きます。
私の誕生日のちょうど一か月前が、男友達O君の誕生日。会社の同期だけど2歳年上、新入社員時代の研修クラスが一緒だったことが縁で仲良くなりました。
研修を終えた後もずっと勤務地がご近所で、自然と数か月に一度ランチをする仲に。「そろそろランチでも」「いいね!」と数度のやりとりで予定が決まる、ラクチンな関係。同じ会社とは思えないくらい異なるカルチャーの部署で働いているので、仕事の話もお互いいつも新鮮です。
見た目も中身も清潔で穏やかで、いつ会ってもにっこりさっぱり聡明なO君。
仕事の話、プライベートの話、将来の話、人間関係の話……。重い話も軽い話もぽんぽんと飛び交う1時間弱を、ランチを食べながら過ごします。
「へー!びっくり!そんなことあるの?」
「すごいじゃない。さすがだよ梅ちゃん」
「それは困ったね。俺だったらどうするかなぁ」
「こんなこと言ったらどう思われるかな」みたいな遠慮が入る余地がない、すこーんと底が抜けたようなあっけらかんとした雰囲気。どんなに親しい相手とでも多少の心理的摩擦はつきものですが、私の交友関係の中でトップ3に入る「摩擦レス」なのがO君です。
私は女子高出身ですし、今も女性メディアの読者コミュニティに入っています。会社は男性の比率が高いけれど、プライベートで付き合うのは女性の割合が圧倒的に多い。バックグラウンドや日々のモヤモヤを共有しやすいからか、やはり女友達の方が居心地がよいと感じています。
一方で、男友達の面白さも知っています。
性別よりもO君のキャラクターによるものかもしれませんが、彼との交友は私にとって「理想の者間距離」。
理系と文系、仕事の違い(数字中心と人間中心)、家族構成、人生の展望……。2人の違いは明確で、それぞれの生活がリアルに交わることはおそらくありません。お互いの違いと距離を正確に認識しながら、たまに顔を合わせて「やっほー元気?」と言い合う。相手の成功には称賛を送り、苦難には一緒に頭をひねってみて、最後は「君ならきっと大丈夫!」と笑顔でエールを送る。
隣に座って肩に手を置き慰めるみたいなことはしないし、胸倉掴んで叱責したりもしない。相手をかばおうと前に立ちふさがったりもしない。勝手に何かを代弁したりもしない。テーブルをはさんで素面で(O君は下戸)座るような、一定の距離感がそこにはあります。
借り一、が、ちゃんと借り一のまま保たれる清潔さが、男友達にはある。――『泣く大人』より
小説家・江國香織さんのエッセイ集『泣く大人』(角川文庫)。大好きなレーズンバター、本、雨という名の犬、そして家族と友人たち。江國さんの日々のあれこれが繊細なタッチでつづられた、小さな宝箱のような一冊です。学生時代からずっと読み続けていてもうボロボロ。中でも特に好きなの章が、「男友達の部屋」。
昔から、なんとなく、女友達に借りをつくることの危険を知っていた。
たぶん私自身も含めて、彼女たちには、露ほどの悪意もなく、物事を拡大したり縮小したりしてしまう性質があるのだ。
小さな贈り物にやけに大きく感激したり、大きな犠牲をいとも軽々と払ったり。――『泣く大人』より
私は、女友達の無軌道さによく圧倒されます。その情の深さや野蛮さは愛すべきものですが、男友達の「清潔な距離感」もまた新鮮でありがたい。
O君との関係は、多分とても贅沢なものです。波長や属性でなんとなくつながれる女友達と違って、気の合う男友達を見つけること、そして時間をかけて関係を深めることって(少なくとも私にとっては)かなり難しいものですから。
きっとこの男友達は、神様からのプレゼント。私はラッキーだったのだと思います。だからこそ大切にしたいし、執着しないようにしたい。いつもなんとなく自分にそう言い聞かせています。