私がひよこやになるまで。—好きなことだけ、それで充分— vol.6   長谷川栞

 

皆さま、こんにちは。ライター塾8期生の長谷川栞です。
前回から長らく時間が過ぎてしまいました。毎日とても暑いですね〜!皆さま、お元気でしょうか?
私は、6月にひよこやのオンラインストアが3周年を迎えたり
7月の初めには横浜のイベントに出展したりと、ここ1〜2ヶ月は、仕事に力を注いでおりました。

オンラインストアをオープンして3年!6月は、アニバーサリー月として毎年企画を開催しています。 今年は、横浜のイベントと連動して「港」をイメージした作品を作りました。

オンラインストアをオープンして3年!6月は、アニバーサリー月として毎年企画を開催しています。
今年は、横浜のイベントと連動して「港」をイメージした作品を作りました。

 

イベントでは、この連載を読んでくださっている方とお会いすることができ
「楽しみにしています!」というお言葉をいただきました。本当に嬉しかったです。
いただいた励ましをパワーに変えて、続きを綴っていこうと思います。

前回は、iichiという会社で仕事に打ち込んだ日々について書きました。
今回はそこから一転!社会人3年目、25歳の私が経験した挫折について書こうと思います。
さてさて、どうなるのでしょうか…

ー新たな目標を掲げて

私がiichiに入社して、3回目の春がやってきました。
iichiはサイトの運営に加え、浅草に実店舗をオープンするなど、活動の場が少しずつ広がり
ハンドメイド業界では名前が知られるようになっていました。

浅草にあったiichiの実店舗。月替わりでさまざまな作家さんの個展やグループ展を開催していました。

iichiは小さな規模の会社ではありましたが、株式会社の形態をとっていました。
つまりは、株主がいるということです。
この時、社長と株主の方との間で話し合いが行われ、ある決定がなされました。

これまでは【世の中にiichiを認知してもらい、丁寧な運営で信頼を積み重ねていく】というミッションを掲げ、
チーム一丸となって日々励んできました。
そこから、次は【業界トップのシェアを目指して、事業を拡大する】
という新たな目標を掲げて進むことになったのです。
その話を社長から聞いた時、私は正直あまりピンと来ませんでした。
「事業を拡大する」という言葉の内容が全く想像できなかったのです。
今思うと、ちゃんとそのことを社長に伝えるべきでした…。
当時の私は「会社の目標が変わっても、これまで通り自分の仕事を全力でやれば問題ないだろう」
と考えていたのです。

ー変わるiichi、変われぬ私

そこから、iichiは猛スピードで変化していきました。
大規模な採用が行われ、各業種のプロフェッショナルの人がどんどん入社しました。
広いオフィスに引っ越しをして、鎌倉に実店舗の2号店もオープン。
さらには「東京オフィス」なる場所も誕生し、働く環境がどんどん整備されていきました。

小さなシェアオフィスの一角から、鎌倉のメインストリート「小町通り」に面するビルのワンフロアへお引越し。スタッフの数も倍以上になりました。

 

社員全員がいくつもの業種を兼任していた状況は、人手が増えたことで一気に解消!
私もデザイン業務以外を新しい担当者に引き継ぎました。そして、全てのチームが再編成されたのです。
ここまで書くと、ハードワーク問題解決!めでたしめでたし〜!な雰囲気が漂います。

ところが…

この大規模採用の中で唯一、デザイナーだけは採用がありませんでした。
というのも、新卒の私を先に採用してしまったために、iichiは次に採用するデザイナーに
「経験豊富でセンスがあり、かつアートディレクションもこなせる人」を求めていました。
でもそれは、日本中のデザイナーの中でも数%しかいないような逸材です。
結局、今回の採用ではiichiが求める人には出会えず…とりあえず、
デザイナーは私一人という体制が続行されることになりました。

一気にスタッフが増え、新たなチームが編成され、プロジェクトがどんどん立ち上がるなか、
その全てのデザイン案件が私一人になだれ込む、という状況が生まれます。
毎日ものすごい数の仕事の依頼があちこちから飛んできて、
各プロジェクトに遅れが出ないようにスケジュールを組み、ひたすら作業する…。
繁忙期には家に帰ることができず、会社に泊まって夜通し仕事をしていました。
若かったとは言え、かなりしんどかったです。体力の限界を感じつつも、
他にデザイナーがいないので「私が休んだらiichiが止まる…」という気持ちだけで乗り切っていました。

ー1番大切なことは何?

そしてもうひとつ、私が変われなかったことがあります。
それは「売上達成モード」になれなかったこと。

新しい目標を達成するため、マーケティングや売上管理のチームが誕生するなど、社内の雰囲気は「売上達成モード」に傾いていきました。
売上、コンバージョン率、ビュー数、各プロジェクトの目標達成率…など、会議は数字の話が中心となり
各プロジェクトのコミュニケーションは、業務効率化のためにチャットツールで行うことが増えました。

当時の私には、それがすごく「冷たい変化」に感じました。
以前は家族のような雰囲気で、みんなで集まって「どうしたらiichiがもっと良くなるか?」
「どうしたらお客さまや作家さんが喜んでくれるか?」と語り合っていたのに…。

次第に私は、会社や他のスタッフに対して反発心を抱くようになりました。
「売上を達成することに目が眩んで、みんな大切なことを忘れている!
数字よりも、ユーザーを想うiichiのマインドの方がずっと大事なのに…」という気持ちが募っていったのです。

鎌倉にオープンしたiichiの2号店。オフィスにいるのが辛くなった時、私はこのお店に来て仕事をしていました。ぬくもりある作品に触れると「頑張ろう!」と思たのです。

 

でも実際は、私だけが大人になれなかったということなんです。
iichiはユーザーへの思いやりを捨てたわけでも、売上至上主義になったわけでもありませんでした。
ただ、その時は「事業を拡大する」「業界トップのシェアを目指す」ことを優先する時期だった。

色々な経歴の人が入社してきたのだから、考え方や仕事のやり方で衝突があるのは当たり前で
iichiが大切にしてきたマインドは、仕事をしながら少しずつ伝えていけば良い。
私以外が大切なことを忘れたのではなく、私だけが長期の展望を描けず目の前の違和感にこだわっていたのです。

そう思えたのは、ひよこやとして独立した後のことでした。
「売れる=生きることができる」という状況に身を置いてみてやっと、当時の自分の甘さを思い知りました。

ー「会社に行きたくない」と思った日

社内の「売上達成モード」に対する私の反発心は、日を追うごとに強くなっていきました。
スタッフと意見の相違で衝突することも増え、気がつけば「仕事が楽しい!」という感情はなくなっていました。
それでも、iichiのサービスは変わらず好きだったこと、iichiを通して仲良くなった作家さんたちとの交流が心の支えとなり、毎日必死に仕事をしていました。

ところが…ある事件が起こります。
それは、とある百貨店で開催した販売イベント後のことでした。
百貨店でのイベントは、開催期間中作家さんから作品をお預かりして、iichiスタッフが接客、販売をします。
そして会期が終わると、作品を丁寧に梱包し、お礼のお手紙を添えて返送するのが常でした。

ところがその時は、作業効率の観点から手紙は無しで返送することになったのです。
それがどうしても納得できなかった私は「仕事は少し遅れるけど、また徹夜すればいいや。」と独断で手紙を書き始めました。
すると、そんな私に気がついたあるスタッフがやってきて、呆れた調子でこう言ったのです。

「そんな無駄なことをする暇があるなら、次の仕事をしてほしい。」

その時、自分の中で何かがプツッと途切れたような感覚がありました。
そして、怒りで心が震えるのを感じました。
当時はその気持ちを上手く言葉にできなかったのですが、今改めて振り返ると
お礼の手紙を書くことを「無駄」と一蹴されたことで
iichiが大事にしてきた「作家さんに対するリスペクト」を否定されたように感じたのだと思います。
結局私は、そのスタッフを無視して手紙を書き続けました。その時の社内の空気は最悪だったと思います。
これを書いている今も、当時の自分の幼稚さに目を覆いたくなります。なんて嫌な態度だったのでしょう…。
そもそも、そんなに手紙が重要だと思ったなら、きちんと他のスタッフに説明をすればよかったのです。
でも、当時の私は日頃の反発心から、素直に意見を伝えることさえも怠ってしまったのでした…。

iichiの仕事が辛くなっていく一方で、休日にひよこを作る時間は本当に楽しかったです。
「つくる」ことが、私を救ってくれました。

その翌朝。とうとう私は、玄関ドアの前で立ち尽くして動けなくなりました。
「もう会社に行きたくない」と思ったのです。

もういいや、休んでも。
もういいや、iichiが止まっても。
もう、頑張れないかも…。

自分の中で、負の感情がグルグル渦を巻いていました。
とは言え、本当に休むわけにはいかないので…結局、その日は家でリモートワークをさせてもらうことにしました。

ー道標となる言葉

相変わらず、チャットで次々に仕事の依頼は来るものの、家で一人で過ごせたことで、
私は少しずつ落ち着きを取り戻しました。
少し前まで、あんなに楽しかったのに…一体、どうしてこうなったんだろう?
と考える中で、ふと頭に浮かんだもの。
それは、その年の「クラフトフェアまつもと」で、ある作家さんと交わした会話でした。

「クラフトフェアまつもと」は、毎年5月に開催される国内最大級のクラフトイベント。
実は、iichiは社長が初めてこのイベントに訪れたときに
「この雰囲気をインターネット上に作りたい」と思ったことから発案されたものでした。
毎年iichiもブースを作らせていただてパンフレットを配ったり、
スタッフが作家さんと交流をする機会として訪れていたのです。

今年は長男とクラフトフェアに遊びにいきました。当時お世話になった作家さんたちと再会でき、素敵な作品にもたくさん出会えました!

その方は、iichiがサービスを開始した当初からiichiを利用してくれている作家さんで
私自身もとてもお世話になり、ひよこやの活動も応援してくださっていたのです。
その年も、私はその方のブースにご挨拶に行きました。

(作家さん)「久しぶり!元気にやっていますか?今日はひとり?」
(私)「お久しぶりです。元気です〜!社長は新しく入ったスタッフと一緒に回っています!」
(作家さん)「おお〜ついに井上さんが先輩になった!ひよこやさんはどう?」
(私)「忙しくてなかなか作れなくて…本当はもっと作りたいです。月に10個くらいは売れてます。」
(作家さん)「すごいじゃない!良いと思うよ、ひよこ。…井上さん、ずっとiichiにいるの?」
(私)「…え?」
(作家さん)「こんなこと言ったら社長さんに怒られちゃうと思うけど…。
井上さんはね〜、こっち側の人だと思うんだよなぁ。」

その時は、「作家に向いてるよ」と言ってくれているんだぁ〜嬉しいな〜!くらいに受け取っていました。
でも、改めて思い返してみると…「あなたがいる場所、ちょっと違うかもよ。」という意味だったのかも?
私はずっと「iichiが間違った方に進んでいる!なんとかしなければ!」と思っていたけれど
間違えているのは、もしかして…私?

その会話をきっかけに、私は全く違う視点から現状を見つめてみました。
そして、これまで想像もしてなかったひとつの選択肢があることに気づきます。
それは「iichiを辞める」ということ。

こんなに辛いのは、iichiのせいでも、他のスタッフのせいでもなくて
私が居場所を間違えているからなのでは?
iichiとは違う、私の本当に居るべき場所が別にあるとしたら?

iichiが大好きだったから、他の場所で仕事をするなんて考えたこともありませんでした。
でも、iichiが選んだ道は、私が進みたい道とは違った。もうとっくに分岐点は過ぎていたのです。
そう思ったら、合わない歯車を無理やり噛み合わせようとする自分の姿がポワ〜ンと頭に浮かんで…
そりゃ〜無理だわ!とスコーンと諦めがついたのでした

 

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今回はもしかすると、読み終えた後味があまり良くない内容だったかもしれません…。
気を悪くされた方がいたら、ごめんなさい。
私自身も書きながら、当時の自分の未熟さに腹が立ちましたし、改めて反省しました。
多くの方が読んでくださるこの場で、そんな自分のことを書くことにためらいもありました。

でも…

当時の私には「心がない」ように見えたスタッフの言動は、
その人が信じるやり方で「iichiを良くしよう!」とした結果だということも
効率を追及する仕事のスタイルが、会社を大きくするために必要なことだったということも、今なら分かります。
壁にぶつかって苦悩して、それでも必死に仕事をした25歳の日々は、ちゃんと自分の血肉になっていました。

その時は苦しくても、その経験が学びになって、やがて自分の力になる。
今回のエピソードを通して、そんなことが伝わったらいいなと思って書かせていただきました。

先日、現在のiichiオフィスに遊びに行かせていただきました。
コロナ禍でリモートワークが導入されたことで、オフィスはずいぶんとコンパクトになっていて
私が在籍していた頃とは違う顔ぶれのスタッフの方が働いていました。
少しの時間でしたが、スタッフの皆さんとお話ししてみて、みんなiichiが好きで
「これからもiichi をどんどん良い場にしていきたい!」
という思いでお仕事をされていることが、ひしひしと伝わってきました。
お客様や作家さんを大切にするiichiのマインドが、今も確かにそこにありました。

 

現在のiichiスタッフの皆さん。

次回は…
「iichiを辞める」という選択肢に気がついた私。
でも、大好きだった会社を辞める決心をすることは容易いものではなく…。
本当の意味で、次の道に進む決意をするまでを書いていこうと思います。どうぞお楽しみに。

 

 

 

長谷川栞さんのHP「陶ノ鳥ひよこや」はこちら。


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