連載第6回「幸せな方の椅子」 弟2章 幸せなままでいれた日々のこと ➁ 「人生のど真ん中に座る椅子」   松山美由紀

皆さんこんにちは!ライター塾7期生の松山です。前回の「ミックスジュース」のお話はいかがだったでしょうか?!
私の方は思いの外、友人達が自分はこんなジュースだよ〜と教えてくれたり、「みゆきちゃんは、実はこんなジュースでしょ?」って、図星なことを言われて、ドキッ!としたりしていました。みなさんのジュースもきっと千差万別、自分だけの色なんだろうなと想いを巡らせています。

さて!今回は、今でも私が度々頼ってしまう心強い椅子を一つご紹介しようと思います。「幸せな方の椅子」の真髄のような椅子だったと私は思っているのですが、最初に見つけた時はどうだったっけ?と、日記を読み返しながら、記憶の海に潜って書きました。

主人が病気になるまでの私は、もう本当に主人におんぶにだっこな人生でした。高校時代からいつも主人に助けてもらったり、守ってもらったり、許されてばかりの人生。
そんな私の心臓に毛が生えた!
そんな日のお話を今日はしてみようと思います。
本当は、心臓に毛なんて生やしたくなかったんですけれどね。いつまでもパパに甘えてたかったな・・・と思いますが、これもまた人生だなと思っています。

人生のど真ん中に座る椅子
2011年春。

主人の大きな手術の後、ずいぶんと助けられた椅子がありました。
どんな時でも目を凝らせば、あちこちに幸せは転がってる。そのことに気づいた私と主人は、手術の前に交わした約束どおり、幸せなままの日々を取り戻そうとしていました。
入院前よりもずっと、何もかもがありがたく感じたし、以前は日常に埋もれていた当たり前だけど幸せなことに、気づけるようになりました。
主人が玄関で「行ってらっしゃい」と、ニコニコ言ってくれただけで、心が幸せでいっぱいになってしまうし、私と主人が何よりも守りたかった息子ちんの笑顔も、その愛らしさは冴えわたる一方でした。
きっと、胸の痛みや苦しさを味わって、それに耐えることを余儀なくされた心は、喜びや幸福に出会った時の感受性みたいなものが、ぐーんと上がってしまう。
そして人は、命に関わるような病の存在を肌身で感じてしまったら、否応なしに「今」を大切にするようになります。うまく言えないのですが、「今」が深くなる。幸せな色の種類がグンと増えて、複雑に調和しながら生まれる新しい色を、目にできるようになる。
幸せとは「なる」ものでもなく「もらう」ものでもなく、ただ自らの内に「感じる」ものだったんだということが分かった頃。
私達の幸せの芯は、しっかりと守られ始めていました。そして少しずつ太くなり始めてもいました。
でも・・・やはり主人の病は大きな病でした。そこでハッピーエンドとは、そうは問屋がおろしてくれなかった。ここから先の10年、綺麗事ではないことも常に並走していくことになります。

(2011.4月のある日 撮影:術後1か月のパパちゃん)

その椅子を見つけたのは、主人の腫瘍の詳細(手術で切除した腫瘍の病理結果)が分かるまでの頃でした。医科大学の研究所に勤めていたことのあった私は、夫の病状を少しでも理解しようと、その頃にはもう夜な夜な医学論文を読み漁った後でした。病理の型の違いや、型別の進行の仕方、ステージ別の治療の内容、予後や生存率なんかも頭に叩き込まれていました。
手術の前から、とても珍しい病気だろうと言われてはいましたが、その病気の中でもいろんな型があって、一番悪性度の高いものだった場合は、どの論文にも「予後は極めて厳しい」と書かれてあったし、「極めて稀な病気で、残念ながら、治療法は確立されていない」とも書かれていました。医師からも「ご本人の前では、なかなか言いずらかったのですが」という前置きの元、「かなり進行しています」と、私のみに言われた日があって、だから私はもう十分いろんなことを呑み込みながら覚悟していたはずでした。だけれども、懸命に前だけを向いて頑張ろうとしている主人を見ていると、頭での理解を超えて、どうしても胸がトクンと痛くなります。

「この人にこれ以上、もう悲しいことなんて起こらないでほしい」
「少しでも悪性度の低い型でありますように」
「リンパ節に転移していませんように」

気づいた頃には、もう私は、毎日のようにそんなことを願うようになっていました。
でも・・・何かを強く願うということは、そうでなかった時を強く否定することにもなります。願えば願うほど、そうでなかった時のことも同じぐらい頭の中をかけめぐってる。

「リンパ節に転移があったらどうしよう」
「お仕事には戻れるのかな?」
「パパはどれだけ苦しい想いをするの?」
「私はそれでも、またちゃんと強くいれる?全てに対して優しいままでいれる?」

未来に対する心配が、体中からどんどん元気を奪っていきます。そうやって、心の中の幸せのウエイトが、あっ!という間に目減りしていくことに気づいた時、これではいけないと思った日がありました。もうこの時、私の心の中には「幸せな方の椅子」という魔法の杖があったから、それを思い出しさえすれば良かった。そしたら未来を少しでも幸せにする為の思考がはじまりました。

このままではまた谷底に逆戻り。それだけは回避しなきゃ、谷底にはもう行きたくないし、網にひっかかって苦しむお魚(連載弟二回)も、二度は無理。幸せなままでいる為には、心のベクトルを変えないといけないけれど、私は何にモヤモヤしてるの?何に対して「嫌だ」と思ってる?どんな未来を「1番」恐れてる?結果がもしも最悪だったとしても「そんなパパは嫌だ!」なんて言える訳がない。ステージがどうであれ、パパはパパ。パパの中身は、なにも変わらない。

私が恐れていることは・・・

私達家族が、「幸せなままでいられなくなること」だった。
そして、私は優しい心をなくしてしまうことが怖い。
だから、病気そのものが一番怖いわけではない。

悪性の腫瘍というものは進行すると、いろんなところに転移するけれど、たとえリンパ節に転移していたとしても、「心」だけには転移させてはいけない。

「それならもう、どちらの未来でも、私のやることは変わらない。私はパパを幸せにするだけだ」

この「もうどちらでもかまわない」という想いが、新たな幸せな椅子を見つけるきっかけとなりました。元々「幸せな方の椅子」は、未来がどんな顔をしてやってこようが関係なかったはずでした。どんな時にでも用意されている椅子で、ただそこで幸せな方を選べばいいのだから。ならば、どちらの未来であっても、私がやることは何も変わらない。パパも息子も幸せにしたいし、私も優しい気持ちでいたい。私にとっての一番の幸せは、優しい気持ちでいれることだから。

あの日、「もう、どっちでも大丈夫」と思えた瞬間、心に溜まっていた苦しい毒素みたいなものがスルスルと抜けて、息をするのがスーっと楽になりました。どんな未来でも幸せな方に手をのばして、勇気を出して前へ進めばいい。そこで一つまた一つと幸せな方を選べばいい。

大事なのは、自分の人生に対する自分の態度が「能動的であるか」「受動的であるか」なんだと思います。何をするかよりも、どんな気持ちで臨むかの方が重要なのかもしれません。

「幸せに手をのばす」

これほど、人が人生に対して能動的になれることはないのだろうと思います。
だから私はいつだって「幸せな方の椅子」に救われたのだと思います。


あの日、「もう、どっちの未来でも大丈夫」と思えたことが、きっとすごく嬉しくて、調子に乗ったであろう私は、日記帳に「よし、かかってこい」という言葉を、書いていました。絶対負けないし、絶対家族を幸せなままにするという想いのこもった文字。そして自分の人生に責任を持つために書いた言葉にも思えました。「かかってこい!」だなんて、まるで、なにかの物語の勇者のようなセリフですが、人は自分の人生の物語の中だけでは、自分が勇者になってもいいのかもしれません。大変な時こそ、自分の人生のど真ん中に戻って、未来に立ち向かう勇者となって、主人公になってみたらいい。どう転んだって、自分の物語の中では、他の人は主人公にはなれないのだから。

はじめは弱い勇者でもいい。賢者である必要もない。ドラマや映画の主人公だって最初は弱かったり情けなかったりする時もあるでしょう?だから大丈夫、何があっても幸せの為に動ける小さな勇者になってみる。あの日の私も「よし、かかってこい」と書いた時、きっと、自分の人生の真ん中に戻って主人公になれたんだと思います。だから、この日私が座った椅子を「人生のど真ん中に座る椅子」と名付けようと思います。

皆さんにも、もしも、未来が心配で仕方のない夜が訪れたなら・・・
本当は足がちょっとぐらい震えていてもいい、声が上ずってしまってもいい、腰が引けていても構わないから、「私は大丈夫、よし、未来よ、かかってこい」と、小さくてもいいから呟いてみませんか?

多分だけれど・・・少し強くなれると思います。

次回は、「悲しかったことを無駄にしてはいけない」と、今も私に思わせてくれている原点のような、とある日のお話を書いてみようかな?と思っていますが!どうなることでしょう?! でも、これまでよりも次回までのスパンが短くなるよう頑張りますので、待っててくださいね!

 

 

 


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