【モヤモヤ女の読書日記】私に効く本、いただきます「かばんの中には…」梅津奏

出勤用かばんには、いつもKindleと紙の本が入っています。

Kindleには数百冊のデータが保存されているので、持ち歩くのはKindleだけでもいいはず。それなのに紙の本も入れているのは、平日であっても「自分らしい自分」を忘れたくないからかもしれません。

読み終わるまで入れっぱなしということもあるけれど、数日に渡って本を読むことはあまりない速読の私。毎朝家を出る前に、「さて、今日は何を持っていこうかしら」と本棚や本の山(家の中のあちこちにある!)の前で思案を巡らせます。

その日の予定とか、体調とか、気分とか。いろいろな要素をもとに「これだ!」という一冊を選ぶのですが、お昼休みになる頃には状況が想定と変わっていて、せっかく選んだ本ではなくてKindleを開く……なんてことも。気持ちに合わない本というのは、なんとなく重荷に感じられるものです。それがそこそこの大きさの単行本だったりすると、名実ともに「重荷」になるので、見る目の無かった朝の自分を責めたくなることも。(そう、悪いのは本ではなくて自分)

 

先週のとある日、かばんに入れていたのがこちら。

店頭でみかけたら、ぜひ手に取ってほしい。その軽やかさにびっくりするはず。

街と山のあいだ』(若菜晃子/アノニマ・スタジオ)

うすーいペールグリーンの表紙に、それより少しだけ濃いグリーンでタイトルと著者名、イラストがさらりと配置されています。

この日は、起きた瞬間から低気圧の影響で頭痛がひどく……。低気圧って、暑さ寒さと違って逃げ場がないのが辛いですよね。頭蓋骨が圧迫されるような痛みと、身体の重だるさ。体調が悪いと、いつもならなんてことのないことも悪い想像ばかり頭に浮かんでブルーな気分になってしまいます。ああ、このまま布団かぶって寝ていたい。

そんなときに本棚の前で思い出したのがこちらの一冊。手に取った瞬間、ふわっと軽いその持ち心地(とでもいいましょうか)に、「あ、今日はこれだ」と本能でピンときました。

山岳雑誌を発行している、山と渓谷社の編集者だった若菜さん。登山初心者だった頃の話から、仕事であることを超えて魅せられた山々の思い出、山を通じて出会った人や出来事のこと。タイトルの通り、いろいろな思いを抱えながら街と山の間をいったりきたりする日々が、淡々とした筆致で水彩画のように綴られています。

実は私も、山登りが好き。コロナ禍に山の魅力に気づいてから、登山好きの友人や先輩に連れられて、定期的に山に行っていました。それがこの1年、仕事が忙しく体力が低下していることを理由にすっかり足が遠のいてしまい……。

昼休みに会社のカフェテリアでこの本を読みながら、山にいるときの空気、ふと吹き抜ける青い風を思い出していました。

 

これはなんだろうか? ここはどこだろうか? これは現実なのだろうか? 今朝のあの美しい日の出はどこへいったのだろうか? あの山頂のあの寒さ、あの冷たい空気、目の前の岩肌を流れる雲、荘厳な日の光、その光に照らされていた自分の頬。――『街と山のあいだで』より

山での取材を終えて、残りの仕事を片付けるために会社に戻った若菜さんの心の内。

街と山、二つの世界を行き来するということは、そのギャップや違和感を抱えて生きるということ。「自然の中でリフレッシュして街でも頑張ろう!」なんてシンプルな話では済まなくて(そんな面ももちろんあるけれど)、街と山の間でグラグラする自分をなんとかなだめながら生きなければならない。

それが嫌なら、どちらの世界で生きるかをすぱっと決めて、単一的な人生を選べばいい。「この道一筋」みたいな生き方は、それはそれで格好いいし。

でもそれは現実的に難しく、本当にそうしたいわけではない気がします。会社の仕事とライフワーク、趣味、友人たち、家族……。自分が大切にしたいものや場所が複数あるのであれば、その「あいだ」で自分を上手に泳がせるすべを身に着けないといけませんね。

 

ちょうどつけていたミキモトのリングが、表紙にマッチ。

頭痛から逃げるように手に取った本から、「風」のような「水」のような何かが自分に流れ込んできたようです。何かと何かの間で、たゆたう私。そんなイメージが、具合が悪くてひしゃげた自分を、ちょっとなだめてくれるような。そんな読書体験でした。

低気圧はしんどいけれど、緑が瑞々しく美しい季節。騒がしい春と暑い夏のあいだの、ひとときの静かな季節。この時期を、ちゃんと味わいたいと思います。

 

いつも山に誘ってくれる友人が、教えてくれた低気圧対策の薬。効きますように……。

 


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