「はじめの一歩の踏み出し方。」 尾上由子さん vol.2
この連載「はじめの一歩の踏み出し方。」は、
大切な時ほど足踏みしがちな私・矢島美穂が
インタビューを通してあの人の「はじめの一歩」を覗いていこうというもの。
読んでくださる方の、より自分らしい明日や未来を迎えるための
少しの勇気とヒントにつながりますように。
さて、現在お話を伺っているのは、
埼玉県・北本市のクッキー専門店「クッキークル」のオーナーである
尾上由子(おのうえなおこ)さんです。
あらゆる物事を続けるのが苦手だった尾上さんが、唯一夢中になっていた絵。
そこから自然な流れで美大を目指したものの、
予備校の先生の圧倒的な熱量にはかなわない―と、
受験前から自分自身に絶望したお話を、前回はお届けしました。
絶望を抱きながらも、「絵」が一番好きなことは変わらず、
美大には進学した尾上さん。
合格した情報デザイン学科でインスタレーションを中心に学びましたが、
その後待つ就職には情熱がなかったといいます。
「大学を出たら就職する、というセオリーに乗っかって・・・
正直なところ、消去法に近いような進路選択だったんですよ。
『○○ほどの大手だと、私には無理だな』
『ジュエリーだったらそれっぽいかな』・・・というふんわりした動機で、
ご夫婦が経営するジュエリー会社に就職しました」。
会社では、販売促進課でパッケージやカタログのデザインを担当。
デザインという「作業」自体は楽しかったけれど、
やりがいや思いがあったかというと、決してそうではなかったようです。
「定時に帰ることばかり考えていたり、
何か言われれば不貞腐れてみたり。
振り返ると本当に恥ずかしい・・・。
ひどい時間の過ごし方をしていたなぁ」と振り返ります。
そんな、どこかぼんやりした日々を過ごす中、
尾上さんが新たな扉を開ける“その日”は、突然やってきました。
「元々ごくたまにお菓子を作ることはあったものの、
いざ出来上がるのは硬いクッキーとか、膨らんでないパンとか・・・。
お菓子作りが上手なわけでも、思い入れがあるわけでもありませんでした。
その時も『何か作ろうかな・・・』と本屋さんに立ち寄ったら、
当時大ヒットしていたあるレシピ本がズラ~!っと並べられていて―。
『じゃぁこれで作ってみようかな』と、軽い気持ちで手に取ったんですよね」。
そしてまず手始めに“スノーボールクッキー”を作ってみると・・・。
「『えっっ!?これ私が作ったクッキー!?』って思うほどに、
そのおいしさたるや・・・。
それまでの味とは、明らかに違った!」のだとか。
実は、我が家の娘はクルのスノーボールが大好き!
粉糖をまとった丸く小さな一粒を、そ~っと運んで口に入れると・・・、
その瞬間ホロホロッと儚くほどけて、
ナッツの香ばしさと優しい甘みが口いっぱいに広がります。
尾上さんのお菓子作りの喜びの原点がこの“スノーボール”にあったと知り、
大人も子供も心満たされるあの味の理由が、
なんだかわかったような気がしました。
「その後、出来上がったクッキーを会社に持っていったら、
同僚も『すごい!おいしい!!』って褒めてくれたのがまた嬉しくて・・・
『絶対また作ろう!!』って決意しました。
その後は、もうひたすらにお菓子漬けの生活です。
本屋さんに行ってはレシピ本を買いあさり、
本業に向かう通勤時間はそれを3~4冊抱えて、ひたすら読む。
やっと土曜日になったら、
朝ごはんもそこそこに家族そっちのけで私がキッチンを占領して、
一日かけて何種類もの焼き菓子をずっと作り続けるんです。
最初はレシピ通りに、やがて素材の研究もしながら・・・。
一つ作るたびにそのおいしさに自分自身で感動し、
友達にも喜んでもらって、
お菓子作りの様子を綴ったブログも書き始めて。
心も時間もお財布も、お菓子作りのシェアがどんどん大きくなるにつれ、
『いつかお店を持ちたいなぁ』という目標がムクムクと顔を出し・・・
2年半勤務したジュエリー会社も、退職することにしました」。
とはいえ、この段階では
『このままジュエリー会社で過ごすのは違う』という確信があっただけ。
自分のお店を持つにはもう少し時間がかかりそう、と思っていたんだとか。
では、ここから最短距離でお菓子を仕事にする夢へと進むのかと思いきや・・・
尾上さんはむしろ王道ではない脇道をあえて選んでいきます。
「お菓子作りのプロになるといえば、
やっぱり『修行』とか『製菓学校卒』というイメージですよね。
私も退職したら学校に行こうかな?と少し調べたりしたのですが・・・
なんだか憂鬱になっちゃって。
私にきっかけをくれたレシピ本の著者は、
独学でお菓子を作り続け、そうして本を出版し大ヒットされた方だったんです。
それを見たら、『独学でプロになるという選択肢もあるんじゃないかな』って」。
人に習ってしまえばなりたい自分にグンと早く近づけそうなのに・・・
なぜ憂鬱になったのでしょう?
「改めて自分を振り返ると・・・『人に学ぶと冷める』んですよね。
美大の予備校もそう。
情熱を傾けて『好きでただただ描いていた』絵の前に、
“これがいいもの”“悪いもの”という基準が現れた。
その枠組みを前提にデザイナーとして活躍している先生を見て、
私はこうなれない―と冷めてしまったところがあるんです」。
そしてさらに、次なる就職先探しでも脇道を選択。
夢へのステップと考えれば「洋菓子屋さん」が一番に浮かびそうなところ、
実際に選んだのは大手コーヒーチェーン店でした。
「新たな職場に求めたのは“ストアマネジメント”や“接客”を学ぶことであって、
あくまでも“お店という箱の作り方や動かし方”を知りたかったんです。
そこにお菓子作りのノウハウは求めていなかったから、
“お菓子屋さん”に入る必要はなかった。
むしろ、どんなに素晴らしいお菓子の作り手からも
私のお菓子の作り方や技術には口出ししてほしくない―という気持ちが
あったのかもしれません。
人に学んで冷めたくない。
のびのび描いていたあの頃のように、お菓子を作り続けたい。
いつかの予備校での出来事のように、
私のお菓子を何かの枠組みに当てはめてほしくなかった」。
かつて美大の予備校で味わった絶望を糧に、
「自分の幸せの正体」の芯をじっくり見つめた尾上さん。
そこにあったのは、単に「お菓子を仕事にする」というものではなく、
「自分なりの方法で自由に楽しみながらお菓子を生み出すプロになること」でした。
人は夢を真剣に見据えるほどに「うまく」「早く」「効率よく」と、
ゴールまで一直線に伸びる安全な道を探し求めがちですが―
歩き出す前に、もう一度その目線をそっと今の自分に引き寄せて、
「自分の幸せや喜びは、いったいどんな形をしたものか」を
見つめる必要がありそうです。
それを自分の手でしっかり抱きしめ続けられる道はどこにあるのか―。
その目線さえ忘れなければ、
たとえ足元がでこぼこだったとしても、
歩んでいく道のり自体が、喜びに溢れた時間の積み重ねになる。
尾上さんの貫いた「独学」の姿は、そんなことを気づかせてくれました。
自分なりの方法で夢への一歩を積み重ねていく尾上さんのストーリー。
続きはまた次回伺うことにしましょう。