昨日、今日はキュッと寒いですね。
朝歩きに出たら、「さむっ」と身を縮めました。
今日は、たんぽぽの綿毛を発見!
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
さて……。
先日、実家の押し入れダンスの片付けに帰った話を書きました。
あの時の古いタンスを、粗大ゴミに出す日が近づいてきて、そわそわ……。
父と母ふたりで、ベランダから玄関まで運び、
そこからまたマンションの下まで運ぶのは大変だよなあ〜って。
週に2日来てもらっているヘルパーさんに手伝ってもらえばいいんじゃないかと考えました。
ただ、ヘルパーさんが来るのは、粗大ゴミの予定の前日。
「管理人さんに、年寄り2人で運ぶのは大変だから、
ヘルパーさんに手伝ってもらって、前日に出してもいいか、聞いてみたら?」
と両親に伝えました。
で……。
聞いてみた母。
「あかんかったわ」と……。
マンションの規則で当日出すというのが決まっていて、
例外を認めると、みんながそうしてしまうから、とのこと。
わかるけどね………。
だったら、「私が当日手伝いますよ」
って言って欲しかったなあ。
「規則」って難しいですね。
でも、規則って人間のためにあると思うのです。
だったらケースバイケースで、
時には、ルールを曲げることがあってもいいんじゃないかなあ。
規則を守ることと、
「あの人」が困っていることと、
両方を天秤にかけたとき、「あの人」を選択できるようになったら、
もう少し社会が優しく、生きやすくなるんじゃないかなあと思いました。
で!
やっぱりいてもたってもいられず、再び弾丸で実家へ。
ただ、粗大ゴミの当日にはどうしても仕事が入っていたので、
とりあえず、ベランダから玄関まで運び、そこに置いて帰ってきました。
今、「冒険の書 AI時代のアンラーニング」(日経BP)という本を読んでいます。
「僕らはなぜ勉強しなくちゃいけないの?」「世界を少しでもよくする方法は?」という
シンプルな問いに、起業家であり、最先端AIに触れていた著者、孫泰蔵さんが答えていくという1冊。
まだ読み始めたばかりだけれど、そこに「基礎という神話」という章がありました。
「基礎が大事。基礎をおろそかにしてはいけない」っていうけれど、本当にそうかなあということ。
「何かにたどりつく道は無限にある。それはつまり『どれが基礎で、どれが応用だという
境界はない』ことを意味します。
要するに『基礎から応用へ』と順番に学習させようという教育は、
そもそも人類の知恵のあり方と合っていないのです」
「大海原を航海するのに『この航路だけが唯一のルートだ』というものがないように、
『これを学ぶにはこのアプローチしかない』ということはありません」
「初めは自由に学んでなれ親しむ。その後、深くきわめたいと思った時に、初めて
『自分が基礎だと思うこと』を徹底的に磨く。
このほうがよっぽど自然で、その世界に入りやすいと僕は思うのです」
当たり前だと思い込んでいることって、それを守ることで、
失っていることがたくさんあるのかもしれない……。
本当に大事なことにまっすぐ向かったとき、
守るべきと思ってきたあれこれを、一度壊す必要があるかもしれないんだなあと改めて思いました。
そして、「あれ? 違うかもしれない」と感じたとき、
既存の価値やルールから「外れる」という勇気を持てる人になりたいなあと思います。
みなさま、今日もいい1日を