皆さま、こんにちは。
ライター塾6期生の川阪果奈です。
この連載『カナのお暇』では、私の退職話を漫画『凪のお暇』に重ねながら、人生リセットストーリーとして綴っています。
さて、私が現在ハマっているドラマ『波うららかに、めおと日和』がもうすぐ最終回を迎えてしまいます。
昭和11年を舞台にしたハートフル・昭和新婚ラブコメであるこのドラマ。ちょうど朝ドラ『あんぱん』で少し先の時代が描かれているので、朝ドラを見ながら、なつ美と瀧昌(めおと日和の主人公)の行く末を案じて涙を流す・・・というわけのわからないことをしております。
そんなドラマ大好きっ子である私が、今から数年前、ドラマの撮影現場に遭遇したことがきっかけで、退職を決意したという前回「episode_1 カナ、九死に一生を得る?」からの続きです。
よろしければお付き合いください♪

私はこのアジサイを「ケイタ マルヤマ」と呼んでいます。
私の損得勘定
ほぼノリと勢いで退職を決めてしまいましたが、その後、退職のタイミングは3月末ということになりました。勤続丸15年になります。
15年って、冷静に考えると長いです。生まれた子が中学校を卒業する年月・・・。
送別会では何を言おうか。もういなくなるのだから爆弾の1つや2つ投げてやろうかと企んでいましたが、私の送別会はすべて中止になりました。
コロナ禍がやって来たのです。
なんだよー。互助会費回収の大チャンスだったのにー。
しかも、送別会もしてもらってないのに、最終日には職場の人全員に何か配らなきゃいけないんでしょ?損だ!
今から思うと、当時の私らしい発想です。
損か得か。当時の私はなんでも損得勘定。しかもそれを賢いと思っていたのです。きゃー恥ずかしい。
それを思い知ったのは私が大損をしたからです。
私、雇用保険の育児休業給付金という大金をふいにしたのです。

当時、CHECK&STRIPE 吉祥寺店のワークショップによく参加していました。針も糸もミシンも苦手なのですが、服を作ることに憧れていまして。
2人目不妊の思わぬ出口
3月の退職間際に第2子を妊娠しました。
上の子とは5学年差となり、すっかり2人目は諦めていたところでした。
「諦める」までの道のりも険しく、色々こじらせ、2人目、3人目の妊婦さんが多い保育園を出入りするのも辛く、退職を決めたことは「諦める」最後の一押しになっていました。
退職することと、子どもは1人で良いと思うことは、相関関係にありました。
2、3人子どもがいて、何度も育休を取って、復帰して、子育てしながら仕事をして・・・。
そんな「当たり前」を手に入れることの難しさから自分を解放し、妊婦さんとすれ違っても何とも思わなくなった頃、突然、身体に異変が。
授からない期間が長すぎたせいなのか、妊娠の兆候もすべて体調不良だと思い込み、妊娠の「に」の字も頭に浮かびませんでした。ネットで検索して3種類ぐらいの病気にあたりをつけ、「産婦人科の予約を取る時は妊娠の可能性を聞かれるので、事前に検査しておくこと」というネットの助言に従って、「妊娠はしていません」と言うために妊娠検査薬を購入。検査をして、はい、妊娠はしていま・・・す?
す?!
検査薬と箱の説明文を何度も見比べて・・・、絶句。こんなことってあるのか?
なぜこのタイミングで2人目?私、会社やめるっつってんじゃん。
喜びよりも怒りと悔しさが湧いてきました。
来るのが遅い!あと半年早ければ退職話も出ず、育児休業給付金付きの長期休業(育児休業)をゲットできたのに。なんでこんなにうまくいかないんだろう。何一つ、思い通りにならない!
今ならまだ間に合う。恥も外聞も捨てて「やっぱりやめるのやめます」って言おうかな・・・。
でもその時、お腹の子が小学生になった未来を想像し、45歳ぐらいになった私が鬼の形相で「お前のせいで会社をやめられなかった」と子どもに言い放つ姿が見えました。
やだやだ。怖い。怖すぎる。でもこのままやめるのをやめたら私はいつか鬼になる気がしました。
既に私は、その片鱗を自覚していました。
長く同じ環境に居続けてしまったために、ぐつぐつに煮詰まりすぎて、真っ黒けになっている・・・。
ただでさえ私は、オニババ化しそうになっていました。
思い通りにならないと憤っているけど、そもそも、何が「思い通り」なのか?それもわかっていないのに、「思い通りにならないこと」ばかりでイライラ。
何かを変えなければ、この状況が悪化することだけはたしかでした。私は自分をどんどん嫌いになってしまう。
私が何より嫌だったのは自分自身。変わりたい。変わりたかったのです。

これが出来上がったチュニックです。このポーズはプリキュア?
友人の一言
それでも、育休を取らずに退職したことは、経済的、心理的ダメージが大きく、退職後も自分を許せませんでした。何かものすごく大きな間違いを犯したという罪悪感でいっぱいでした。
妊娠中に退職するなんて大損も大損。賢い人なら育休取ってからやめるよね。
コロナ禍で妊娠中で・・・、あのまま我慢して勤めてりゃよかったよね。私のバカバカ。
退職後に、後悔と自分責めを友人に吐露したところ、こんなことを言われました。
「その子は、損得のないところに来たんだね」。
・・・損得のないところ?それはどういう意味?
友人の言葉は、私には思いもよらない言葉で、理解するのに時間がかかりました。
私は、赤ちゃんが来るのが遅い!と憤っていたけど、私が損得を捨てたから赤ちゃんが来てくれたってこと?
今まで、私が、赤ちゃんを待たせていたということ?
―待たせていたのは、私の方?
なんてこったい!
赤ちゃんは、私が会社をやめるから来てくれたのか。そりゃあ、ぐつぐつに煮詰まってる鍋の中で真っ黒けになってる私のところに来たい赤ちゃんはいないよね。あはは。友人を前に笑えてきて、ようやく妊娠が「正しい」ことだと思えました。
そうかあ、これでよかったのかも?いや、こうなるしかなかった?
私の中で、合理性の矢印が動いていくのを感じました。
合理的で効率的で賢い、こうすべき、こうなるべき、これが一番正しいという方向を示す矢印が、ぐるぐると新しい方位を探そうと回り始めました。

初めて作ったのは自分の服で、このサフラン色のスカートでした。生地の名前は「海のブロード」。素敵な名前ですね。
賢い生き方
私が賢い生き方だと思っていたのは、損得勘定で損を最小化して得を最大化する生き方のことだったんだ・・・。
私が苦しかったのは、損得勘定でがんじがらめになって、身動きが取れなくなっていたからだと気づきました。
賢く生きようとして、自分の首を絞めていたとは!
仕事は100%お金のためで、それ以外の目的は無く、人のために何かをしよう、世のため、誰かのために役に立とうという気持ちはなかった。15年勤めていたのは、新卒入社の既得権益が惜しくて手放せなかっただけ。
漫画『凪のお暇』の凪ちゃんが、モラハラまがいの元カレ・慎二と3年も付き合っていたのは、彼が好きだったからではなく「営業部のエースで出世頭でみんな大好きな我聞慎二くん」だったからだと、自分の打算に気づいたのに似ています。
仕事ができて人気者の慎二は将来性もあるし、実家も(外見は)立派。こんな人と結婚したら、厳しいお母さんも自分を「幸せ」だと認めてくれるだろう・・・。
それはとても合理的で賢い生き方のように思えるし、実際、とても良い選択なのだろうけど、凪ちゃんの本心ではなかった。お暇の中で、慎二のことは好きじゃなかったと気づくのです。
私も、自分の本心を見て見ぬふりをしていました。私が欲しかったのは、2人目の子どもでもなく、お暇。休業。会社に行かない生活!
それを先に、本心で望むことを自分に与えたら、後から2人目がやってきたというわけです。
順番はちゃんと決まっていたのかもしれません。

このロンパースもワークショップで作りました。寝る前の試着会です。
スタンドバイミー
「なんだ。そんなことか」。
こんな時は、ドラえもんの声が聞こえてきます。
だいたい、君ってヤツはいつもそうだ。
何一つ、思い通りにならないって言ってたけど、自分の「思い」を無視していたんだから、思い通りにならなくて当然じゃないか。
お腹の赤ちゃんが小学生になった時、45歳ぐらいの君がニコニコしていられたら、君の選択は正しかったってことだよ。
だから、この選択を正しいものにするのはこれからなんだよ。のび太くん!
・・・ど、ど、ど、ドラえも~ん!
心のドラえもんは、いつものび太くん、いや、私の味方です。Stand by me 、ドラえもん。
目先の損得に囚われて、後悔と自分責めの最中に、自分が変われる糸口を見つけた気がしました。
続く

緊急事態宣言中、義理の両親が奈良の帯解寺で安産祈願をしてくれました。この腹巻は今も愛用しています。