どこかにひっそりと隠れている「私はここにいます。誰か見つけて!」
という思いを、誰かにお届けするお手伝いができれば……と始めたコンテンツ、
「私を見つけてプロジェクト」。
今回ご紹介するのは、所千春さんです。
届けたいのは、今年2月に立ち上げたばかりの「おしゃべり」なのだとか。
えっ、おしゃべり?
なんだろう、それ?
このプロジェクトに応募いただいた時、
所さんとは一体何者なのか?
何をする人なのかがさっぱりわかりませんでした。
むむ〜。これは、ちょっとご紹介するのは難しいかも……。と正直思いました。
でも、お話を聞いてみないと本当のことはわかりません。
まずは、どんな方なのかお会いしてみようと、zoomでのお打ち合わせを設定したのでした。
そして……。
zoomを繋いで、画面に所さんが現れたとたん……。
なんと、彼女は泣き出してしまったではありませんか!
ええ〜〜っ?
どうした?
わあ、これはめちゃくちゃ繊細な方なのかしら?
ご紹介するのは、やっぱり難しいかしら?
と、ちょっと引き気味で、お話を聞き始めた、というのが本当のところです。
でも…….
つっかえつっかえ、一生懸命に話してくださる
ひとつひとつの言葉に耳を傾けているうちに、
すっかり、彼女の世界に引き込まれていました。
ああ、なんてピュアで透明感に溢れる、
なんて、少し触れるだけでアンテナがピピっと触れる感度の高い方なのだろう……って。
「今は、不確実性のジャンプのときなんです」
と所さんは語ります。
自分は誰なのか?
何をしたいのか?
何ができるのか?
それがなかなかわからなくて、苦しくて……。
43歳になった今、ようやく光が見えてきたかもしれない。
まだ「かもしれない」というときなのだけれど、
そんな不確実性の中でジャンプしてみたい、
と今回応募くださったというわけです。
「私はここまで、見えない、言葉にできない辛さや苦しさがあって
それが何なのか、修行のように探し続けてきました。
そして、やっと見えてきた光がある。
ようやくここまで辿り着いたかもしれないと思える……。
生きてきた真ん中で、ガラッと景色が変わり始めているので、
『よく頑張ってきたな、私』という思いで、
今、涙が溢れているのだと思います……」
と語ってくれました。
そんな所さんが、新しく始めたのが「おしゃべり」という活動なのです。
活動の名前は「そのまま」と言います。
「そのまま」で「おしゃべり」する???
どんな活動なのか……を説明する前に、
まずは、所さんご自身のことをご紹介します。
というのも、この「そのまま」の「おしゃべり」は、
所さんでなくてはできないもの。
所さんの人生そのものから、やっと産み落とされた活動なのですから……。
何がそんなに辛かったのですか?
と聞いてみました。
「当たり前の家庭で育ったはずなのに、
ずっと生きづらさを感じていました。
DVがあったとか、食べられないとか、そんな被害はないし、
衣食住には困ったこともないし、
ちゃんと育ててもらいました。
でも、ずっと感覚の底あったのは、家族に私の言葉が届かないということでした。
家族の中で私だけが価値観や思うことが違い、ずっと苦しかったんです。
そして、私が私でいられる居場所がない、と感じ続けていました。
でも、同時に苦しいと思ってはいけない、とも思っていたんだと思います」
それは例えばどんなこと? と聞いてみると……。
「たとえば、小学校1年生の時に、学校ですごく嫌なことがあって、泣いて……。
先生や友達も私のことをわかってくれたのですが、
それを家で母に話した時に、返ってきた言葉が
『あなたが何か悪いことをしたんじゃないの?』でした。
私は、「それは、辛かったね」と一言言って欲しかっただけのに……。
ああ、親には私のことは受け取ってもらえないんだ、と感じたのを覚えています」
親との確執は、誰にでもあるもの。
私も、権威主義で、人の目ばかり気にする両親に
「優等生でいなさい」育てられ、
それが嫌で、駆け落ち同然に結婚して家を飛び出したので、
所さんの気持ちが、ほんの少しわかります。
でも、とことんピュアな所さんは
親御さんから逃げられなかった……。
「結局、私自身が自己肯定感が低くて、
親から離れればいいのに、離れられなかったんです。
私の『そのまんま』を受け取って欲しいのに、受け取ってもらえないから、
ずっと、私ではない何者かになろうとして、
苦しくなってしまっていました」
養護教員の免許をとり、埼玉県の学校で保健室の先生として働いていたという所さん。
「元々は山口県の生まれで、父の転勤で埼玉県に行きました。
父の退職を機に社宅を出なくてはいけなくなったとき、
これを逃したらダメだ、と実家を出て埼玉で一人暮らしを始めたのが
29歳の時です」。
やっと親から離れて自由になったと思いきや……。
「どんな時にも、常に親への罪悪感があったんです。
『親ののぞむとおりに、なれない・できない自分」
『周りの人は、親とうまくやっているのに、できない自分』
などなど……。
どんな時にも勝手に親に縛られていて、
自分を責めていたんですよね」。
そんなとき出会った今の夫と結婚。
夫の故郷、長野県に引っ越しました。
今は小学校5年生と3年生の娘さんのお母さんでもあります。
「夫に『母にこう言っても、言葉が届かないのはどうしてだろう?」
と言うと、同じ場面を見て「俺もわからないなあ〜』
と言ってくれました。
私のことを、肯定してくれる存在がやっとできた、
と思いましたね。
やっと一歩外に出られたかなと感じたんです」
でも……。
長野県で暮らしたいなんて全然思っていなかったそう。
「『あなたのせいでこっちで暮らさなくちゃ行けなくなった』
なんてブツブツ言っていましたね」と笑います。
長野県に引っ越しても、保健室の先生をやるつもりでしたが
妊娠と重なったりと、タイミングが合いませんでした。
「保健室の仕事は大好きだったのですが、
ふと振り返ると、人生の選択を母や家族のフィルターを通してしか
してこなかったのかも……と考えるようになりました。
今度こそ、自分で選択してやってみよう、思ったんです。
でも、何をやったらいいかわからない……」
そんな時、整理収納アドバイザーの本多さおりさんの本の中で
一つの言葉と出会います。
「彼女が、『自分が何をしたらいいか』と迷った時に、
『当たり前にやっていること』を探してみればいい、
と書いていて。
私の当たり前って何だろう?と考え始めました」
人は、つい「自分ではない誰か」になりたいと考えるけれど、
本当にやりたいことは、得意なことは
いつも気が付かないうちに「やっちゃっていること」の中にある……。
これは、私もこれまでの人生の中で、何度も感じてきたことでした。
無理して、努力して、頑張ってやることの中でなく、
気づいたらいつも「やっちゃっている」こと……。
そんな無意識の中でやっていることこそ、
本当の自分の力なのだと……。
こうして、所さんが「どこか」ではなく、
「自分の中」にあるものを掘り、
やっと探し当てたのが「おしゃべり」だったと言うわけです。
「私自身が、もがいて生きてきた中で、
私のようなモヤモヤや、見えない思いを言葉に変換してくれる人がいたら、
もっと生きやすかっただろうなあと思うんです。
だから、私との『おしゃべり』の中で、
その人のモヤモヤが見えてきて、
目の前にいる人がちょっと楽になってくると、
そういう時間が私にとってもとっても嬉しい。
モヤモヤの正体を『あ、見つけた!』という瞬間は、
体の足先から頭の先へす〜っと何かが抜けていく感覚が会って、
爽快感に満たされます。
そんな体験を、誰かと共有できたらいいなあと思って」。
なるほど。
やっと、所さんの「おしゃべり」の本質が見えてきました。
次回はその内容について、もう少し詳しくお聞きしてみます。
正直な言葉で綴る所千春さんのinstagramはこちら
@sonomama.123
撮影/清水美由紀