【モヤモヤ女の読書日記】私に効く本、いただきます「本を読むための旅」梅津奏

「それ、もう置きなよ。メール読んだってどうしようもないでしょ!」

夢中で業務用スマホをスクロールしていて、急に横から飛んできた鋭い言葉にびくりとする私。ここは羽田空港、今日は有給休暇をもらった金曜日です。

やり残してきてしまった仕事、置いてきた後輩たちがどうしても気になって、ついついメールチェックしてしまう悲しい会社員。でも友人の言う通り、メールを見たってできることはほとんどないし、ちゃんと引継ぎもしていきたわけで、今日はしっかり休むのが私の仕事……。

覚悟を決めてバッグの奥にスマホを押し込み、「うめちゃん、いこおおおお!」と絶叫する友人娘の手をとって、とっとと飛行機に乗り込むことにしました。

 

水田と雲と空。

ずっと楽しみにしていた、山形への女三人旅。東北が一年で一番過ごしやすい季節に、疲れた心と身体を休めようという企みです。

旅の目的は、「スイデンホテル」に泊まること。その名の通り、水田のど真ん中に建てられた滞在型ホテルです。

晴耕雨読の時を過ごす
田んぼに浮かぶホテル

どの部屋からも広大な水田風景が一望でき、館内には2種類の温泉とジムが。ホテルにいる時間をめいっぱい楽しむための、幅允孝さん率いるBACHディレクションの館内ライブラリー、子ども向けの遊び場「KIDS DOME SORAI」。山形県地産地消の食材をふんだんに使ったレストランに、同じく山形県のワイン・日本酒を各種取り揃えたセルフバーまで完備。

仕事と育児でへとへとな友人、遊びたいが元気スイッチが切れやすい2歳、本が読めれば幸せな私。3人のニーズを全て満たす旅を……と考えて決めたのが、こちらでの二泊三日の滞在でした。

ホテル内ライブラリーといえば箱根本箱や松本本箱が有名ですが、実はまだ行ったことがない私。ホテルに到着早々「探検しよう!」と2歳児をたぶらかし、ライブラリーを突撃です。

スイデンホテルには、来訪者が誰でも入れる共有棟ライブラリーと、ホテル滞在者限定の宿泊棟ライブラリーの二つがあります。暮らしや生き方、自然・未来を考える17のテーマに沿ってセレクトされた本たちは、この静かでナチュラルな空間にぴったり。座り心地の良いソファやいすが並んでおり、本は部屋に持ち帰ることも可能です。

共有棟ライブラリー。テラス席もあります。

子ども向けの本も充実。

宿泊棟のライブラリーは2つの部屋に分かれて。

座り心地のよい椅子。

 

おいしい街と本と人』(今江祥智/幻戯書房)

「今の自分が求める本と出会おう」

そんなフラットな気持ちで本棚を見ていて、目に留まったのがこちら。童話・絵本作家の今江祥智さんのエッセイ集です。

ふだん子どもの本になじみが無く、今江さんのお名前は知っていても作品を読んだことはありませんでした。それでも、少しざらりとした手触りの優しい白のカバーにグレーがかったパステルカラーの題字、独特の余白を残した表紙のデザインになんだかグッときて……。

手に取ってそのままソファで読み始め、横で不思議ダンスを始めた2歳を軽くいなしながら(ごめん)あっという間に読み終わってしまいました。

大阪の商人の家に生まれ、早くに父を亡くした少年時代。中学校の英語教師として働くも、戦後教育に嫌気がさして上京。福音館書店で児童書のレジェンドたちに囲まれて編集者として働いた後、児童書作家として名を成していく今江さん。

本書では、今江さんの半生で出会ってきた街と本と人の「おいしい話」が軽妙洒脱な語り口で綴られています。

 

―だし採りの稽古も無駄になりませんのや。それが基本(すべ)ての基本、まあ文学でいう「詩」みたいなもんさかいに……。
わたしはとにかく黄色の詩をつくることが出来たのであった。――『おいしい街と本と人』より

離婚したことで、娘のために家事をする必要に迫られた今江さん。食べるのは好きだが台所に立ったことがなかった今江さんに授けられたのは、元板前の友人による「だしまき卵さえ出来たらなんでも作れる」という“呪文”。“魔法使いの弟子”になりきり練習すること二日。なんとかかんとか、かっこうのつくだしまき卵が完成。

シンプルな卵焼きを、「黄色い詩」と呼ぶ作家の感性。苦心の末に出来上がっただしまき卵の、ふんわりと湯気を立てる実直なたたずまいが目に浮かんできます。

 

「オトナもコドモ コドモもオトナ」ライブラリーの本にはすべて蔵書印が。

 

いつかこの一冊がどこかの古書店に出て、誰かが気紛れに買ってくれて、ふっと読んでくれたとき――その本のむこうにこちらのまなざしを感じてもらえるか、どうか。――『おいしい街と本と人』より

私にとって本は、「情報」ではない。

本を閉じ、目を上げた先に広がる一面の田園風景。そのさらに先には山並みが、雲と溶け合うようにしてなだらかなカーブを描いています。

ページの向こうの視線とか、においとか、光や影の差し方とか。そんな形にならないものを受け取り、自分の内側と照らし合わせるような読書。板前さんのだしまき卵の作り方は書かれていなくても、シングルファーザーになった作家の疲労と満足がにじむまなざしは確かに伝わる読書。

そんな読書が私は好きなんだ、と東京から遠く離れた水田の中で思い出しました。

初日に借りた本はあっという間に読み終わり、翌朝またライブラリーへ。

どんなに忙しくても、満員電車の中で・会社の食堂で・お風呂で……なんとかして本を読んでいる私です。それでもたまには、本を読むための旅に出るのも悪くない。

こんな時間を持つことで、暴風雨のような日常で本を読むための体幹……「自分の真ん中」を取り戻せるような気がします。スイデンホテルで鍛えた体幹で、また元気に日常に舞い戻ろうと思います。

梅津奏

梅津奏

1987年生まれ、仙台出身。都内で会社員として働くかたわら、ライター・コラムニストとして活動。講談社「ミモレ」、Paravaviで、女性のキャリア・日常の悩み・フェミニズムなどをテーマに執筆。幼少期より息を吸うように本を読み続けている本の虫。本の山に囲まれて暮らしています。

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