この連載「わたしのサードプレイスの見つけ方」は、今いる場所ではない、もうひとつの場所=サードプレイスを見つけて、扉の開け方を紐解くお話です。
今いる場所に大きな不満はないけれど息苦しさを感じている人や、ひとりでがんばりすぎて苦しくなっている人にとって、自分の居場所を見つけるヒントになりますように。
3年半前に教員を退職し、現在はフリーランスのライフコーチとして活動をしています。日々、人の話を全力で聞き、人生に伴走することを仕事にしています。私自身も4年以上コーチングを受け続けていて、月に2回は自分の話を聞いてもらっています。
でも、以前の私は「大人は話を聞いてくれない」「自分の話は聞いてもらえない」と思い込んでいました。
子どもの頃から優等生気質。人にどう思われるか、自分がどう評価されるかをすごく気にしていました。特に大人と話をするときには、顔色を注意深くうかがい、自分の本音はぐっと飲み込み、相手が気に入りそうなことや期待していそうなことを話していた気がします。
大学時代のことです。もともと、教員になりたくて教育学部に進んだ訳ではなく、「家を出たい」という一心で県外の大学で親に認めてもらえる学部として選んだ私。
4年生になり、小中高の教員免許が取れる単位を取得できる見通しがたったものの、卒業後、すぐに先生として働くイメージが全然もてず、かといって他にやりたいことも見つからない。
周りが当たり前のように教員採用試験の準備を始める中、「とりあえず試験だけでも受けてみるか…でもどうせ合格なんて無理だし(当時はとても倍率が高く狭き門でした)どうしようか…」と、ぐずぐず考えていた時でした。
教育実習でのもやもやが、自分の中で尾を引いていたんだと思います。
大学の付属小学校での実習で、一人暮らしをしていた場所から通うことが難しかったので、県外出身の同級生3人で付属小学校の近くの安アパートを短期間借り、ルームシェアをしました。
家事を分担し共同生活をしながら、夜な夜な指導案を書いたり、次の日の授業の準備をしたり…
初めて40人の子どもたちの前に立ち、指導教官の視線を浴びながら授業をする緊張感と、やるべきことが山盛りで睡眠時間を削る日々はすごく大変だったけど、期間限定の3人暮らしは毎日が修学旅行のようでした。
教育実習で、私がもやもやしたこと。
それは、指導教官の先生の厳しいダメ出しでした。夜なべして作った指導案や教材はもちろん、話し方、教室での動き、子どもへの声かけ、目線…とにかく全てを指摘されました。
同級生の中には心が折れて泣き出す人、もう辞めたいと休む人もいました。
実際、教員として働いた経験を経て、今改めて指導教官の先生の状況を考えると、ただでさえ超多忙な仕事を抱えながら実習生を指導するのは並大抵のことではありません。
教育に熱い想いを持った熱心な先生だったと理解できます。
でも、私が特にもやもやしたのは「話を聞いてもらえない」ということでした。
まず、あまり目を合わせてくれない。
質問されたことに学生がしどろもどろ答え始めると、最後まで聞かずにダメ出しが始まる…
実習生の私たちは、自分たちの授業がダメなことくらいわかっていました。ダメ出しされることは覚悟の上。怖くて内心ビクビクしながらも、質問されたことにちゃんと答えよう、言葉にしようとしている。だからとりあえず最後まで聞いて、まず受け取ってほしかった。
あれから20年以上たち、指導教官の先生と同じくらいの年齢になった私も「話を聞けない大人」になってる時あるなぁってもぞもぞしてしまいました。
家族の脱ぎ散らかした服を見てイラっとしている時、夕食の準備にバタバタしている時、自分の心がいい状態じゃない時や時間に追われている時に「聞けない」スイッチが発動します。
子どもが学校であったことや友だちとのこと、話したいことを話そうとしているのに、最後まで聞きもせず「まずあの服片付けてきて、それから続き聞くよ」「ちょっと待って、これ終わってからにして」「もー!今めっちゃ忙しいけん後にして!」と、感じ悪く言っちゃうことも…あぁ、反省です。
初めて話を聞いてくれる大人に出会ったのは大学4年生の時。横浜の大学から、私が通っていた福岡の大学に特別授業をしに来てくれた加藤先生という教授がいました。
夜に先生を囲む飲み会があり、たまたま横の席に座った私。いつもなら優等生気質全開で、授業の感想など当たり障りのないことを話して終わりだったと思います。でも、流れで教育実習の話題になり、誰にも話すつもりはなかったし、相手はその日初めて会って授業を受けた先生なのに、自分が感じた違和感を話していました。
「根性が足りないと言われるかもしれないけど…先生って指導するだけじゃなくて、学生がどんな顔して自分の話を聞いてるか、どう思ったか把握することも大事じゃないですか?」
「指導は全部正論で、先生が正しいってわかってるけど…自分たちが良いところはひとつもないって言われた気がしました。」
「泣いてる友だちを見ると、めちゃくちゃ子どもたちが大好きなこと伝わってたし、授業受けてる子どもたちはすごく楽しそうだったと、言ってあげたくなりました。」
別の大学の先生だし、もうこの先会うこともないだろう、もし教員批判をする生意気な学生だと思われても後腐れがない、そんな割り切りもあって話せたのかもしれません。
でもそれ以上に、加藤先生と話してるとどんどん喋っちゃう。本音がぽろぽろとこぼれ落ちる初めての感覚でした。
「ほ〜、そんな風に思ったんだね」
「うんうん、それで?」
「その時どう思ったの?」
まとまりがなく、ほぼ愚痴に近いような他大学の学生の話を、遮ることなく興味を持って聞いてくれてる。ジャッジや否定をすることなく、最後まで話を聞いてくれる大人に初めて出会った瞬間でした。
「認められなくちゃ」「いい子でいなくちゃ」「気に入られなくちゃ」と、自分の本音を飲み込み、本当の自分ではない自分で人に合わせてばかりいると、一体自分は何をしたいのか、何が自分にとって大切なのかわからなくなってきます。
相手の顔色を伺って、褒められたり認められることをゴールにして話したのに、最後まで話を聞いてもらえなかったり、少しでも否定されると「自分の何が悪かったんだろう」「やっぱり私はダメだ」って不必要なほどに落ち込むし、もやもやし続ける。
話を聞いてくれる大人、本音で話せる先生に初めて出会って「こんな大人いるんだ!」「この先生の元で学んだら何かが変わるかもしれない」と直感で思いました。
そして、加藤先生の研究室で学ぶために大学院を受験することを決意。
親の期待に応えるためではなく、自分が進みたい道に進むため、未来の新しい扉を自分で開くために、初めて本気で勉強しました。
大学院に入ってみると、私の予想に反して同級生はおじさんだらけでした。(おじさんと言っても、今の私と同じくらいの年齢です笑)学校の先生として15年20年と働き、教育に対する熱い想いをもった先生が大学院に学び直しに来ていました。
私は中学から高校まで、同級生の女の子から馬鹿にされたりいじめられたりしてつらかった経験から、同世代の同性との関係づくりに苦手意識があったので内心ほっとしつつ、教育実習の指導教官と同世代の教育に熱い先生ということで、また色々と指導されるんじゃないかと様子を伺っていました。
「○○先生、よろしくお願いします」とあいさつした私に「ぼくら同級生なんだし先生なんて無し無し!お互い『さん』付けで呼び合いましょう」拍子抜けするほどに明るくて気さくな2人。
言われた通り、OさんTさんと呼ぶことにしました。
新入生歓迎会の居酒屋で、ほとんどがビールを頼む中、Oさんが何やら透明の液体に薄い赤色のぶよぶよしているものを箸の裏でうれしそうに潰しているのをみてギョッとしました。
「Oさん、それ何ですか…?」
恐る恐る聞くと「焼酎の梅干し割りだよ〜。これ、大好きなんだよ。」
焼酎の本場福岡で大学時代を過ごし、実家の祖父や父も晩酌には必ず芋焼酎を飲んでいた家庭で育ったので、初めて見る飲み方にびっくり。
「梅干し割り…。初めて見ました。焼酎ってそのままかお湯割りが美味しくないですか?」と、正直な気持ちを言ったら(さすがに見た目がいまいちと言えなかった)
「そりゃそうだよ。でもさー身体に優しいし見た目はこんなだけど美味しいんだよ。1回騙されたと思ってやってみな。焼酎にうるさい九州の頑固なおじさんみたいなこといわないでさ!」
焼酎にうるさい九州の頑固なおじさん…確かに。
本人が好きなように飲んだらいいし、何で割っても何を入れても自由なはず。当時22歳の私は、飲み会で何を飲むか、どんな飲み方をするかさえも、周りに合わせなければならないと思い込んでいたことに気がつきました。
もう1人のTさんは横浜のベイエリアに詳しく、中華街で研究大会の打ち上げがあった時に二次会でOさんと私をみなとみらいの素敵なバーに連れて行ってくれました。
カクテルのうんちくを聞かされるのかな〜と予想していたのに、奥さんにいつも怒られていること、娘と話したいのに返事もしてもらえないことを面白おかしく話してくれるTさん。Oさんも、家族旅行の話やTさんと共通の趣味であるスキーに今年はいつ行くかで大盛り上がり。
そんな肩の力が抜けた大人たちを見て、私も自然と大好きな旅の話、中学高校時代に人間関係で悩んでいたけど親や先生に話せなかったこと、そして教員になるか迷っていることを正直に話すことができました。
「まずは大学院の2年間を楽しむ!先のことはそれから考えればいいじゃん。こんな自由な時間、もう一生来ないかもしれないよ。」
研究に家族との時間に遊びに!今を全力で楽しんでいる背中を見せてくれるふたりの大人の一言にハッとしました。
私が3杯目を頼もうとすると「もう帰ろう!また怒られちゃうよ」
ふらふらのおじさん2人にタクシーを拾ってあげると、まるで柔道の受け身を取るかのようにごろんと転がり込んで、かろうじて行き先を告げ、すぐに寝落ちして帰って行きました。
「先生」だって「大人」だって怒られるし、娘には話も聞いてもらえないんだ。好きなこと思いっきりして酔っ払って寝落ちする、普通の人間なんだよな。
加藤先生、Oさん、Tさんのおかげで、私の大学院生活は最高に楽しく充実した二年間になりました。
手のかからない大人にとってのいい子でいたけど、本当は勉強が好きじゃなかったし、勉強する意味を親や先生に認められること以外に見つけられなかったこと。中高生の時、同級生の1人からいじめられていてすごく傷ついていたけど、心配かけたくないし、いじめられている子と思われることが恥ずかしくて誰にも言えず、何食わぬ顔で休まず学校に通っていたこと。
話を聞いてもらえなかったんじゃなく、心を硬く閉じていて、話をしてこなかったということに気づきました。
「大人に認められなきゃ」「期待にこたえなきゃ」と勝手に思い込み、こんな私はダメ、こんなこと思ってはいけないと1人で抱え込む。先生になる人は、子どもが好き、勉強が好きで、学校生活をエンジョイした経験を持っている人がなるべきで、私なんかが先生になってはいけないと思っていました。
でも、話を聞いてくれる大人たちに出会い、心をオープンにして自分の本音を話せたことで、こんな私だからこそできることがあるのかもと思えるようになりました。
子ども時代の私のように、本当は誰にも言えない悩みを抱えている子、優等生気質で頑張りすぎてひとりで抱え込んでしまう子に気づいて、大人の私から心をオープンにすればいい。悩みを解決することはできなくても、話を最後まで聞くことならできるかもしれない。
そう思えたことで、教員採用試験を受けようと決めました。
加藤先生やTさんOさんに久しぶりに会いたいです。
3児の母になったこと、教員として素晴らしい出会いに恵まれたこと、退職してライフコーチとして活動していること。梅をつぶしながら飲む焼酎の魅力はまだ理解できないけど、好きなものを好きなように飲みながら話を聞いてもらいたいし、私も話を聞きたいです。
次は、新しい扉は自分で見つけなくても見つかることもある、ということについて書いてみようと思います。
まとめ
・話を聞いてもらえないんじゃなく、そもそも話をしていないのかも
・人の話を聞くことで自分の思い込みに気づける
・もやもやしたら、安心できる人を見つけて心をオープンにして話してみる