皆さん、こんにちは。ライター塾7期生の松山です。いよいよ連載も最終回となりました。つたない言葉で、伝えきれない想いを伝えようとした2年6カ月でした。読んでくださって本当にありがとうございました。私が今日まで書き進むことができたのは、ひとえに読んでくださる方、そして、ずっと応援してくださった人がいたからでした。最後はそんな皆さんお一人お一人への感謝の気持ちも込めて「ありがとうの本当の意味」を書こうと思っています。皆さんは、「ありがとう」の本当の意味を知っていますか?最後の方に書こうと思っています。良かったら是非おつきあいください。
生きるとは死ぬまで生きること
いつかの年の暮れのことでした。
「ねぇ、あのさ、今年を漢字一文字で書くとしたら、パパは、何?」と聞く私に、
彼は間髪入れずに、生きるの「生」だと言いました。「ふーん、そっか。やっぱそうよね。じゃあ、パパにとって「生きる」とはどういうこと?」と続ける私に、
「生きるとは・・・死ぬまで、生きること」
と、澄んだ目なのにどこか強さもあるような、とても不思議な目で彼は言いました。その時の彼の目が私はどうしても忘れられないでいます。一瞬私の喉が詰まったことも。少なくとも、死を覚悟したことのある人や、それを目にしたことのある家族にとって、この言葉は、ものすごく重いものです。その言葉の中にある深さや濃さ、悲しみ、彼がそこに行き着いた意味に、常に死を覚悟しながら生きるということの真実が垣間見えるからです。
有言実行な彼は、まるで純粋無垢な少年のように、彼の鼓動が止まるその日まで、ただただ、ひたむきに生きた人でした。病気になってもなお、自分ができることを懸命に探して生きようとするその姿は、圧倒的に美しいものを宿していたし、家族をはじめ「大切だと思う人を大切にする」という、どこまでも彼らしい優しいスタンスは、最後まで変わることはありませんでした。元々が心の芯がとても太い人だったけれど、さらに強靭な人になっていきました。それに反して私はというと、彼が病を得るまでは、とても弱い人間でした。いつも彼に守ってもらって、助けてもらって、許してもらってばかりの人生。驚くほど一途に想ってくれる人に、たまたま15歳という若さで見つけてもらったという幸運だけで生きてきたようなアンポンタンな人でした。そしてそのせいで、ほんものの甘ったれになっていました。
この連載を読んでくださった方から、「私は、みゆさんのように強く頑張る自信がない」と言われたことがあります。でも、ほんとうは私ほど弱かった人間はいなくて、それはもう桁はずれというか途方に暮れるほどでした。人の何倍も後悔しだしたら止まらないし、前を向けと言われようものなら、まるで天邪鬼のように、余計に前を向けない。でも、そんな風に人一倍弱かったからこそ、自分がなんとか頑張れるような、特別なことをしないといけなかったわけで、そんな時に思いついたのが、この「幸せな方の椅子」という考え方だったのだと思っています。
結局私達は、「なんで私達にこんなことが起こるのですか?」と思うような悪いことにみまわれて、人生に背を向けられたような気がしても、パパが言ったように最後まで生きるしかない。そして、人生に対して「どうして?」と問うても、その答えが返ってこないのなら、本当は自分達の方が「人生に問われてる」のかもしれません。
「さあ、こんなことがあなたに起こったよ。どう生きる?」
そんな風に問いを投げかけられてるのは、実は私達の方なのかも。もしもそんな風に、自分達の方が人生に問われているとすれば、人生は決して私達に背を向けたわけではない。むしろ見守ってくれているはず。そして、そんな風に気持ちを切り替えることができた時、必ず人生というものは、私に優しいヒントをくれたように思います。私の場合はやはり、幸せな方の椅子に座って幸せになろうとした過程の中に、その生きるためのヒントがたくさん落ちていました。
砥石(といし)
私達家族の物語も、決して特別な話ではないと思っていて、しいて言えば、ごくごく普通の家族に「たまたま」大変なことが起こってしまったというだけです。
大変なことって包丁などを研ぐ「砥石」のようなものかもしれません。砥石で心を削られている時は、それはもうたまったもんじゃないぐらい痛いんだけど、いつのまにか、全く刃が立たなかったものが、スッと切れるようになる。そんな砥石を私達は受け取ってしまったのかもしれませんでした。もしも私が10数年前よりも強くなっているように見えるとしたら、その砥石のせい。でも、まるで決死隊の隊長のごとく、人生というものに切り込んでいったのは、圧倒的にパパの方だったし、息子もかなり小さな頃から、パパの背中や我が家に起きた出来事の中で、少しずつ何かを学んだことで、しなやかな強さをもつ青年に育ったような気がします。
人は本当にいろんなことを背負って生きていかないといけません。昨日までは身軽だったのに、今日突然、どう触れていいのかも分からないような出来事に触れてしまうこともあるし、たとえ自分には起こらなくても、大切な人や近しい人、友人や同僚に起こることもあります。そうやって人に起こってしまうことは、たとえすごく似ていたとしても、そして共通していることがあったとしても、その痛みや悲しみは、その人だけのもの。どれ一つとして全く同じ痛みや悲しみなんてないから、結局のところ、私が言えることと言えば、世界中には沢山の家族が存在しているけど、「こんな家族もいたよ」ってことだけかもしれません。
なので「そう言われれば、幸せな方の椅子とか、なんとかかんとか言ってた人がいたっけ?」
なんて、ふと思い出してくださるだけでも嬉しいなと思います。ただ、あわよくば、今の私の精一杯で書いたことを、もしも未来まで連れていってくださるかたがいたとして、そして、いつの日か、なんらかのカタチで「幸せな方の椅子」がその役割をわずかでも果たす時がくれば、本当にしあわせだなと思います。
ありがとうの本当の意味
「幸せな方の椅子」を目にとめてくださり、読んでみようと思ってくださって、本当にありがとうございました。実は、文章を書いていく中で、過去の事実や自分の心模様を、ギリギリまで正確を期して書こうとしながらも、誰かに伝えるという使命をおびた時には、明確に言語化しない方が美しいものがあるかもしれないことや、言葉ではとても太刀打ちできない真実があるということを、認めざるをえない日が沢山ありました。それでも私はやっぱり、自分の心の奥底にある目に見えない感情を、そっと取り出すことを、これからもあきらめないでいようと思います。それは目に見えないものを、もしも言葉にできたなら、こんな風に誰かに手渡すことができるから。なので、どこかでまたきっと、お目にかかれることを夢みて、これからも言葉を紡いでいこうと思います。
最後になりましたが、伝えたいことを書く場として、こんなにも暖かな場をくださっただけでなく、ずっと力を貸し続けてくださった一田憲子さんには、本当に心よりお礼申し上げます。
パパへのお手紙をもって、筆を置こうと思います。
パパへの手紙ではありますが、これまで読んでくださった全てのお一人お一人へ
「ありがとう」の本当の意味を込めて書きます。
ありがとうの本当の意味
パパ、あのね、「ありがとう」の本当の意味って知ってる?
ありがとうの本当の意味はね・・・・
「あなたのおかげで 私は幸せです」って意味なんだって
パパが「もっとずっとずっと幸せにしたかったんだけど、ごめんね」って
珍しく泣きそうな顔で言ってくれた夜があったでしょう?
でもね、私はこれからもずっと
今日も明日も明後日も・・・
パパに「ありがとう」って思ってると思うんだよね
ってことはさ・・・
「今日も明日も明後日も私は幸せです」ってことじゃん?!
それってすごいよね
パパがいてくれたから、私は幸せだったよ
その「ありがとう」は消えないし、消せないし、私がぜったい消さない
だから私は永遠に幸せなんだなこれが
それに今日もパパはあっちこっちで見守ってくれてる気がするよ
ありがとう ありがとう ありがとう
私は何度でもそう思いながら生きてくね
あなたに愛されていたことを思い知りながら
頭のまんなかとか、胸のまんなかを
じーんとさせたりしながら
そして私があなたを愛したという事実も思い知りながら
生きてくね
本当にありがとう
あなたがいてくれたから・・・
私はしあわせです
そして・・・・・
永遠のしあわせを
「ありがとう」
☆彡☆彡☆彡
それでは皆さん、どうかお元気で。
(あ!でも、もしも元気がなくなっても大丈夫ですからね。そんな時こそ、幸せな方の椅子ですよ~♪ ためしに何度でも思い出してみてくださいね。)
本当にありがとうございました。