ここ数年、自分のテーマにしているのが「越境」です。
ビジネスや教育の世界で「越境」とは、所属しているコミュニティから出てみること、新しい経験や学びをとりに行くことを指します。ミドルエイジのキャリアを考える本を紹介している書評記事でも、越境学習をテーマに書かせてもらったことがありました。
40歳からはすすんでホームとアウェイを行き来する!読者インタビューからも見えてきた「越境学習」のススメ
もともと内にこもる性質で、ザ・コンサバな生き方をしてきた私。読書が好きなのも、本を読んでいると物理的にバリアになるということが実は大きい気がしています。
地方都市の中流家庭に生まれて、地元の公立校にトントントンと進学。多くの地方人にとって最初の「越境」チャレンジである大学進学も、地元の国立大学に推薦入学。さすがにそろそろ実家を出たいと思い東京の会社に就職しましたが、勤め先は巨大なJTC(=Japanese Traditional Company)。
経歴を説明すると、「順当な人生だねぇ」と呆れたように言われます。きらびやかではないけれど、順当で穏当。安全な場所でほどほどに働き、身の程を知り多くは求めず、本さえ読めればだいたいOK。それが私の人生だと、アラサーで既に悟り切ったような気持ちになっていました。
そんな私を変えたのが、コロナ禍。
コミュニケーションの機会が激減、または形を変え、働き方のスタンダードが急激に変化しました。スーツ着用での週5日出勤や会議室での打ち合わせ・ハンコ仕事やペーパーワークなど、「変わるわけがない」と信じていたものがあっけなく変わっていくことに、私は心底びっくりしました。
同時に「人生100年時代」というコンセプトが広がっていき、雇用形態や評価制度など勤め先の人事制度もどんどん見直されていきます。
自分がすっかり悟った気でいた「社会の成り立ち」が音を立てて崩れていくことを目撃して、私が感じたのは恐怖と解放でした。
「自分はこのままでいいのだろうか」と「自分にはもっとできることがあるかもしれない」という裏表の感情がエンジンとなって、講談社の〔ミモレ編集室〕というライター講座兼読者コミュニティに参加したことをきっかけに、約3年かけてライター・コラムニストとしての活動を開拓してきました。
そして10月から、正式に副業として執筆活動ができることに!
実は、私の勤務先はずっと副業禁止でした。なのでこれまでの執筆活動はすべて無報酬。いわゆる「趣味」でやっているという取扱いになっていたのです。
しかし今年、勤務先がついに副業を解禁。狂喜乱舞しながら私も申請し、めでたく認可をもらったという次第です。やっと、やっと、ここまできました……!
とはいえ会社仕事はぶっちゃけ苛烈を極めており、忙しすぎて副業認可の喜びにひたりきれないまま9月も後半に。やっと感慨にふけることができたのは、この本を読み返したことがきっかけでした。
『地球に散りばめられて 』(多和田葉子/講談社文庫)
ドイツ在住の小説家・多和田葉子さん。
大学卒業後にドイツに渡り、現地の大学で修士課程と博士課程を修了。1987年にドイツ語と日本語それぞれで執筆した詩集を出版してデビュー。以来、2言語で創作活動を行っているという異色の小説家です。
大学生のときにアルバイト先の書店で多和田さんの作品を知り、自由自在に時空をあやつる不思議な筆致に幻惑されました。本作は、急に故郷(日本であることが示唆されています)を失いノルウェーに滞在中のHirukoが、同郷人を探すためにヨーロッパを旅することになる物語。Hiruko、彼女に興味を持つ言語学専攻の大学院生、トランスジェンダーのインド人、なぞの寿司職人、彼をかくまう博物館職員……複数の人々の視点で、言語や国籍・性別を巡るアイデンティティの揺らぎが語られます。
留学中に突然故郷が消失し、ふるさとがどうなったのか一切情報が入ってこない状況に陥ったHiruko。彼女は母国語で話したいという願望を持ちながらも、複数の言語を組合せて「パンスカ」という独自の言語を創り出します。
彼女の顔は、空中にある複数の文法を吸い込んで、それを体内で溶かして、甘い息にして口から吐き出す。聴いている側は、不思議な文章が文法的に正しいのか正しくないのか判断する機能が停止して、水の中を泳いでいるみたいになる。これからの時代は、気体文法が固体文法にとってかわるのかもしれない。――『地球に散りばめられて』より
日本語、英語、フランス語、中国語、イタリア語、ドイツ語……。世界にはたくさんの言語があり、さらに一つの言語の中に方言もあり、さらに業界や企業などコミュニティ特有の「社会的方言」みたいな言語も存在します。
地理的にも、社会的にも、心理的にも、言語は境界線の役割を強く果たしますよね。複数の言語を扱ったり、言語を混ぜたりするようなチャレンジが、私の目指す「越境」に大きく役立つのではないかとふと思いました。
エスキモーであることが恥ずかしいとは少しも思っていないけれど、一つのアイデンティティで終わってしまうのでは人生にあまりに膨らみがない。――『地球に散りばめられて』より
グリーンランドでエスキモーとして生まれ、奨学金を得てノルウェーにやってきたナヌークという青年。言語の天才である彼が、複数の言語を習得すると共に複数の「顔/キャラクター」を使い分けるようになる様子を、なんだかそのまま自分のこれからのキャリアに投影してしまいました。
自ら「越境」するキャリアは、なんだかとても大変で、そして面白そう。境界線を踏み越えて、複数のアイデンティティで人生をふわっと膨らませていきたいと思います。