「わたしのサードプレイスの見つけ方」〜自分次第で選択肢は広がる 後編〜木山理絵

この連載「わたしのサードプレイスの見つけ方」は、今いる場所ではない、もうひとつの場所=サードプレイスを見つけて、扉の開け方を紐解くお話。

今いる場所に大きな不満はないけれど息苦しさを感じている人や、ひとりでがんばりすぎて苦しくなっている人にとって、自分の居場所を見つけるヒントになりますように。

前回は、厳しい実家で育ち、小さい頃からずっといい子で過ごしてきた私が、心の奥底に蓋をしていた自分の本心に気づいて、そこから抜け出そうと県外の大学で一人暮らしを始めたこと。
それなのに、期待していた「自分の居場所」が見からなかった…そんなエピソードを書きました。
今回は、その続きのお話です。

 

旅との出会い

大学生になりしばらくして、幼馴染と格安パックで韓国旅行に行くことになりました。3日ほどの短い旅でしたが、韓国までの船と宿以外は自由行動だったので、どこに行って何をするか、何を食べるか、全て自分で考え選択する旅は刺激的!

旅の面白さにすっかりはまった私。この韓国旅行の後も、バイト代を貯め、時には親に頼み込んで、東南アジアを中心に色んな国を旅しました。

 


インドネシア(2000年)

当時は、インターネットが急速に普及し始めたころでした。
大学にあったパソコンを使って旅の情報をチェックしていた時、旅好きな人が集まり、自分が訪れた国の情報でガイドブックには載っていないようなネタを投稿して情報交換している掲示板にたどり着きました。

年齢や肩書きも様々な旅人の視点を通して触れる色んな国々の最新情報は、どんな本を読むよりも面白くて読み漁りました。航空券も宿も全て自分でアレンジして自由に旅をするバックパッカーの存在を知り、その生き方に憧れの気持ちを抱くようになったのもこの頃です。

ある日、掲示板の中で同じ福岡に住む大学生とつながりました。
プロフィールには「大学を休学し、1人で8ヶ月かけて世界一周して帰国した」と書いてありました。「え?どういうこと?!」年齢も2つしか変わらない自分と同じ大学生の行動力に、驚きと羨ましさで大きな衝撃をうけました。
「この人に会いたい」と直感で思いました。

子どもの頃、『なるほどザワールド』や『世界ふしぎ発見!』を観て、「大人になったら世界を旅して周りたい!」という夢を持っていたことをはっきりと思い出し、知らない人だけどなんだか先を越されてしまったような悔しい気持ちと、ただただ「すごい!」という尊敬の気持ち、どんな人なんだろうという興味関心…。

インターネットで繋がっただけの顔も知らない人と会うなんて、ずっと優等生で大人に心配をかけないように生きてきた私からしたら、ずいぶん思い切った選択でした。
でも不安より、好奇心の方が圧倒的に勝っていて不思議と迷いはありませんでした。

「なぜ世界一周に行こうと思ったのか」「どこの国がよかったか」「どのくらいお金がかかったか」「怖いことはなかったか」「どうやって大学を休学する決断をしたのか」「親を何と言って説得したのか」…
聞きたいことが山ほどあったからです。

初めて会ったその人の第一印象は、いい意味で普通の人でした。でも、旅の話を聞いてみると、淡々とした口調なんだけど、当時の私にとっては初めて聞くような話ばかり。


チベット(1999年)

日本を出発して中国に船で渡り、東南アジアやインドでは出費を抑えるために数百円の安宿のドミトリーに宿泊したこと。チベットで初めて高山病になり全然動けなくなったこと。
いろんな国に「日本人宿」と呼ばれる日本人のバックパッカーが集まる宿があり、癖が強く魅力的な旅人にいっぱい出会ったこと。

 


インド(1999年)


オーストリア(1999年)

オーストリアでは、日本でカメラマンをしているという旅人に出会ってカメラの使い方を習い、イギリスでは短期で語学学校に通い、現地で中古の一眼レフカメラを手に入れて写真を撮り始め、アメリカではサーフィンを始めたこと…。

8ヶ月間の世界一周旅行は、交通費、滞在費、バックパック購入など準備費全て込みで80万円。(1999年当時)
大学には奨学金を借りながら通い、テレビ局や家庭教師、居酒屋、薬治験など色んなアルバイトをすることで全て自分で稼いで貯めたそう。
親には「就職したら長期旅行できなくなるから大学を休学して行く」と、決めた後で事後申告。

インターネットで繋がっただけの人ということもすっかり忘れ、すっかり意気投合。福岡の大名にある大衆居酒屋のカウンター席で、ビールを何杯もおかわりしながら夢中になって話し続け…気がついたら朝でした。

自分の夢を、実際に叶えた人に会って話を聞いたその日から、私の人生は大きく動き出しました。

それまで、当たり前で疑うこともしなかった「大学を卒業したら教員になる」という選択肢も、「それでいいの?」「本当にそれしか道はない?」「みんなと同じ選択肢なら正解で安心?」と疑問を持つようになりました。
なんとなく単位を取るだけだった大学生活も、見える景色ががらりと変わりました。

「親に自分のやりたいことを認めてもらえなかったから教育学部を選んだ」「周りの人とは価値観が違うから大学生活が楽しくない」と、自分の居場所が見つからないことを誰かのせいにして言い訳をしている自分に気づき、恥ずかしさでいっぱいになりました。
親にお金を出してもらって大学に進学し、一人暮らしまでさせてもらって本当に恵まれているのに、わたし何やってんだろう…

甘ったれで言い訳がましくてかっこ悪い自分に絶望して、そんな自分を変えたいと本気で思うようになりました。
感じていた小さな違和感の根っこは、環境でも周りでもなく結局自分の中にあったんです。

今は「やりたいこと」が見つかってなくても、ここが自分の居場所だと思えなくても、未来の自分が選びたい道が見つかった時にちゃんと自分で選べるように、今の自分にやれることは全てやろうと思いました。

これまでの自分の世界がどれだけ狭く、広げる努力もしていなかったことを思い知りました。自分次第で選択肢はいくらでも広げられるし、自分で選んでいいんだということに気づかされ、視界が大きく開けました。
「誰かの正解」というメガネではなく、やっと「自分の選択」に自分で責任を持つ覚悟が決まったのだと思います。

自分ひとりで得られる知識や、経験は思っているよりも本当に少ないものです。
自分とは思考回路や世界の見方が違う人の経験を聞き、新たな世界に触れることで、1人では見つけることができなかった新しい扉が見つかります。

ちなみに、この時に出会った大学生が現在の夫です。
あれから25年経ち、5人家族になりました。

今も、旅はバックパックが私たちの定番です。


次回は、まずは自分をオープンにすることで居場所が見つかるということについて書こうと思います。


まとめ

・自分の小さな違和感に気づいたら、見て見ぬふりせずつかまえる
心の奥に蓋をした本当の気持ちを見つけるきっかけになるかも

・みんなの正解や当たり前を「本当にそう?」と一回自分に聞く

・自分の居場所の選択肢は、自分次第でいくらでも広げられる

 

 

 

 

 


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