わたしのサードプレイスの見つけ方〜自分次第で選択肢は広がる(前編)〜木山理絵

この連載「わたしのサードプレイスの見つけ方」は、今いる場所ではない、もうひとつの場所=サードプレイスを見つけて、扉の開け方を紐解くお話です。

 

今いる場所に大きな不満はないけれど息苦しさを感じている人や、ひとりでがんばりすぎて苦しくなっている人にとって、自分の居場所を見つけるヒントになりますように。


「女の子でも、勉強して自立し、ひとりで生きていける職業につきなさい」というものさし

長崎県の小さな田舎町で、祖父母、歯科医院を営む両親、教員をしていた叔父と人の叔母、その子どもたち(従兄弟)という大家族の中で育った私。

「女の子でも、勉強して自立し、ひとりで生きていける職業につきなさい」というものさしで厳しく育てられました。
長女だったこともあり、「お姉ちゃんだからちゃんとしなきゃ」「家族に迷惑をかけてはいけない」「自分のことは自分で解決できるようにならなければいけない」と思い込んでいました。

両親に精神的に頼ったり相談したりしたことは、物心ついてからほとんど記憶にありません。忙しい大人たちを困らせてはいけないと思っていました。「あまり手のかからない子」「しっかりしたいい子」優等生な自分であることが、自分の存在価値だと信じていたように思います。

両親に言われるまま、小学生時代から家でコツコツ勉強しました。夏休み、学校から出た宿題を数日で終わらせ父に報告すると、「じゃあこれ、学校が休みの間に全部やりなさい。」と分厚い問題集をドンと数冊手渡されました。
「せっかく宿題が終わったのに、どうしてやらなきゃいけないの?」心の中ではそう思っていたけれど、父の言うことは絶対。反抗することはできませんでした。


そんな私が好きだったことは、ひとり黙々と絵を描くこと。
小学校時代は、当時流行っていたドラゴンボールを見ながら描いたイラストを、友だちに「上手!」「すごい!」と喜んでもらえるのがうれしくて夢中になりました。

中学・高校時代も、一番好きだった科目は美術。自分の頭の中のイメージを形にするのがたまらなく楽しく、先生に認めてもらえることも喜びでした。作品が学校の代表に選ばれたり、いくつか賞をもらったりもしました。

進路について真剣に考える時期が来て、私の中では「好きな絵や芸術をもっと学びたい」という気持ちが自然と膨らんでいました。ただ、両親が歯学部や医学部への進学を強く望んでいることもわかっていたので、自分の思いを言えずにいました。

いよいよ進路希望調査の提出締め切りが近づき、意を決して、まずは母に自分の進路希望を話してみることにしました。父に話をする前に、母の反応を見ようと思ったのだと思います。いつも味方になってくれる母なら、応援してくれるかもしれないと淡い期待も抱いていました。

わたしの話を黙って聞いていた母が一言。
「そんな世界で女の子が自立してひとりで食べていけるほど世の中甘くない。絵は上手やけど、光る才能はないと思う。」

我が子が苦労しそうな道(親自身もよく知らない世界)を選ぶのは心配、という親心からの一言だったと今なら理解できます。高校生の私は、自分を全否定されたような気がして大ショック…でもこの時も、母に何も言い返すことはできなかったんです。

反発する気持ちが無いわけではなかったけれど、親の反対を跳ねのけてでもやってみたい!という情熱も、挑戦する勇気もない自分に気がついたからです。「私はなんて中途半端でダメなんだ…。結局、親に言われるまま動くことしかできない」と自分自身に深く失望しました。

でも、この出来事がきっかけとなり、自分の心の奥底に蓋をしていた2つの気持ちを見つけてしまったのです。
その一番目が「誰も私のことを知らない場所で自由に生きてみたい」。
二番目が「親の敷いたレールに乗るだけの人生は絶対に歩みたくない」。
これは、私にとっての願いでもありました。

自分の本当の気持ちに気づいてしまったら、もう見て見ぬふりができなくなりました。
ずっといい子で過ごしてきた私にとって、
唯一、自分の本心とつながることができる方法だったからなのかもしれません。

どうやったら叶えられるか…誰にも相談できぬまま1人考え続けました。
その結果、高校生の私が自分で考えることができた選択肢はただひとつ。「医療の道以外で両親に認めてもらえる進路=教育学部で県外の大学に進学する」ということでした。

それまで何一つ反抗できなかった私の静かな反乱でした。

「誰も私のことを知らない場所で自由に生きる」が叶ったはずなのに…

無事、県外の大学の教育学部に進学し、念願の一人暮らしを始めました。
小さなキッチンがついた6畳のワンルーム。真四角ではなく台形の部屋で、ちょっと変わった間取りでした。普通のシングルベットが置けなくて、布団をしまう押入れも無かったので、考えた末にマットレスが3つ折りになっているソファーベットを選びました。

夜な夜な、雑誌を切り貼りしては理想のインテリアを妄想したり、好きな端切れを縫い合わせてカーテンもどきを作ったり…初めての一人暮らしは本当に楽しかったです。
何より、誰からも干渉されず、自分が好きな時間に思いっきり好きなことができる自由が手に入ったことがうれしくてたまりませんでした。

「誰も私のことを知らない場所で自由に生きる」という小さい頃からの願いが叶った大学生活。
ところが…
期待していた自分の居場所が、全然見つかりませんでした。

同級生は、将来は教員になりたいという熱い想いを持った人ばかり。
「憧れの恩師のような先生になりたい。」「子どもが好きだから、子どもに寄り添う先生になりたい。」と、キラキラした夢を抱く人たちの中で、県外に出ることが目的で、親に認めてもらえる進学先として教育学部を選んだ私。
価値観が合うわけがありません。

授業には休まずに出ていたし、友だちもできたけど…なんか違う。いつも適当に話を合わせて笑顔でいる自分に小さな違和感を感じながらも、みんなとは違う自分を知られることが怖くて、周りから浮きたくなくて、見て見ぬふりをしていました。

ずっと求めていた「誰も私のことを知らない場所」に移り住んだのに全然変われなかった私が、どうやって新しい扉を見つけられたのか。
次回は、そんなお話を書いてみようと思います。よかったらお付き合いくださいね。


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