「怒りが抑えられないとき、どうしますか?」
「深呼吸」
日付が変わろうとする頃、仕事を終えた私は黒々とした鬱憤に押しつぶされそうになっていました。
社会生活を送る上で、ストレスは切っても切れないもの。自責したり他責したり立ち向かったり受け流したり、なんとか乗りこなすしかない波のようなものです。それでもときどき、「どうしても受け入れられない」という気持ちが身体と心をこわばらせて、打ち寄せる波の前で身動きがとれなくなる瞬間があるんです。
そんな夜、ちょうどやりとりしていた人生の先輩(両親くらいの年齢)に、「こういうことがあったんですが、どうしても許せないんです。怒りが抑えられないとき、どうしたらいいですか?」と聞いてみました。
メッセージが既読になるとほぼ同時に返ってきたのが、「深呼吸」。
拍子抜けするほど基本的ですが、「それが一番必要ですよね」と納得する答え。確かにそのときの私は歯を食いしばり喉が詰まり、呼吸が浅くなっていました。
ふだん無意識に繰り返している呼吸。吸って~、吐いて~。改めて意識的に呼吸してみると、「あ、吸おうと思えばこんなに吸えたんだ」とびっくりします。怒りの海におぼれているときの浅い呼吸では、私の大きな身体に十分いきわたるだけの酸素を取りいれられるわけもありません。
そんなときに出会ったこの本は、物語そのものが「たっぷりした深呼吸」のような一冊でした。
『スイマーズ』(ジュリー・オオツカ著、小竹由美子訳/新潮クレスト・ブックス)
戦後アメリカに移住した日本人の父と、日系二世の母のもとに生まれたジュリー・オオツカさん。夫となる人の写真と手紙だけを頼りに海を渡り、日米開戦と共に日本人収容所に送られた「写真花嫁」たちを描いた『屋根裏の仏さま』で複数の文学賞を受賞。全編通して「私たち」を主語として語られるその独特な世界観は、どこか幽玄で、音楽的・宗教的にも感じられました。
ジュリー・オオツカさんの約10年振りとなる新作小説が、この『スイマーズ』。
第1章と第2章は、とある町の地下にあるプールに通う人々の姿と、彼らを動揺させる小さな事件が、前作と同じく一人称複数を主語に描かれます。そして第3章からはじまるのは、認知症の母と娘の物語。母が覚えていることと覚えていないことが小さな声でつぶやくように語られ、いつの間にか視点は娘サイドへ。プールに集う群衆を俯瞰して撮影していたカメラが、ぐぐっと母と娘にフォーカスする……そんなシームレスな構成があまりに気持ちよくて、ゆったりとした波に身を任せるようにして一息に読んでしまいました。
わたしは自由だ。とつぜん宙を飛んでいる。漂っている。恍惚となって。幸福感に満たされて。至福のあまりうっとりと忘我の境地で。そして長く泳ぐにつれ、もはやどこまでが我が身でどこからが水なのかわからなくなり、自分と世界との境界がなくなる。――『スイマーズ』より
読み終わったとき、「ぷはっ」と水面から顔を出したような気持ちに。でもぜんぜん息苦しくない。むしろ酸素がしっかり全身にいきわたった感じ。
水泳が得意な友人が、長い距離をゆっくりクロールで泳ぐのって気持ちいいよと言っていたことをふと思い出しました。大きいストロークで、しっかり息継ぎをしながら呼吸と身体のつながりを感じて泳ぐ……たしかにとっても気持ちよさそう。全身をつかった深呼吸のような水泳。私にとって『スイマーズ』を読む体験は、まさにこんな「深呼吸」そのものでした。
少しずつ、彼女は消えはじめる。髪はてっぺんが薄くなってきて、口元は今ではちょっと歪んで垂れている。――『スイマーズ』より
私は涙腺が非常にかたいのですが、久しぶりに、読みながら自然と涙が流れた本でした。息苦しい嗚咽を伴わない、ただ目からこぼれ落ちるだけの涙。
必要なときに必要な本に出会える幸運。本の神様は、間違いなく私の味方です。(仕事の神様はきまぐれ!)