皆さん、こんにちは!ライター塾7期生の松山です。あっと言う間に夏がきて、庭では蝉が鳴き始めました。やはり今年の夏も暑いですね。体調など壊されてませんか?
今日も、お時間許せば、是非おつきあいください!
もう一つの約束
早いもので、主人がお空に行って3回目の夏を迎えました。この3年を振り返ると、想像していたよりも随分と優しい3年間だった気がして、そんな風に思い返すことができていること自体に、ほっとしている私がいます。私達は主人が病気になった時、「病気になったけれど、幸せなままでいようよ」と約束していましたが、実は彼が亡くなる前に、もう一つの約束をしていました。
それは「パパが天国に行っても、笑顔を忘れずに幸せなままでいる」
なんだか最初の約束よりも、さらに難しそうな約束でした。でも3年たった今、その約束も、なんとか守れている気がして、そしてパパもニコニコ安心してくれてる気もして、やはりほっとしています。
できれば、大切な人の「死」を、自分の「不幸」にはせずに、ずっとその人のことを、優しい気持ちで思い出せたならいいなと思うのです。それは、誰よりも亡くなった人が、遺された者に一番望んでいることのような気もして。今日はそんなことを想いながら書いてみようと思います。
パパを亡くしたけれど、失くさなかった日
「パパが天国に行っても、笑顔を忘れずに幸せなままでいる。」
今思えば、この約束があったからこそ、私はパパが亡くなったその日さえも、不幸になるつもりはなかったのかもしれませんでした。
と・・・・今でこそ、そんな風に言えますが、やはりそれもまた、当時の私には、叶うかどうか分からない「未知」のことだったことに変わりはなくて、出たとこ勝負ではないですけれど、答えのないようにも思えるその道を、私はまた歩かねばならないような気がしていました。でも今思うと、かなり早い段階、主人が亡くなって四十九日とか百箇日を迎える頃までの、人生の中でもそうそう訪れることのないような、「故人を想う特別な期間」に、私はそれがもう可能なことであるように思えて、少し安心していました。
まず、主人が亡くなって1か月後の日記には、
「9月は、とても優しくて静かな1か月でした」と私は書いています。そして、四十九日の日には、お花を贈ってくださった一田憲子さんに、「私、自分でもびっくりしていますが、どうやら大丈夫みたいです」と、とても穏やかな気持ちで、お電話をしたことを昨日のように覚えています。それから百箇日が終わった頃の日記には、仲のよい同僚に「もう、十分すぎるほど夫に幸せにしてもらってたからね、私は大丈夫。」と笑顔でお話できたことがとても嬉しかったと記していました。
ただ、そうやって日記を読み漁っていくと、実は、最初の最初の日、それはもう主人が亡くなったその日に、幸せなままでいる為の答えにつながるような気づきが、どうやらすでに始まっていたようでした。主人が亡くなった時、世がコロナ禍だったことが一番の理由ではあったのですが、お通夜もお葬式も、彼が大好きだった我が家で、ごく内輪ですることになりました。そして、お通夜が終わって、お客様が帰られた後は、息子と私と主人は、実は3人水入らずですごすことができました。今になって思うと、この日の特別な時間が、その後もずっと私が彼を失くさずにすんだことへのはじまりだった気がします。
お通夜の日の夜とは言っても、実はやらないといけないことが結構あって、パパの遺影の写真を、あれでもないこれでもないと、まるで夫婦漫才でもしているかのように、私と息子ちんが、わぁわぁ選んでいるのを、パパがニコニコ見守ってくれてるような・・・そんなどこまでも私達らしい空気感が、気づけば家中を包んでいました。そしてそこではもう、パパの痛みを心配したり、命に関わるようなことに気を配る必要もなくて、ただただ3人で久しぶりに一緒にいるような、穏やかな時間が不思議な程に流れはじめていました。
今思うと、あの時には気づけていなかったけれど、朝早くに主人が亡くなってからすぐに、様々なところに連絡をしなくてはならなかったり、お葬式の打ち合わせをしたりと、私はとにかくバタバタしてしまって、悲しんでいる暇がありませんでした。なので、家に主人を移せた時は、「やっと帰ってこれたね」という想いの方が強くて、「悲しみ」は、もちろんそこに常にあったのだけれど、とりあえず肩の荷をおろすかのように、横においていたのかもしれませんでした。そして、やはり主人は最後の最後まで、もうこれ以上は無理なのではと思ってしまう程、苦しみながらも頑張ってくれていたので、その苦しむ姿をもう見なくてもいいという安堵感のようなものも、あの穏やかな気持ちの奥にはあったのかもしれませんでした。
そんなお通夜の夜に、パパの棺の横にお布団を敷いて、家族3人で川の字で寝ることにしました。まるで家族旅行の時のようにパパと私に挟まれて、息子ちんがすやすや眠っているのを見た時、胸の奥がじーんと熱くなって、思わず「パパ、幸せだね」と、涙声で話しかけてしまいました。そしてこの夜を眠って過ごすのが、私はもったいなくなり、ごそごそと起き出して、しばらく棺の上に両腕をおいてパパの顔を見ていました。そしたら彼が「にっこり」と笑ってくれた気がして。もちろん気のせいだったんじゃない?と言われたら、それまでだけど、パパは死んじゃったはずなのに、私は彼を失うどころか「もうずっと一緒だからね、大丈夫だからね」とその顔を見ながら思っていました。そしてこの夜から私は、彼を失ったと思ったことが・・・・実は1日もありませんでした。
「俺さ、死んでしまったらね、もうやっぱり死後の世界とかってなくてさ、「無」になると思うんよ。だけど、もし死んでみて目を開けた時、「え?!」ってビックリするような世界があったとするやん?そしたら、みゆにピタ~っと、くっついて離れんどってやる。24時間ずっと守ってやるけね。」
そんなことを、生前主人が話してくれたことがあったからかもしれませんでしたが、お葬式が無事に終わって迎えた翌日の朝も、起きた瞬間から、やっぱり、陽だまりに包まれているような安堵感がなぜか続いていて、主人がすぐそばで見守ってくれているような気がずっとしていました。私の中で「パパは死んじゃったけれど、そばで見守ってくれている」と思えたこと。これが実は、私が幸せなままでいれた一番の理由だったのかもしれませんでした。
もちろんそこには、息子ちんという、いつのまにかパパに負けず劣らず、私を救ってくれるような言葉を、豪速球でゴンゴン投げてきてくれる、大きな頼れる存在があったからというのも否めません。その上でパパが亡くなったその日に、パパを失わずにすんだということが、私のその後の人生を優しく支えてくれる大きな土台となった気がします。だからこそ、四十九日、百箇日と続いた、故人を想う時間の中で、彼が生前伝えてくれたことの意味を、改めて純粋に優しい気持ちで思い返すことができたり、彼の「死」からさえも、いろんな感情を育てることができた気がします。
人は、自分が幸せになる為だけにではなく、誰かを幸せにする為にも生まれてきたのだとしたら・・・誰にでも最後に訪れる「死」というものが、遺された人を悲しいままにするものであってはいけないような気もするし、それに、遺された方も、自分を幸せにしてくれた人の為にも残りの人生を幸せに生きていかないといけない気がします。
愛する人の死を、自分の不幸にしない為には、
「亡くなった人を失くさなければいい」
そして、その人を思い出す度に、穏やかな気持ちになれたなら、ずっと一緒にいれる気がします。それでも、愛していたが故に、悲しい気持ちになってしまった時には、そこに確かにあった幸せな記憶を守るために、纏わりついてくる悲しみを、少しずつ少しずつ、優しくゆっくりはらってあげる。
まるで天然記念物を慎重に保存する時のように、過去の記憶を守ってあげられるのは、自分しかいないのかもしれません。そして、悲しみで固められてしまいそうな記憶を、もしもまた、柔らかく暖かく耕せたなら、そこからまた、優しい「今」や「未来」へ繋がるものが育つかもしれない。
そんな風に、大切な人との間に育んだ幸せをそっと守ってあげることができたなら、亡くなった人をも大切にすることに繋がり、亡くなった人の人生そのものを、肯定してあげることにもなる気がします。思えば、私は主人が亡くなったその日から、ほとんど無意識だったかもしれないけれど、そんな答えにつながるような道を歩いていたようでした。
大切な人の「死」を、不幸なものとせずに、これからの人生を生きていく為の優しい力にする。それは遺された者に与えられた宿題でもあり、亡くなった人をも「幸せな人」にできる唯一の道のような気がします。
「のに」をとる椅子
そんな風に、主人が亡くなってからも、主人を失くさずにすんだ私でしたが、それでもやっぱり、自分でも気づかぬうちに、負のスパイラルみたいな思考に入りそうになる時がなかったかというと、それは嘘になるし、ちょっと油断すると、後悔の念がむくむくと育ちそうになったことも・・・もちろんありました。実はそんな時の私を、何度も救ってくれた優しい椅子があります。それが、「自分の思考から「のに」をとってあげる椅子」。
例えば、「あんなにも幸せだったのに(パパはいなくなってしまった)」から「のに」をとって、「あんなにも幸せだったね」で止めてあげたらどうでしょう?
「あんなに頑張ったのに(だめだった。)」からも「のに」をとってあげると、「あんなに良く頑張ったと」と笑顔で終われるかもしれないし、
「あんなに愛していたのに」からも「のに」をとってあげると、「私はあんなに人を愛せた」となって、過去の記憶が、優しい宝物に変わります。
そうやって、いろんなものから「のに」を外してあげると、私は随分と楽になりました。そして、過去の幸せな思い出を、その幸せの真価を損なわずに思い出せるようになれた気がします。
「パパはあんなに優しい人だったのに、死んでしまった」ではなくて
「パパはあんなに優しい人だったからこそ、私と息子ちんを最後まで幸せにしてくれた」
そんな風に、その先に言葉を伸ばしてあげてもいい。そしたら、悲しみが纏わりついて、光を失いかけていた思い出も、キラキラと再び輝きだします。
「のに」を使う時って、その前が、とてもいいことが多いんですよね。なのに、そんないいことを否定してまで、さらにもっと悪いことを連れてこようとする。そんな「のに」は、結構な曲者かもしれません。だからせめて私だけは、パパの人生のありとあらゆることから「のに」をとってあげて、幸せだった出来事を大切に守ってあげたいと思うのです。
主人が亡くなった日にかけつけてくださった、主人が生前とてもお世話になっていた職場の方が 「みゆきちゃん、今日はいい思い出だけを思い出しましょうね。」と言ってくださったのを今ふと思い出します。私達は、どうしてだか、「いい思い出」にさえ、「のに」をつけて、悲しい気持ちを引っ張ってきがちですが、「のに」を外せば、「いい思い出」をそのまま思い出せる。
主人の人生からだけでなくて、私の人生からも「のに」を、もうなるべくとってあげたいし、息子ちんの人生からも「のに」をとってあげれるお母さんでありたい。(でも、こればかりは、ガミガミ怒ってる時は結構難しいかもだけど!)
そして、上にも書かせていただいた主人の同僚の方のように、目の前にいる人とも、「のに」を外してお話できるような優しい人になれたらいいなと思います。
*今回も最後までお付き合いくださって、本当にありがとうございました!次回は、実はまだ何を書くか定まっていませんが!!お楽しみに♪