どこかにひっそりと隠れている「私はここにいます。誰か見つけて!」
という思いを、誰かにお届けするお手伝いができれば……と始めたコンテンツ
「私を見つけてプロジェクト」。
自分が好きなことを仕事にしたい……。
と多くの人が考えます。
でも、「こんな趣味みたいなことで仕事にはならないよな」とか
「こんな私のスキルで、お金を稼ぐことなんてできないよな」
と数々の「こんな」を並べて現状を否定し、諦めてしまいがち。
どこかできちんと勉強しなくちゃ。
専門的な知識やスキルを身につけなくちゃ。
そこから始めることを考えると、
「仕事」に辿り着くまでの道のりが果てしなく遠く感じられ、
「あ〜あ」とため息をついてしまいます。
でも、本当にそう?
今のままの私でも、始められることはないのかな?
そう考えて、走り出したのが今回ご紹介する斎藤ひとみさんです。
このコンテンツがスタートして初めて
新幹線に乗って出張に出掛けました。
到着したのは仙台。
この地で、オーダーメイドで洋服を作り、
洋裁教室を開催するアトリエ「Atta」を営んでいるひとみさん。
11歳のひよりちゃん、8歳のあんりちゃん、3歳のみのりちゃんのお母さんでもあります。
ここに辿りつくまで、ずいぶん回り道をしてきたのだと言います。
中学、高校時代から音楽が好きで、ミュージシャンになりたかった、
と聞いて驚きました。
大学入学を機に東京へ。
「大学のジャズ研究所に入ったのですが、
上手な方がたくさんいたり、音楽で生計を立てることの難しさに直面して
これは無理だと諦めました」。
音楽は趣味で続けることにして、
就職を機に、故郷仙台に戻りました。
社会福祉関連の施設勤務を経て、ハウスキーピングの会社の営業職に。
ここでは、持ち前の明るさと積極性を生かし、
営業という仕事をとても楽しんでいたそうです。
その後、システム開発の営業に。
ちょうどその頃、プライベートでは今の夫紘希さんと出会いました。
「彼が、君は歌って何かを披露しなくても、
料理をしていても掃除をしていても、散歩をしていても、
自分らしくあるんだから、人前で無理に歌わなくてもいいよ、
って言ってくれたんです」
と教えてくれました。
「歌うことでしか、自分を表現できない」
と思い込み、それを手放したことに、どこかで後ろめたさを
感じていたひとみさんは、やっとこの言葉で、
新しい一歩を踏み出すことができる……と思えるようになったそう。
今回、私も紘希さんとお話ししましたが、
穏やかなのにきっぱりして、
ひとみさんに寄り添い、素晴らしい伴走者でした。
今回この「私を見つけてプロジェクト」に応募することも、大賛成してくれたそうです。
結婚してすぐに長女ひよりちゃんを授かりました。
夫婦ふたりで決めていたのは、
「子供が小学生になった時に、家で『おかえり』と迎えてあげる」ということ。
というのも、ひとみさんが幼い頃、ご両親は共働きで、いろんな家に預けられ
寂しい思いをしたのだと言います。
ただし、専業主婦になるというのもなんだか違う……。
「会社を辞めて、彼と一緒に暮らし始めた頃、
彼のためにご飯を作って、掃除をして、家で待っている、
という時期があったのですが、もう暇で……笑。
これだけでは、私はやっていけないと思いました」。
ここから、ひとみさんの
「自分にフィットする仕事のかたち」の模索が始まります。
「自宅で仕事ができたらいいねと、
夫婦で行政書士と、社会保険労務士の勉強をし試験を受けた時期も
ありましたが、あと一歩でダメで……」
そんな頃、子育て最中に知ったのが、とある授乳服メーカーの、授乳するお母さんのための服でした。
「毎月20~30着の洋服を貸してくれて、
売れた分だけをお支払いし、残った服は返却していい、
という販売システムをとっていました。
それで、さっそく授乳服を取り寄せて、
その後、紘希さんのおばあさまの家だった空間を借り、
月に1回サロンを開催することにしたんです」。
でも……。
委託販売を2年ぐらい続けてみたけれど、
それで食べていけるほどは、稼ぐことができませんでした。
そこで「何かを自分で作って販売すれば、もっと実利が増えるはずだ!」
と考えたひとみさん。
ポーチなど雑貨を作って販売し始めたら、「かわいい!」と評判になり、
売れるようになっていきました。
でも、やっぱりここでも限界がやってきます。
「あるとき、百貨店のイベントに参加してみたいと、
説明会に出かけてみたら、バイヤーさんに
『きみ、これで1日30万円稼ぐことができる?』
とすごく怒られて……。
『今の3倍の在庫を持ってこなくちゃ」と言われました。
今の3倍の量を作るなんてとても無理……」と思ったんです。
実はひとみさん、幼い頃に近所のミシン屋さんに預けられていたこともあり、
小さな頃から「縫う」ことが得意だったのだと言います。
さらに、地元で洋裁教室を開いていた先生と知り合い、
大学卒業後、自分で稼げるようになると、
その先生に服をオーダーして作ってもらっていたそう。
そして、24歳頃から洋裁を習いに通うようにもなっていました。
自分の手で何かを作って販売する。
ものづくりに憧れる人で、そう考える人はきっと多いはずです。
でも……。
それで食べていくことは、想像以上に難しいもの。
ひとみさんのすごさは、
「好きを仕事にしたい」のさらに先に
「それでちゃんと稼げるようになりたい」
「ちゃんと食べていける仕事にしたい」
と考えたことでした。
ポーチや小物だけ作っていては、売り上げを立てることができない……。
そうわかったときに、考えたのが
「単価を上げるためには、お洋服がいいのかな?」
ということだったのだと言います。
そこで、子育て期間中に、足が遠のいていた洋裁教室の先生に、
再度連絡をし、製図から学び直すことにしたのだと言いますから
その行動力には驚かされます。
こうして、ポーチの他にエプロンや、簡単なスカートや子供服を作るように。
すると、注文が途絶えなくなり、
大きな黒字にはならなかったけれど、
走る続けることができるぐらいの売り上げになってきました。
ひとみさんはさらに上を目指します。
ひとりひとりの方に合わせてオーダーで洋服を作り始め、
それが口コミでじわじわと広がっていきました。
「その方のために、この洋服をきちんと作る」のがその基本。
サンプルの服を作り、その方に合わせてサイズを調整したり、
デザイン変更の希望にも応じたり。
ある程度、いろんな服が作れるようになってきた頃、
今まで作ってきた服をお披露目しようと、受注会を開催することにしました。
すると、なんと売り上げが一気に100万円に!
「思った以上にオーダーしてもらって、自分でもびっくりでした!」
ところが……。
喜んだのも束の間、
今度は100万円分のオーダーの服を、自分で作らなくてはいけません。
「『これを半袖に』とか『この襟を変えて』というオーダーにも
細かく対応していたので、
作るのがもう本当に苦しくなりました。
今思えば、値付けも甘くて、
いくら100万円の売り上げがあっても、パターンの修正、そして、個人ごとの生地とボタンの手配、
裁断、縫製という流れが、結果的にとても煩雑になり、
セミオーダーではなく、フルオーダーになってしまっていて、
時給にしたら500円にも満たなかったかな」とひとみさん。
たくさんオーダーを受けるたびに苦しくなる……。
好きなことをやっているはずなのに、
大きなお金が動いているように見えるのに、
だんだん楽しくなくなって、儲かることもない。
そんな負のスパイラルに陥ってしまったひとみさん。
だったらどうしたらいい?
ここから抜け出す方法こそ、
ひとみさんが、同じように「好きなことを仕事にしたい」
ともがく人に、ぜひ伝えたいと思っていること。
次回はこの後の、ひとみさんの足跡をご紹介します。
斎藤さんのオーダー服と洋裁教室「Atta」の詳細はこちらです。
インスタグラムはこちら。
撮影/黒川ひろみ
「私を見つけてプロジェクト」にご興味がある方はこちらをどうぞ。