【モヤモヤ女の読書日記】私に効く本、いただきます「“自然体”は年下に学ぶ」梅津奏

この春、2年ぶりに「お隣さん」が替わりました。職場の座席の話です。

晴れた週末に、友人親子と神代植物公園へ。餅のようなおちびさんとまずは腹ごしらえ。

 

コロナ禍でリモートワークの導入が進みましたが、私は出社派。同僚とほどよく会話しながら仕事をしたい私にとって、隣の席にどんな人が座っているかというのは就業環境における重要なポイント。

左隣の席には上司。とにかく賢く優しく穏やかな、通称「天使」さん。彼と話していると、自分の親切さや聡明さまでも少し底上げされるような気がしてきます。そして右隣は、先々代も先代も、ラフに(雑に)話せる後輩。愚痴も、泣き言も、ちょっとした雑談も、ほどほどに適当に聞いてくれる気のいい年下たちが代々座ってくれていました。

 

この日のお目当ては、バラ園。たっくさんの種類のバラたちが、色とりどり咲き乱れていました。

 

そして4月。人事異動による座席替えで、久しぶりに右隣が代替わり。

新しくお隣さんになった後輩は、なんと私と干支が同じ。と、とうとうここまで年下の人と働くようになったか……。ちょっと遠い目になりましたが、話してみるととてもしっかりしていて、20代半ばとは思えない落ち着き。自分が彼の年齢だったときのことを思い出すと、ちょっと情けなくなったりして。

とがったキャラクターだったり、不器用だったり、素朴だったり。世代の差というより個性だと思いますが、後輩たちもいろいろです。その中でも彼は、圧倒的に「自然体」だと感じます。

素直で朗らか、賢く真面目。過剰なところも不足しているところも今のところ見当たらない。でも特に無理している感じはなく、いつも「平穏無事」とおでこに書いてある感じ。そこそこバタバタしている職場なので、ここで働きはじめると多かれ少なかれ表情にザワザワが浮き出てくるものなのですが、この人の場合、そういったこともあまりなく。健やかに育つ小ぶりな観葉植物を眺めているみたいです。

 

日々彼を観察していて思ったのは、「“自然体”は年下に学ぶものだな」ということ。

最近本を読んでいても、ナチュラルなキャラクタ-で清々しいなと感じるのは、自分より年下の作家が書いた作品が多いです。その代表例がこちら。

 

29歳、今日から私が家長です。』(イ・スラ著・清水知佐子訳/CCCメディアハウス)

著者のイ・スラさんが、自身をモデルにして書いた半自伝的小説。「自伝的」なんて書くと妙に重々しいですが、エッセイのようにさらりと読めて、それでいて歯ごたえがあって小気味がよい「美味しい」一冊。2024年度もまだ半ばですが、早くも「ベスト爽快感賞」を授与したいくらい!

主人公のスラは作家であり、小さな出版社を経営する社長でもある29歳。出版社の従業員はスラの他に二人、スラの父・ウンイと母のボキです。スラは祖父を家長とする典型的な家父長制の家で育ちましたが、内心の違和感はどうしてもぬぐえずにいました。そしていつしか自分自身が「家女長(女は“娘”の意味)」となって、両親を雇い養う立場に成長します。

こうやってあらすじを書くと旧弊な社会と闘う威勢の良いフェミニストの話のようですが、スラはあくまで軽やかでナチュラル。言うべきことは言い、納得できないことは頑として拒否する(テレビ局で服装のことを注意されるシーンにはスカッとした!)スラですが、仕事の締め切りにきりきり舞いしたり恋活する姿は等身大の現代女性。

 

そして読んでいてなにより楽しいのが、スラと両親のやりとりです。

料理や掃除・運転など、両親はそれぞれが得意なことを活かして働いています。仕事が終わったら、ネットフリックスを観ながらゴロゴロするのが大好き。そんな二人はスラが締め切り明けに偉そうに振る舞ったり、毎日ヨガを欠かさなかったりする姿を見て、「やっぱり成功した子は違うよ」なんてからかうことも。世代間の価値観の違いをユーモアたっぷりに描いて見せる、楽しいシーンです。

一方で、ジェンダーギャップやLGBTQの問題などのシリアスなテーマを扱うときは、「笑い」に逃げない真摯さが。そんなときのスラは穏やかに、そして逃げずに二人と向き合い、お互いの考えをすりあわせようとします。

火傷しそうなほど熱かったクッパの器が冷めていく。スラはけんかしたくてこの話を始めたのではないことを思い出す。

「そうだね、お父さんは強要してない。私はただ気になっただけ」――『29歳、今日から私が家長です』より

三人がクッパ屋さんで食事をしていたときのこと。数日前からイライラしていたウンイが店員の女性を「イモ(おばさん)」と呼びつっかかろうとすると、スラは最初はちょっと意地悪に、そして最後には気持ちを落ち着けてウンイをたしなめます。

「これまで親に黙って従うべきとされていた娘が、家長になる」という斬新な物語でありながら単なる「性別逆転の下克上劇」にならないのは、スラのこの自然体なキャラクターが理由でしょう。

 

植物公園の近く、深大寺でお蕎麦屋さんに。鯉が泳ぐ池を、興味津々で観察するおちびさん。

 

そういえば隣席の後輩にも、スラと似ている部分がありました。

それは、納得できないことことに簡単に「はい」と言わないこと。いつもとてもスムーズにコミュニケーションできる人だからこそ、その流れがせき止められるとこちらもすぐ分かるんですよね。あれ、返事しないな。表情が固まっているな。そういうとき、彼は納得していない。

たいてい、「これはそういうものだから」と理屈じゃないところで話をまとめようとしたときにそうなるようです。しばらく黙って考えた後、「…こういう理解で合っていますか?」と(違う気がするんですが)という顔で返してきたり、「もしかしたら、本当はこういうことなんじゃないでしょうか」と静かに反論してきたり。普段から感情的になり過ぎず自分を押しつけてこない人だと分かっているからこそ、こちらもそれを素直に聞けるんだと思います。

そんな彼のふるまいを見ていると、「彼やスラのような人が、時代を少しずつ変えていくんだろうな」となんだか感慨深くなってしまいます。

 

年長者に教えてもらいたいのは、豊富な経験を裏付けにした「処世術」。自然体について聞いても、困った顔をする人が多いんじゃないかなと思います。なぜならきっと、彼らは今よりそれが許されない社会を生きてきたから。「こうあるべき」という社会のルールを読み解いたり、身を添わせたりする方法は熟知していても、「自分を殺さずに生きる」方法は、もしかしたら得意分野ではないのかも。

それよりも、すでに自然体を実践している若い人たちを観察した方が、多くのことを学べるのではないかしら。

もちろん、「隣席の彼が本当に自然体なのか」はまだまだ解明の余地がありますが(笑)。まだしばらく、こっそりお隣を観察する日々は続きそうです。


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