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皆さんこんにちは!ライター塾7期生の松山美由紀です。福岡も夏の終わりの匂いが消えたと思ったら!あっと言う間に何もかもが秋らしい日々になりました。秋はお月様も綺麗だし、肌にあたる風も優しく、空も雲も美しい。そこへ金木犀の匂いなんかがしてくると、季節がくれる恩恵に、ただただ穏やかな幸せを感じます。さて、今回から、いよいよ第3章に入らせていただこうと思います。第3章では、主人の病気が再発した頃からの日々を書いていこうと思っています。今回は、その再発までに既に気づいていて良かったなと思うことを、書いてみます。今回もお付き合いいただければ幸いです。
今だけで十分
2011年3月に主人が最初の大きな手術をしてから、1年半後の2012年9月20日。病の再発が分かりました。腫瘍が胸に再びばら撒かれるように多発していて、あまり良くない形での再発でした。でも実はここからが、私達家族が一番私達らしく私達だけの人生を送る時代の始まりでした。
再発した際に私がひるむことなく頑張れたのは、それまでに様々な幸せな方の椅子を見つけていたからでした。主人が病気になったことで、それまで信じていた価値観がグラグラと揺らいでは、もがき苦しんで、心が削られる想いをしたのに・・・その度に、自分の思考の幅は、痛みを伴いながらも、グイグイ広げられていく。そんな1年半をすごしてきたことで、私の心は随分と成長していたかもしれませんでした。
大切な人が、ただそこにいてくれる喜びや、くだらない話をして笑いあえること。そんなごくありふれた幸せに、苦しんだ末にたどり着いた時、私達にだって少なくとも、そんな幸せを感じれる「今」はあるし、そんな今が絶え間なく流れ込んでくる今日があって、もうそれだけで十分だと思えた日がありました。
それに何よりも、私と主人には、毎日を楽しく彩り続けてくれる、強力な助っ人がいました。そう、息子ちんです! 彼はごくごく自然に、何をしたらパパが喜ぶかを、その小さな脳みそで、絶えまなく考えていたし、そんな息子ちんの愛を一身に浴びるパパは「世界一しあわせだ~」なんて叫んでいました。
不安や心配も並走はしていたけれど、「今は、まだ大丈夫だよね。」と、未来のことは未来の自分に託すこともできるようになっていました。今を一生懸命生きていれば、未来の私はきっと今より強くなってる。希望的観測だけれども、心も成長しているかもしれない。だから心がキャパオーバーな時は、未来なんて放っておいていい。
「とりあえず今だけで十分 」
そう思うことで随分と肩の荷を降ろせた頃に、病が再発したのでした。
自分の幸せは自分で決める椅子
もう1つ、再発前に見つけていたおかげで、再発後の私を「ずっと幸せなまま」にしてくれた椅子があります。
幸せは、他人から見てどうのこうのということではなくて、自分が自分の心の内でただそっと感じることさえできれば、もうそれは誰がなんといおうと正真正銘の幸せなんだと思います。
自分が本当に幸せかどうかを、人にジャッジしてもらう必要もないし、自分も自分の幸せを、固定観念や常識に照らし合わさないといけない訳でもない。
なのに人はやっぱり、自分がまわりにどう思われているかが気になってしまいます。
私も、主人が若くして不治の病にかかってしまったことで、自分が「スタンダードな幸福な人生」みたいなものから外れてしまう気がした時、それまで以上に周りの目が気になるようになってしまいました。まず、主人の病気のことを周りの人に言うか言わないかだけでも、どう思われるかが心配で、延々と答えが出ない。
・パパが「癌」だなんて言ったらびっくりされるよね。どう思われるだろう?
・ひょっとして、人はこれを、かわいそうと呼ぶのか?
(うーん、かわいそうとは思われたくないなあ。)
・幸せなままでいようと思ってるんだけど、わかってもらえるかな。
・うまく言えないことで、傷つくのが怖いな。やっぱり黙っておこうかな?
主人が病気になった時、私はまだ30代だったので、まわりもみんな若くて、ご主人やパートナーが、大病を患っている人はいませんでした。だから、自分が話すことで急に、自分だけが違う世界の人になってしまいそうで怖かった。(のちになって実際話してみたら、みんな暖かくて、そんな心配は無用だったのに。)
人はどうしても、いろんなことをシンプルに理解したいが為に、目の前の人や物事を、分類するのが好きだなと思います。そしてそれは仕方のないことだとも思います。でも、断片的な情報だけで、どこかにカテゴライズされてしまうのは、私はすごく嫌だと思いました。そんな風に、急に人の目が気になりだしたのは、ひょっとしたら実は、それまでの私自身が誰よりも、人を無意識にジャッジしたりカテゴライズしてしまう人だったからかもしれませんでした。
それが、主人が病気になったことをきっかけに、私はやっと、世間のものさしで目の前の人を理解しようとしても、測れないものが沢山あることに気づきました。一般的には、マイナスな部類にカテゴライズされそうな条件下にいても、幸せなものをもっている人はきっと沢山いる。
「仕事の内容はものすごくきついけれど幸せな人」
(人にありがとうって心から感謝される仕事だから。)
「複雑な家庭環境だけれど幸せな人」
(愛情をいっぱいくれた人がいたし、かけがえのない友人もいるから)
「パートナーがいなくても幸せな人」
(彼氏はいないけれど、その分、他のことで頑張ってキラキラ輝けているから)
「お給料は安いけれど幸せな人」
(お金で買えない幸せをたくさんもってるから)
「お父さん(お母さん)がお空にいるけど幸せな子供」
(自分の中に遺してくれた沢山の愛情があるし、今は、まわりの人達が沢山愛してくれているから)
こんな風に書いていると、恐らく何万通り?いえ、人の数だけ、こんな組み合わせがあるような気がしてきます。断片的には大変そうに見えても、幸せなものが混在している人は沢山いる。もちろん、その真逆の場合だって同じぐらいいるんだと思います。
そんないろんな人達が胸をはって「私は幸せです。」と言えるような世界になればいいと思う。多分、そんな人達が生きている世界は明るい。そしてきっと、温かい。なぜなら、その人達は、すぐには人をジャッジしないだろうし、未分類のまま、優しく接してくれそうな気がするから。
私も、目の前の人を自分の物差しだけで裁いたり、カテゴライズすることは無意味かもと思うようになりました。そして不思議なことに、相手をジャッジしなくなると、他の人の目があまり気にならなくなったし、心もすごく楽になりました。結局は、自分の幸せは、自分で決めるしかない。やはり、そこに行き着きます。
今回の椅子は、ちょっとありきたりな名前になりますが、「自分の幸せは自分で決める椅子」。幸せとは、自分が自分の心の内で、ただそっと感じて、心が少し温かい色になること。
それは決して誰にも奪えない無双な幸せなのだと思います。
再発からの奇跡の時代へ
そんな風に、心が何度かアップデートし終わった頃に、私は主人の病の再発を迎えることになります。そして、あらゆる予想に反して、ここから主人は9年間もの時間を生き抜くことになります。そのうちの7年間は、比較的元気でいてくれて、息子が中学を卒業する頃までは、旅行などの楽しいことも本当に沢山できていたし、生活の質をある程度保ちながら、これだけの長い年数を生き抜けたことは、奇跡だったと思っています。そんな再発からの日々を、1本ずつ糸にして布を織るとしたら、ものすごく綺麗な、世界一幸せな色をした布になる。私の宝物のような時代であり、主人もきっとそう言ってくれると思っています。
次回からは、そんな時代に思ったこと、気づいたことを、一つ一つ書いてみようと思います。
次回も頑張ります!お楽しみに♪