中川正子さんに一田が。一田に中川正子さんが。インタビューしあいっこしてみました。vol.1

 

 

今、私が1〜2か月に一度開催しているのが「ライター塾」です。
そして、ライター塾の卒業生を対象に、「ライター塾サロン」というのを運営しています。
メンバーそれぞれが、自分の暮らしの中で考えたこと、感じたことを文章で綴り投稿。
それに対してみんながコメントする、というかたちです。

そんな「ライター塾サロン」で、月に1度ほど、「お茶会」を開きます。
これは、希望者を募り、ZOOMでいろんなおしゃべりをするというもの。

時折ゲストを招いてお話を聴いたりします。

そして!「5月のお茶会」のゲストにお越しいただいたのが、写真家の中川正子さんでした。

中川さん、忙しいだろうしなあ〜。
サロンというクローズの少人数の集まりに協力してもらうなんてできるかなあ〜?
とあれこれ考えながら控えめにラインを送ってみたら
「面白そう〜!やるやる〜!」とすぐにご快諾いただきました。
そして、「いつやる?」とたちまちスケジュールが決定。
そのスピード感には、頼んだ私が驚くばかりでした。

まずは、2人でzoomで打ち合わせ。
私が中川さんにインタビューをする。
そして、中川さんが私にインタビューをする。
という2部構成に決まりました。

本当は、サロンのお茶会だけの企画だったのですが、
その内容があまりにも面白くて、
これは、ぜひ「外の音、内の香」でも、みなさんにシェアしたいと考えました。
サロンメンバーにも、中川さんにも許可をいただいたので、
ここでちょっとまとめてみたいと思います。

 

 

まず前半は、私が中川さんにインタビューをいたしました。
今まで何度か中川さんにお話を聞いてきたのですが、
今回、私が聞きたかったのが、中川さんの「脱皮」について!

中川さんと話していると、どんどん新しいものを吸収し、古い自分を脱ぎ捨てて、「脱皮」を繰り返しているように見えました。
新しい自分になるのも難しいけれど、古い自分を脱ぎ捨てるのってもっと難しそう……。

どうして、中川さんって、そんなにも軽やかに「次」のステージへヒョイと飛び移ることができるの?
そこにはどんな力が必要なの?
そんなことを聞いてみたかったのでした。

一田:中川さんにはたびたびインタビューさせてもらっているんだけど、その度にめちゃくちゃ進化しているんですよね〜。しかもそのスピードが速い! 古い自分を脱ぎ捨てて、常に新しい中川正子になってるんだよね。

中川:知り合いたちからも、よく正子はバンバン変わってるね、と言われるんですど、自覚はないんですよね……。

一田:自覚がないってことは、変わろうと思って変わっていないってこと・

中川:そうですね。目の前で何かが起こると、それに全力て対処しているうちに、結果的に変わってしまった、ってことなのかもしれません。

一田:全力で向き合うっていう力が、たぶん半端ないんだろうね。

中川:そうなんですかね? ここ数年特に意識してやっていることは、自分の中にネガティブな感情が生まれたときこそチャンスだってこと。自分がザワザワしたり、もやもやしたとき、それをポジティブでねじ伏せるんじゃなくて、ただむき合うんです。

一田:以前、voicyで「悩みがあったときにはどうしますか?」というリスナーからの質問に「悩みを因数分解する」って答えられていましたよね。

中川:中学生や高校生の頃は、A4の紙に、もやもやしたことを全部書いて、右側にそれのソリューション(解決法)を書いていく、ということをやっていた時期がありましたね。今は、もう書かなくても頭の中でパパッと処理できるようになったけれど、改めてもう一度やってみてもいいのかなって思います。

一田:あの時、「私には悩みはないんです」っておっしゃっていたのがすごく印象的でした。書き出してみれば、これは悩んでも仕方がないことだって判断ができるから、それが悩みではなくなるって。

脱皮の話に戻りまずが、出産や移住など、ドラスティックに人生が変化する時期を経て、今淡々と毎日を過ごされているんだけれど、すごく中川さんが変わっていっている気がするんです。

中川:一田さんは、私のどの辺が変わったと思いますか? 自分がどう変わったかがあまりわからなくて。

 

 

一田:たとえば、Voicyのプロフィールのところに「写真と文筆」って書いてあるでしょう? 私が初めて中川さんに出会った頃、中川さんは「写真家」であることにすごくこだわっていたような気がする……。

中川:そうですね、言われてみれば(笑)。写真家として両足で立ちたかったという時期は長かったかもしれませんね。まだその頃は、自分の外に評価軸があったなって思います。認められたかったっていることですよね。

一田:若い時にはそういうこと、すごくあるよね。

中川:一田さんとか私よりももうちょっと下の世代までは「成功の形」というものを信じ込んでいた、という部分はありますね。SNSがまだ発達していなくて、マスなものに認めてもらってなんぼだ、っていうのがあったから……。何かを成したいという気持ちがすごくあって、成すとすれば大きく広くつながりたい、と思ってた。でも、今は活動の形も変わりましたよね。今の私には「ベストを探したい」という気持ちがすごくあるんです。いろんな人に相談したり、話したりしているうちに、「こんなやり方どう?」と新しい方法を教えてもらったり、出会いがポンポンと舞い込むんですよね。必死に探して、必死にその話ばかりしているから。

一田:中川さんと会うと、その時に必死に探しているものを、必死に話してくれる、っていうイメージがすごくあるね(笑)

中川:私がオンラインストアを始めたときにも、一田さんに「とにかくオンラインストア、やった方がいいよ」って言ってましたね(笑)

一田:そうそう、いろいろ情報のURLを送ってくれたりね。
それにしても、評価軸が外にあったのが、そうではなくなるきっかけって何かあったんですか?

中川:それは、やっぱり写真集を出してからですね。写真集をエイッて出してみたら、憑き物が落ちたように、「もういいや」と思ったんです。

 

 

一田:え〜! それは一冊めの写真集?

中川:はい。2012年に出した「新世界」です。出産と震災の後に岡山に引っ越してきてから出したんだけど、まだその時は「岡山に引っ越したからって、小さくまとまったなんて思われたくない!」って思っていて……。(笑)

一田:それがどう変わったの?

中川:写真集を出して写真展を開いた時の経験が大きかったですね。まず東京の青山で、次に岡山で、そして巡回展でいろんなところでやらせていただいて。SNSで私を知ってくださっている一般の方が、大勢押し寄せてきてくださったんです。当時はまだtwitterしかやっていなかったんですが、みなさんが写真から何を受け取ったか、そして、写真というより私から何を感じてくださっているかを涙ながらに語ってくださって……。私にとって、あの写真集を出したのは、自分が写真家として立派になるためのステップという位置付けだったのに、結果「写真業界から認められる」ということが吹っ飛ぶほどに、こんなにたくさんの方の人生に、私が写真や文章を通して関わることができているんだ、っというのを実感する初めての機会だったんです。本当にびっくりしました。
みんなそれぞれの人生があって、当時は震災の1年後ですし、まだまだ傷があって……。でも、そういう人たちの日々に、私の写真がこんなふうに役立っていたんだ、ということを、みなさんが泣いて語ってくださるんですけど、私の方が泣きたいっていう感じでした……。

一田:なるほど〜。じゃあ、そこから写真で名を立てよう、というのが少し変わったのですか?

中川:そうですね。岡山が東京から700キロ離れているので、距離的に離れたというのも大きかったかもしれません。あれ? 「写真界」ってなんだったっけ? みたいに(笑)。やっぱり中央にいると、焦りだったり、ライバル心だったりが生まれると思んですが、そこから離れたというのもあって、写真を撮る意味、というのがガラッと変わり始めたと思いますね。いろんな思いをみなさんと共有したい、という気持ちガガ〜ッと上がってきて。

一田:ちょうどいろんなことがピタッと重なったんだね。岡山で暮らすようになって、東京の価値観から離れると、世界の多様性みたいなことに、「そうだったんだ!」って思ったんだろうね。

中川:そうですね。岡山に引っ越したばかりの頃は、ちっちゃい何もない街に来ちゃったなあという思いがあって……。ないもの探しばかりしていました。でも、「あるもの探し」に転換したときに、何もないところでイケてるカフェを作った人とか、セレクト系の書店がまったくない場所で、売れるか売れないかわからないのに本屋を始めた人とか、いろんな素晴らしい人に出会ったんです。そして、ゼロから立ち上げる人の格好よさに、どんどん開眼していきました。東京で活躍するっていうことは、東京でいろんな人たちが作ってきたステージの上に、私も立たせてもらってライブをしているようなイメージでした。でも、岡山では、もうみんなライブ会場作りからやっているみたいな感じなんです。相撲の土俵を作るみたいに(笑)。そういうのがかっこいいな、と思い始めたのがその頃でした。

一田:その土俵作りによって、今までの外からの評価の不確かさとか、そうじゃなくてもいい新しい物差しを見つけた感じだったのかな?

中川:まさにそうですね。

 

一田:かつての物差しを、完全に手放しちゃうのは、怖くなかったですか?

中川:う〜ん、手放そうっていう意識もなかったんです。東京を離れたことによって、仕事は普通に減っていって、遠くにいる私をわざわざ呼んでくれる仕事は、「中川正子じゃないと」といってくださる仕事だけになったんです。だから、そこ=雑誌などの仕事を自己実現の場にしようという気持ちは自然になくなっていったんですよね。それまでは、やっぱり雑誌の仕事であっても、そこに中川正子らしさがないと……みたいに思っていたし。でも、今思うと、雑誌が素晴らしくなることがベストなのに、そこに自己実現を重ねすぎちゃうのも、いろいろ不協和音が起きると思んです。そういう時期もかつてはあったけれど、憑き物が落ちるように、いいページになればそれでいいって思えるようになって。

今回のお話で一番印象的だったのは、中川さんが脱皮をしようと思って脱皮したのではないってこと。

「目の前で何かが起こると、それに全力て対処しているうちに、結果的に変わってしまった、ってことなのかもしれません」

この一言に、なるほど〜!と深く納得しました。
中川さんの集中力は半端ではないんです!
私なら、何かがひとつのことが起こって、どんなに感動したとしても、
日常生活もあるし、仕事もあるし、
そこを邪魔しないように、無意識にバランスをとって、
そこまで一直線に新しい刺激に没頭しないよう、知らず知らずのうちにブレーキをかけているのかも。

けれど、中川正子にブレーキはなし!
心がぐらりと揺れたら、とことん揺さぶられて、それはなに? ととことん向き合って考え、
考えに考えているうちに、新しい中川正子になっている!
という感じでしょうか……。

次回は、そんな中川さんが、どうやって「脱皮後」のステージを作っていったのか、お話を伺います。

 

写真/中川正子(一番上以外)

 


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