不安でも、ギリギリでも、つらさの中に「幸せのカタチ」がある。

このコンテンツ「もっと早く言ってよ!」は、ずっと前から知っていると思っていたことなのに、この年齢になって「あ、そうか!」とやっとわかった気がする体験を、50代の私が、20代だった私に伝えるつもりで綴っています。

ノリコさん、ノリコさんはいつもパツンパツンの状態で、仕事を頑張っているんだよね〜。そして、「早く、私も少しゆとりを持って、仕事をしたい」って思っているでしょう?
そして、「休むために、仕事を頑張るんじゃなく、ちゃんと休んでから頑張りたい」って、「休む」と「頑張る」の順番が、なんだかおかしい……って考えてるんだよね。

私は、最近やっと「楽しいことをやろう」と思えるようになりました。「よ〜いどん!」と何かを始めるとき、その先に「よりよい評価」とか「成功」とかを求めるのではなく、「これをやることでワクワクするかな?」と考えられるようになった気がします。ここまでくるのにずいぶん時間がかかってしまいました。

でもね、こう思えるようになったのは、「こうじゃなきゃ」と目標を決めて、それに向かってギリギリ頑張って、できなかったら落ち込んで……というノリコさんの年齢のときのジタバタがあったからだよなあ、とも思うのです。「最近の若い子」とは言いたくないけれど、それでも「最近の若い子」は、「楽しいことからやろう」と考えることがとても上手。
でも、私の場合は、なかなか「楽しみ」を優先できなくて、頑張って、我慢して、悩んで……の繰り返しの時期の中で学んだことがたくさんあったんだよなあと思います。そのプロセスを踏んだから、自分にとって「楽しいこと」「ワクワクすること」がわかったんだなあと思っています。だからね、ギリギリの状態で頑張るって、とってもいいことだと思うよ。

最近、諏訪中央病院の院長でいらした、鎌田實さんの本を読みました。緩和ケア病棟で、すばらしい医療を手掛けられた先生の、末期の患者さんとのやりとりは、すばらしいけれど、なんだか苦しくて胸がつぶれそうでした。そこにこんなことが書かれていました。

人間の幸せのカタチは、物と心の中間にあるような気がする。手に入りにく貴重な物や経験のなかに幸せがあるのではなく、さりとて心のなかだけにさっと鮮やかに幸せは描けるものでもなく、日常生活のささやかな営みのなかに、幸せのカタチは存在するような気がしてならない。

末期癌の患者さんはつらくて苦しいけれど、その1日の中にふと訪れる「幸せのカタチ」が必ずある……。

人は、いつもいつもハッピーな状態ではいられないよね。時に仕事でつらくても、誰かに叱られて落ち込んでも、子育てでいっぱいいっぱいになっても、介護で心が痛くても、人生のいろんな試練の中にも必ず、必ず「幸せのカタチ」がある……。鎌田先生は、そう教えてくれている気がしました。

思い返せば、私も家賃6万円のワンルームマンションに住んで、月末になったらお金がなくなって……。そんな20代後半、夕暮れ時に駅から自宅に帰る道すがら、家々に灯りがつき、夕餉の支度の匂いがし……。「いつか、私もきっとあんな幸せな時間を過ごしたい!」と切実に感じた日を思い出します。あんなにピュアな気持ちになれたのは、あの時しかなかったなあ〜。だから、不安で押しつぶされそうだったけれど、すごく幸せだった、と今思います。
だから、ノリコさん、ギリギリの今の状態をぜひ味わって! あなたは、どんなに不安でも、ちょっぴりつらくても、幸せなのですから!

私にも、これからいろんなつらいことがやってくるかもしれません。でも、何かがやってきても、淡々と繰り返す毎日の中に、「幸せのカタチ」を探せる人になりたいなあと思っています。


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