自ら踏み込むそのひと漕ぎが、未来への種まきとなる。佐藤久美子さん vol.2

「はじめの一歩の踏み出し方。」 佐藤久美子さん vol.2

 

この連載「はじめの一歩の踏み出し方。」は、
大切な時ほど足踏みしがちな私・矢島美穂が
インタビューを通してあの人の「はじめの一歩」を覗いていこうというもの。
読んでくださる方の、より自分らしい明日や未来を迎えるための
少しの勇気とヒントにつながりますように。

 

 

今お話をお聞きしているのは、
私のかつての同期でもあり、
現在フリーの編集者・ライターとして活躍中の
佐藤久美子さん。

前回は、十代のうちから定めた「ライター」という目標に向かって
進路を決めて歩んでいった様子をお届けしました。

これまで「マスコミに携わる」自分を意識しながら
東京の大学で社会心理学を学んだ佐藤さん。
ここからどんなキャリアを歩んでいくのでしょう?

 

 

「大学の卒業前には、テレビ局で1年ちょっとアルバイトもしていました。
『私はゆくゆく雑誌に関わるからこそ、
視野を広げるために他のメディアも覗いておこう』と思って。
就職活動も、雑誌を発行する出版社が第一志望でした」。

相変わらず「ライター」への思いが
揺らぐことはなかった佐藤さんでしたが、
私たちが大学を卒業する2003年は「就職氷河期」。

佐藤さんが目指した出版社は、
どこも新卒採用数は数名・・・という非常に狭き門でした。

「最終面接前後まで粘った大手の出版社2社からも、
届いたのは不採用のメールでした。

けれど、いま手にしている選択肢の中にも
未来につながるものはあるはず・・・。
そんな思いで私が選んだのは、
広告収入を軸とした情報誌を自社発行する『広告制作会社』で
紙媒体に関わる、という形で社会人生活をスタートすることでした」。

では、実際に入社してどんな毎日を過ごしたのでしょう?

「私が配属されたのは、『結婚情報誌』を取り扱う部署。
当初描いた『雑誌』そのものではなかったけれど、
数ある媒体の中でも最も雑誌に近い企画を手掛けられる部署だったのは
幸運なことでした。

研修として1年間の営業経験を積んだ後、
ついに制作研修が始まって、広告制作ディレクターになって・・・
まずは既定のフォーマットに沿って作るのが当時の仕事でした」。

 

膨大な原稿に向き合うのがやっとの日々だったようですが、
少しずつ慣れてきて、いよいよ社会人3年目に突入というタイミングで
佐藤さんに予定外の展開が訪れます。

「制作に携わらない部署に異動になりました。

『これはマズイぞ・・・』と正直焦りを抱きましたが・・・
一方で、社会人としてあまりにも何も知らないという自覚もあったので
まずはやってみようと、目の前の仕事に向き合うことにしたんです」。

それでも・・・新たな部署で過ごす日々はジレンマの連続でもあったようです。

私たちの足元に駆け寄ってきた
愛犬のゴローに優しく声をかけながら、
佐藤さんは当時を振り返ってくれました。

「パソコン相手に苦手なデータ作業をしたり、
社内の関係部署を相手に折衝したり――
もちろんどれも欠かせない業務なのですが、
もともと多様な分野の人に話を聞くライターになりたい自分としては
だんだんと視野が狭まっていく感覚に陥ったんです。

そんな中、大きなプロジェクトを無事終えてホッとしたのも束の間、
すぐにまた新たに1年半かかるプロジェクトが始まる――。
『そこにまた時間を費やすとなると、
やりたいことに対していよいよ大きすぎる遅れをとるのでは?』
——そう思って、上司に退職を申し出ました」。

やりたいことと日常の距離を確信した佐藤さん。
退職の強い決意を告げたところ、
上司からは思ってもみなかった提案が。
佐藤さんの志向を汲んで、
制作部署へと戻してもらえることになったのだとか!

 

 

「制作部署に戻ってから間もなく、
クリエイティブにより力を入れた部署が新たに立ち上がり、
私もそのメンバーの一員になることができました。

企画を立てて、ページの構成イメージをコンテにまとめて、
撮影から取材まで、すべてのプロセスに携わることができる。

もちろんそのあたりは未経験でしたから、
『この企画を実現するには誰にお願いしたらいいですか?』と
先輩に相談に行くほうが断然近道ではあるのですが――あえて遠まわり。

他の雑誌を隅から隅まで見て、
『この企画、このテイストだったら、
このカメラマンやスタイリストさん、ライターさんにお願いしたい』
と案件ごとにリスト化したりしていました。

当時はSNSもなく依頼するにも連絡先がわからなかったので、
雑誌の編集部に直接電話して
『連絡先を教えてください』っていう直談判も日常茶飯事。(笑)

『いずれこういうことを仕事にしていくから、今、自分でストレッチしよう』
『自分の中のストックとして蓄えて置けるように、自分で調べて探そう』と
行動していましたね」。

佐藤さんが選んだのは、
スピード優先で誰かが運転してくれる車にヒョイと乗り込むことではなく、
自分の足で自転車のペダルをギュッギュッと漕ぐことでした。
そこにある判断軸は、「それが自分自身の経験として蓄積されるか」だけ。
その泥臭さこそが、不安のない未来の輪郭になるのだと気づかされました。

充実した日々の中、佐藤さんは27歳で入籍。
28歳で挙式を迎えるころには、
いよいよ次のステップを現実的に意識し始めます。

「入社したときから、
『編集や取材・執筆のベースを学べたら、ここを卒業しよう』
ということは決めていました。

出版社でスタートを切った人に比べれば、
足りないところはまだまだたくさんあったはず。
けれど、ここだからこそのオリジナルの経験を
積むことができたと感じられた部分もたくさんありました。

例えば、一般の新聞広告やCMで何かの商品を認知した人が
お店でそれを買っても『CMを見て買いました』と
多くの場合お店やメーカーに宣言しませんよね?
訴求範囲は広くても、『広告による効果がどれだけか』が測りにくい部分があります。

ところが、私が携わっていた媒体は、
会場やドレス、引き出物を実際に選んでもらうための『結婚情報誌』。
読者が行動すると、
その先にはクライアントさんが深く接客する場が必ずあるんです。

広告出稿しているクライアントさんも、広告費に対する効果を分析したいから、
例えば会場見学に足を運んだカップルがいたときに
『何を見てここに来ましたか?』というのを積極的にヒアリングします。
良くも悪くも、自分の作った広告によって『どんな人が何人動いたか』が
ハッキリと数字で結果として示されるんです。

『クライアントにマッチする読者の行動を促し、
しっかりと広告効果を出す』――
それが求められる環境に身を置いたからこそ、
『クライアントの課題を解決する』『ターゲットマインドを考え抜く』
という視点をとことん叩き込まれました。

それもまた、人に伝える仕事に携わる上で貴重な経験であり、
ひとつの強みになったとも感じられて。
当時の自分のポジションで吸収し得る経験はできたかな・・・
そう思うことができたので、退職を決めました」。

 

夢への土台を固めた佐藤さん。
いよいよ独立への一歩を踏み出します。

佐藤さんが長らく目指してきたステージの真ん中に立っていく様子は、
また次回ご紹介することにしましょう。

 


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