「怖がり」をそろそろ卒業しようと思います。

このコンテンツ「もっと早く言ってよ!」は、ずっと前から知っていると思っていたことなのに、この年齢になって「あ、そうか!」とやっとわかった気がする体験を、50代の私が、20代だった私に伝えるつもりで綴っています。

ここに何度も書いているけれど、ノリコさんは、怖がりですよね?
私も、ず〜っと長い間「怖がり」だったけれど、最近そろそろそれを卒業したいなあと思っています。というのも、「怖がる」ことで、いろんな大事なことをとりこぼしてきてしまったんじゃないか、と感じているから。
なぜ、怖がるか? というと、傷つきたくなりからですよね? 落ち込んだり、悲しんだりしたくない……。だからちょっとでも傷つく可能性があることを避け、安心して通れる道だけを歩く。でも……。通ることをやめ、避けた凸凹道の途中に、素晴らしく美しい花が咲いていたかもしれない。「わ、この人怖そう」「ちょっと気が合わないかも」と思った人が、よ〜く話してみたら、心の広い優しい人で、私にいろんな刺激をくれたかもしれない……。「怖さ」の向こう側には、実は宝物があったのかも……。

「怖がり」ということは、自己防衛の手段です。もちろんそれは必要なことで、直感で「危ない」と避け、自分の心の平穏を守ることは大切だと思います。でも、過剰に怖がることは、必要ないのかもしれない、と思うのです。たとえば、一見無愛想でこちらに歩み寄ってくれなさそうな人がいるとします。もしくは真逆で、ちょっと苦手そうな、キャーキャーとうるさいほど明るい人がいたとします。ノリコさんは、「わ、ちょっと苦手かも」と扉を閉じちゃうよね? 私もずっとそうでした。でも今、ゆっくり話してみたらよかったなあと思っています。自分と似た人、すぐに共鳴できる人と接することはラクです。でも、「自分と違う」ということは、そこに「新しさ」があるってことなんだよなあって、やっとわかった気がするのです。自分とは真逆な考え方、感じ方の中に触れることは、自分の幅を太くしてくれるんじゃないかなあ。私の尊敬するインテリアデザイナーの津田晴美さんが「怖い人には、体力のある若いうちに会っておきなさい」とおっしゃっていました。なるほど〜、と唸りました。

もし自分と「違う」人やコトと出会って、悲しい思いをした時にも、すぐに浮かんでこられる強い軸を持っていないもの。最近「kuboぱん」の久保輝美さんに、ウィリアム・レーネン氏の素敵な言葉を教えていただきました。
「人に自分をわかってもらおう、証明しようという生き方は、自分を信頼し、尊び、たたえていないからそうなるのです」
そうか、私が怖がりで、気にしいで、すぐに傷ついていたのは、自分で自分を信頼していなかったからなんだ! このことは大きな大きな気づきでした。誰かをコントロールすることはできないけれど、自分の「思い方」なら変えることができる……。だったら、私は自分を信頼してみよう。そうしたら、傷つくことを怖がらないでもいいかもしれない……。

「やったことがないこと」へのチャレンジも同じです。失敗することをずっと怖がっていたら、その扉をいつまでたっても開けることができません。でも、「ま、いいか、失敗しても」とおおらかに考えてみれば、扉を開けて中を覗いてみることだけならできるかも。ノリコさんは、今やってみたいことがありますか? でも、どうやったら実現するのか、わからないんだよね。だったら、誰かに聞きに行けばいい。私は、若い頃、「わからないこと」を自分ひとりで持ってもんもんとしないで、思い切って、いろんな人に質問しにいけばよかった、って思います。そして、やってみればよかった……。私は「失敗したくない人」でした。でも、人って失敗からいちばん多くのことを学べるんだよね〜。

私には今まで、前でうじうじし、結局あけずに通り過ぎてきた扉がたくさんあります。でも、せめて開けてみたらよかった、と思うのです。中に入るかどうかは、中をチラ見してから決めればいい。そんなに簡単に「怖がり」が治るとは思えないけれど、「怖がり加減」を少しずつ緩めてみたら、ワクワクすることに出会えるかも。ノリコさんみたいに若い時には、自分に自信がないし、心が柔らかくてもろいから、なかなか難しいかもしれません。でも、若いからこそ立ち直る時間がいっぱいある。だからね、ノリコさんには、私が開けないで通り過ぎた扉をぜひ開けて欲しいなあって思います。
そして私は、人生後半をもっと楽しむために、ワクワクしながら「怖い扉」を開けてみたいと思っています。


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