見える風景の中に、美しさと自分らしさを見出す。笛木小春さん vol.3

「はじめの一歩の踏み出し方。」 笛木小春さん vol.3

 

「はじめの一歩の踏み出し方。」というテーマで連載をお送りしています。

ここまでお話を伺ってきたのは、
埼玉県・川島町で江戸時代から続く老舗「笛木醤油」の女将・笛木小春さん。

Vol.2では、3つのお仕事を経る中で4人のママになるまでをお伺いしてきました。

 

さて、目の前の現実を冷静に分析しながら
自分の在り方をその都度見極めてきた小春さんですが・・・
ここまで「醤油屋の女将」になる気配が全くありません。

というのも、結婚した当時は
夫・正司さんの叔父様が笛木醤油の社長を務めていた時代。
小春さんに会社を手伝ってもらう、という雰囲気は全くなかったのだと言います。

そんな中迎えた、2017年。
4人目のお子さんの出産と前後して、人生が大きく動き出します。

「その年の春ごろから、当時の社長だった義叔父が体調を崩し、
夫が社長を引き継ぐ話が、急に現実味を帯び始めて。
その時私のもとに初めて、『笛木醤油を支え、一緒に守ってほしい』という話が
舞い込んで来た」のだそう。

前職の職場からは「醤油蔵との掛け持ちでもいいから戻ってきて!」とまで
声をかけられていた小春さんでしたが―
「『家族のためにも、社会のためにも、笛木醤油を次の世代につなげなくちゃ』―。
それを実現するために、中途半端な形ではなく、
笛木醤油に100%の力を注ぐことを決めました」。

そして2017年の夏。
夫である正司さんは、37歳の若さで老舗醤油蔵の社長に就任。
同時に、小春さんは女将さんとしての第一歩を踏み出すこことなりました。

こうしてお話を聞くまで、
私はてっきり覚悟を持って醤油蔵に嫁ぎ、
将来待つ「女将」という旗に向かって
小春さんが歩みを進めてきたものだとばかり思っていました。
しかし現実は、予想もしない様々な出来事に導かれたゆえの結果だった―。

急転直下の展開に、ご主人も、そして小春さんも、
十分な準備もなく大きな看板を背負う立場になるのは大きなプレッシャーだったはず。
でも、むしろ小春さんの天職とも思えるほどの活躍がここから始まります。

 

「お醤油は生活に身近なものだったから知るほどに楽しかったし、
何より会社の中で心から尊敬するスタッフに出会えたことも気持ち的に大きかった。
『笛木醤油』を自分の会社として心から愛して
30年近くお店の在り方や運営に本気で向き合ってくれている人がいる。
かたや笛木に入りたい一心で大学で醸造学を学び、
一筋に製造に打ち込んでくれる人がいる。
「好き」って気持ちはすごいな!って心から感動したんです。

それに対して私は、笛木のファミリー側として“場”を作ることができる。
だからこそ、こういう素晴らしいスタッフがもっと活躍できる場、
そしてこんな愛情をもってくれるスタッフが
一人でも多く生まれるような場を作りたい、って、そう思いました」。

ビビり虫と共に生きる私が新参者の女将だったら、
思わず相手の顔色をうかがいながら、どう振舞うかを探ってしまいそうです。
さらに何かあれば「私が望んで立たされた立場ではないから」と
言い訳するかもしれません。

ところが小春さんは、「ここが新たな自分の居場所」と腹を据え、
一人一人の顔と心を正面から見つめていた―。

「楽しいから始める」のではなく、
自分が進んだ先にあることを「自ら楽しもう」とする誠実な心があるからこそ、
踏み出した先で、確かに咲くことができるのだということに気づかされました。

 

その後、2019年には
工場見学や、お食事、お買い物などが楽しめる
金笛しょうゆパーク」がオープン。

「小春さんのアイデアが形になった部分もあったの?」と聞いてみると・・・

「そもそも『パークを作ろう』って言い出したのが、私なんです。
普段見えないところを覗ける工場見学とか、
レストランで食べ比べ・・・って、なんだかワクワクしませんか?」

でもこんなに大きなプロジェクトを自分の発案で動かすことに
恐れはないのでしょうか?

「もちろんあるけれど、最終的には社長が責任取ってくれるから!
言うのはタダだし!」と、冗談めかして笑います。

「実際の投資に関しては怖くて判断もできないし、口出しする立場でもない。
けれど、形にしていく細かい部分には
多くの人に助けていただきながら、全部関わりました。
その道の経験のあるスタッフに相談させてもらいながら、
メニューもエプロンも食器も調理器具の発注もやったし、
パンフレットや来場者プレゼントはどうしようか?
来場する子どもたちのためにハンモックやブランコを置いて
プレイスペースも作ろう!って。
今考えると、『よくやりきれたな!』って思うけれど、
周囲の支えもあって形になりました」。

大人になると、目先の未来が予想できてしまう分、
次に待つ苦労におののいたり、諦める理由を見つけようとしてしまうのかもしれません。
でも、それで一歩を踏み出せないと悩むくらいなら、
目線は「一歩先」ではなく、顔を上げてもっと先を見るといいのかもしれない―。

「ラク」か「大変か」は、判断軸からまず取っ払い、
「その先に、ワクワクする未来があるかどうか」にフォーカスしてみる。
それさえ忘れなければ
多くの迷いをかろやかに手放しやすくなるのかもしれない―ということを、
小春さんに学んだ気がします。

 

さらに2020年。
しょうゆパークの入り口には、
その場で焼き上げる本格派「バウムクーヘン工房」も登場しました。

・・・とはいえ、「醤油」を使ったバウムはその中のほんの一商品に過ぎません。
こんなに手間のかかるバウム工房をなぜ作ることに?

「義父の時代に、地元の小学生の見学を受け入れ始め、
子どもたちは醤油工場に愛着も感じてくれている。
でも、お母さん世代には醤油蔵の存在すら知らない人も多い。

会社は、地元に愛されないと続けることは難しいと思うんです。
だから、もっと身近でおいしいもので、話題になる機会が増やせればいいなって。

『あなたの家の近くのお店、テレビで見たよ!』なんて会話が生まれる。
あるいは地元の人が『わざわざ全国からお取り寄せする人も多いバウムなんだけど、
これ焼いているのが近所の醬油屋なの!』って手土産にできる。

川島は小さな町だけれど、このお店があることで
地元の人たちがこの町に誇りを持てたらいいな、という思いが詰まっているんです」。

自分の人生に一度も想定しなかった選択肢が現れた時、
多くの人はまず、拒絶反応を示し、戸惑うことでしょう。

ところが老舗醤油蔵の女将、という立場に対し、
停滞も諦めもなく、自ら腹を括った小春さん。
そして「自分ならどうするか?」「私が感動できることは何か?」という目線を
常に忘れませんでした。

 

人に対しても、時間に対しても、進む道に対しても、
ついつい私は「自分の思い通り」にしようともがいてきました。
アングルをがっちりと固定したままカメラを覗くように、
自分の領域には好きなものだけを受け入れ、好まざるものは極力排除する。
そうやって自分の「理想」に向かってピントを合わせようとするほどに、
思い通りにならないジレンマにイライラすることも少なくなかったのです。

でも、ファインダーから少し目線を外して、
レンズを変えてみたり、違う景色の見える方向に移動してみたら―
もしかしたら全く違った発見が待っているのかも。

目の前の風景の変化に合わせて、しなやかにカメラを構えなおしながら、
その中にある美しさを見出す。
それは、「物事を思い通りにする」のではなく、
「現実から自分の手で楽しめる接点を見出し、思い通りにやってみる」ということ。
その選択肢が自分の中にあることにさえ気づけていれば、
どんな現実に遭遇しても、もっと軽やかに歩み続けることができるのかもしれません。

さぁ、次回はいよいよ小春さんへのインタビューの最終回。
5人の母親になろうとしている小春さんの、
育児と仕事について聞いてみたいと思います。


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