子育ては、ご飯を作って一緒日食べることだけじゃない! 竹田理紀さん Vol.2

 

我が家では、庭を駐車場代わりにしていて、めちゃくちゃ狭い入り口から
バックで車を入れなくてはいけません。
運転歴6年目のワタクシ。
やっと帰ってきても、最後の難関がココでした。
先日も、最後の最後にガリッと右前をすっちゃった……。
なのに、すっちゃったことにさえ気づかなかった……。

で、夫にめちゃくちゃ怒られました。
「気づかないなんて信じられない!」って……。

で、私もめちゃくちゃ怒りました。
それで大喧嘩。
もう、いちいち乗るたびに文句を言われるなんて耐えられない!
で、今我が家では車買い替えプランが進行中です。
多少ぶつけても、傷つけてもいいように、今度は私名義で買う予定!

でも、わかっているのです……。
プライドが高い私は「運転が下手」って言われることが許せない。
「へへ、ヘタッピでごめんね」て頭を掻いていればいいだけなのに……。

夫婦がうまくいくためには、自分とどうつきあうかも大事なんだよなあと思うこのごろです。

 

 

 

「夫婦ってなあに?」とお話を伺うこのシリーズ。
6人目は編集者の竹田理紀さんです。

vol.1では、どうしても男性に「尽くしすぎる」という竹田さんが、
やっと「自分のまま」でいられる人に出会ったお話を伺いました。

 

結婚と同時に出産。いきなり母となった竹田さん。
それはちょうど「主婦と生活社」「カメヤマローソク」のプレスをやめて
フリーライターとして仕事を始めた頃でした。

「子供を産んだら自分がどう変わるかが楽しみでした。
もしかしたら子供があまりにかわいくて、『仕事なんてや〜めた!』って言いだすかもしれない……って。
でも、実際は自分が「置いてきぼりになる感」がムクムク膨らんて、焦りの方が大きくなってしまいました。
結局産後3か月ぐらいから、打ち合わせを入れ始めて、抱っこして行っていました」

 

竹田さんには「結婚したら夫に養ってもらう」という考えは一切なかったそう。
「それは母の教えですね。母は服飾デザイナーで、当時は珍しかったキャリアウーマンでした。
小さい頃から『手に職をつけなさい。自立をしなさい』って言われていたんです」

夫婦共にフリーランスだったので、6か月で無認可の保育園に預けていましたが、
あまりに保育料が高すぎて、途中からは都内から埼玉県川越にあるご実家まで預けに行くようになりました。
「朝、川越まで行って、駅で親に『はいっ』ってお願いして仕事に行っていました。
預かるほうもしんどかったと思うんですが……。当時のことはあんまり覚えていないんです」

 

子育てに関しては、どう考えていたのでしょう?

「とにかくぜんぜんしゃべれないうちから、娘とお話ししていました。
『わからない存在』として扱うのではなく、
『なんでもちゃんとわかってるんだ』と思い込んで育てたという感じです。
「今日さ〜」って話しかけて(笑)。娘はぽか〜んとしていましたけど、私がラクになったんです。
ぎゃ〜って泣かれると辛くなっちゃうんですが、
逆に『そうですか〜、困りましたね〜』って話しかけるんです。『どうかしましたか?』って。
それでも、時には泣きながら家の周りをおんぶして歩いたこともありました」。

毎日スープを作り、大人はそれを食べて、子供にはそれをつぶして離乳食に。
「だから、毎日スープばかり作っていました」と笑います。
野菜たっぷりのスープさえあれば大丈夫。
子供には、ちゃんと人として話しかけておけば大丈夫。
あれもこれもと欲張りにならず、完璧さを求め過ぎず、
自分が本当に大切にしたいことが1個できていればいい……。
そう信じる強さはすごい!

 

 

2008年のリーマンショック以降に、夫の仕事が激減。娘さんは1歳半になっていました。

「夫に対して『もっと営業した方がいいよ』などと、うっかり忠告してしまったんですよね。
そうしたら、プツンと切れてしまったようで、夫が鬱状態になってしまいました。
でも、私はそのことに全然気づかなかったんです。
やがて帯状疱疹ができて、緊急入院しました。
三半規管のあたりに帯状疱疹ができると、失明の危険性があるみたいだったんです。
そんな時期を経て、まずは自分が安定しよう、と考えるようになりました。
彼は、何かを生み出す仕事をしている人なので、ストレスがかかるといい写真が撮れません。
だから私が安定することで、気持ちよく仕事をしてくれたらいいなと思ったんです。
そこで『宝島社』に入社することに。
ちょうど「リンネル」が月刊化されるタイミングで、編集長に誘われて入社試験を受けました」。

 

1歳半の娘を抱えて、ご主人の具合が悪くなるなんて、どんなに不安だったことでしょう。
ところが……。
入社して竹田さんがきちんとお給料をもらうようになると、さらに喧嘩が絶えなくなったそう。

 

「毎日出勤するようになると、フリーランスの彼に家事の負担をかけてしまいました。
特に家事や育児の分担を決めていたわけでもないし、
『時間があるんだからあなたがやるのが自然じゃない?』で済ませて」。

しかも、入社したとたん、またまた竹田さんの「仕事大好きモード」が復活!
月刊誌の仕事をしながら、ムックを作ったり、書籍を手掛けたり。

「それが面白くて仕方がなかったんです。
本の企画から入稿まですべて自分で手掛けられるのが楽しくて。
深夜まで編集部に居て、家に帰らない日々が始まりました」。

家事のしわ寄せはますますご主人に。
「彼にとっては、何にも前もって頼まれてもいなかったのに、
突然毎日のようにご飯を作らなくちゃいけない日々が始まったんです。
『どうして僕ばっかり!』と不満が爆発していました。
思い返せば、私の“お作法”がまったく足りていなかったんです。
どうしたいのか、どうしてほしいのか、何を手伝ってほしいのかって、
ちゃんと伝えておけばよかったと、後から反省しました」。

深夜まで働く忙しさの中で、子育てはどうしていたのでしょう?

「どこかで時間を作って話をしていましたね。
保育園のバッグなどは夜なべして作っていましたし、
役員やボランティア、朝の読み聞かせなど、学校のことは基本的に私が担当していました。
そして、なるべく自分の趣味にまつわる場所へ一緒に連れて行こうって思ってました。
会社勤めでよかったのは、土日は必ず休みだということです。
娘が3歳を過ぎた頃から、一緒に舞台を見に行ったり、できる限り美術展に連れていったり」

 

自分がやりたいことを貫くと、当然家族のための時間は少なくなります。
私も仕事が大好きですが、家のことをするのがキライなわけではないのです。
でも、物理的に両方ができない時がある……。
そんな時、罪悪感を持たない、ということはとても大事なことなんじゃなかろうかと思います。

私が仕事で遅くなった日、ゴミ箱の中にコンビニのお弁当の空ケースを発見することがあります。

「冷蔵庫の中に、昨日のおかずの残りがあるのに、どうして買ってきちゃうの?」
と最初は、それを発見するたびに怒っていました。
私の中で「手作り」=いいもの。コンビニ弁当=悪いもの、という定義があったから。
でも、夫にしたら、昨日と同じものを食べるより、自分で適当に見繕ったお弁当を、
ビールを飲みながらつついた方がずっといいわけです。
だったら、私の「いい」「悪い」の基準はいったい何だったのでしょう?

最近では、「コンビニ弁当」でもOKと思うことにしました。
そして「作れないこと」に後ろめたさを感じない。
彼は彼で適当にやればそれでいいと考えるように。
時間がある日に温かいおかずを食卓に並べて一緒に食べて、
「やっぱりおいしいの〜」と言ってくれればそれでハッピーなのです。

次回は、仕事のステージを少しずつ変えていった竹田さんのお話を伺います。

 

 

撮影/近藤沙菜

 

この連載をまとめた書籍「ムカついても、やっぱり夫婦で生きていく
絶賛発売中です!

「どうにもならなさ」が、夫婦で生きるといういことを、
面白くしているんじゃなかろうか? と思うようになりました。
自分と違う人間を自分の中に取り込むことで、
人生は太く奥深くなり、予想外の方向へと転がり出す……。
それが、ひとりでは得られない、共に生きるとおいうことの
味わいなのだと7人の方のジタバタが教えてくれた気がします。

「おわりに」より

 

 


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