妻であり、母であるという「役割」の一歩外に出る。竹田理紀さん Vol.3

 

 

1年ほど前、突然夫が大型バイクの免許を取り、バイクを買ってきました。
人生は短い。歳をとりすぎる前に、楽しいことをしたい、と思ったよう。

ただ、私は怒りました!
車と違ってバイクは転んだら命取り……。
そんな危険なことをわざわざしなくても……と思ったから。

夫がバイクでツーリングに出かける日は、
「くれぐれも気をつけて!」とこうるさくいいます。

昨日も夫は伊豆へ。
私は夜帰ってくる時間を見計らってご飯の支度を。
昨日は麻婆春雨、肉じゃが、サラダ、マッシュルームのオーブン焼き。
無事帰ってきて、ご飯を一緒に食べていると、
「あ〜、よかった」と思いました。

あれこれ喧嘩もするけれど
健康で、一緒にご飯が食べられればいい。
「遊んで帰ったらご飯ができてるなんて、幸せやん!」
と恩をきせることは忘れませんでしたが……。

 

「夫婦って、なあに?」というお話を、竹田理紀さんに伺っています。
vol.2は、出産後、仕事と子育てと夫との関係という3つの狭間で格闘する様子を
語ってくださいました。
最終回はその後、少し娘さんが大きくなってから今に至るまでのお話しです。

7年前、竹田さんは都内から川越へ引っ越し、実家のすぐそばの中古住宅を購入。
リフォームをして新たな住まいを手にいれました。
「都内で家賃を払っていくのが苦しいというのと、
会社員でローンが組めるうちに家を買っておきたい、という思いがありました。
でも、いちばんは子供を都心ではなく、のびのびと育てたかったからかな」。
こうして川越から都心の会社まで通う生活が始まったというわけです。

「ますます娘とお父さんだけの生活になっていきました。
深夜になってタクシーで帰ることもよくありました。
それでも、川越に帰ると、仕事モードから開放されるんですよね」。

3年前に退社し、フリーランスに。
「もう一度ゼロに戻りたいというか……。今なら振り出しに戻れる、という感覚があったんです。
40歳を過ぎた頃、ずっと残せるような仕事がしたい、と思うようになりました。
それが、どういう形になるのかはわからなかったけれど、
50歳になったとき、その『かたち』が見えるようにしておきたい。
だったら今、耕しはじめないとと思って」。

こうして編集室「ミネヲ舎」を立ち上げ、「GOTTA」という名前でウェブメディアを作りました。
「GOTTA」の由来は「ごった煮」なのだとか。
「混沌としているようで、ひとつになると美味しい化学反応をする。
そんなごった煮のように、価値観はないまぜの方が面白い」。
そんな場所と時間を提案したかったのだといいます。

 

実は夫は昨年から、カメラマンの仕事の傍、庭木の剪定の仕事を始めたそうです。
昔から植物が好きで、園芸関係の本の撮影などを担当しているそう。

「よかったなあと思っています。
私が思っていたのは、傷つくような営業なら、しなくてはいいのではないか、ということでした。
彼は『毎日働きに出ている』ということがよしとされた一世代前の時代の人。
口には出さないけれど、『妻ばっかり外に出て、自分は情けない』
という思いがどこかにあったのかもしれません。

私は夫のことを情けないと思っていないし、
『私はあなたがいなかったら働きに出られないし、娘のこともちゃんと育ててもらっている。
『毎日働きに出ている』ということだけが、カメラマンとしての価値ではないんじゃない?』
ということをよく言っていました。

でも、夫本人は『もうひとつ仕事をしようかな?』と言い出したんです。
それで『もし次に仕事をするなら、カメラ関係の仕事というよりも、
自分がカメラの他に、もうひとつ好きかもしれない、と言う仕事をして欲しい』って言いました。
フリーランスのカメラマンとしての彼の足場を守りたかったし、
何歳になっても何がどう花咲くかはわからないから、
自分にとっての「もうひとつの何か」を始めることが大事だって思ったんです」。

そうして夫が探してきたのが剪定の仕事だったというわけです。
「毎日外に出ていたことが、心の安定につながったのかな。
そこからです。家事に関して、私に何の文句も言わなくなりました。
彼は家事がものすごく手早いんです。
夕方5時か6時ぐらいに仕事から帰ってきたら、
洗濯して、ご飯の準備をして……と頭の中でルーティンができあがっているから、
どんどん片付けて。
ますます私は家事をやらなくなりました(笑)」

 

そして、気がつけば喧嘩の回数がぐんと減っていたのだとか。
「今が人生でいちばん落ち着いている時期だと思います」と竹田さん。

「もう別れちゃった方がラク!」と思ったことはないんですか? と聞いてみました。

「ありますよ〜。それはしょっちゅうです。でも、私は喧嘩したらすぐに忘れちゃうんです。
川越に引っ越したばかりの頃は、言いたいことを言いまくって、
言っちゃいけない言葉も散々言いました。
『じゃあ、あなたが稼いでくればいいじゃん!』とか
「そういう女性がいいなら、そういう人と結婚したらよかったじゃん!」とか……。サイテーですね。
でもそうやって、ギャ〜ッて言うと、次の日反省するんですよね。そしてすぐに謝ります。
とにかく言っては反省、言っては反省……という繰り返しでした。
結局は自分の汚物を出しているだけだったんだろうなあ」

夫のいちばん好きなところは?と聞くと……。
「私は技術を持っている人を、尊敬するんですよね。
好きなことをちゃんと持って、それをずっと続けてご飯を食べていく、
というその行為自体が尊いと思うんです。
男の価値は才能じゃない、って思っています。
たぶん、その価値は『夢中』ってことなんじゃないかな。
彼はカメラにずっと夢中です。そこだけは変わっていません」。

最後に竹田さんにとって夫とはどんな存在なのですか? と聞いてみました。
「支えてくれる人ですね。
私がやりたい、と思う仕事を応援してくれます。
この事務所を始めるときに、夫にも娘にも、両親にも頭を下げて『やらせてほしい』と頼みました。
かなりお金を使ったし、融資も受けたし。

でも、今回のことも、そして今までも、家族が仕事のストッパーになったことはありません。
もうみんなを巻き込んで、面白がらせるしかないなって思っています(笑)。
夫には本当によく話を聞いてもらいます。
夜中に帰っても、叩き起こして話を聞いてもらったりするし、出来事はすべてしゃべっていますね。
私が一方的にしゃべっているだけかもしれないけれど…。
彼はそれに対して意見を言うより、共有してくれることが多いですね」

 

竹田さんのお話を伺って、妻の役割とは、母の役割とは、一体何なのだろう?
と改めて考えさせられました。
竹田さんにとってそれは、ご飯を作ることでも、
掃除や洗濯をすることでも、そばにいてずっと見守っていることでもない……。
そもそも、男とは? 女とは? とも考えたことがないのだとか。

「私の名前って理紀(まさき)と言うんですが、男性とも女性とも取れるでしょう?
これは父の『人間には男の部分と女の部分が共存していて、
それで初めて人間として完成する』っていう考えからきているんです」。

竹田さんは、妻や母、男や女という「役割」にとことん無頓着でした。
「私は自分のことにもまったく興味がないんです。
だからこそ、夢中になれる人が好きだし、私の周りにいる人には、夢中でいて欲しい。
才能のあるなしは関係なく、あなたたちがそれを見つけられたんだったら、
私はそれを全力で見守りたい。そう考えているかな」。

人は「役割」にこだわりすぎると、必ず「どれだけ役割を果たせたか」という評価が欲しくなります。
そして、評価を得るための自分と、本当にやりたいことをやるための自分が解離していってしまう……。
だったら、今まで自分のものと思い込んでいた役割を、一旦忘れてしまうのもいいことなのかも。

もしくは、別の見方で「役割」を見直してみれば、窮屈だった毎日がちょっと違ってきそうです。

「妻だから」というご飯を作る理由を、「料理が好きだから」に置き換えたり、
母としての役割と、「人間として」に置き換えたり、
編集者という肩書をはずして「できること」を考えてみたり。
「ものの見方を変えることで、家族でご機嫌に生きたいんです。
そのために、夫婦でそれぞれ懸命に生きましょう、っていう感じかな」。
そう語る竹田さんは、夫婦で、そして家族で生きることを、
まったく新しい独自の方法で、一歩ずつ造りあげていっているように思えます。

そして、それは竹田さんがいちばんやってみたかった
「クリエイトする人」になることにつながっている気がしました。

 

撮影/近藤沙菜

この連載をまとめた書籍「ムカついても、やっぱり夫婦で生きていく
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「どうにもならなさ」が、夫婦で生きるといういことを、
面白くしているんじゃなかろうか? と思うようになりました。
自分と違う人間を自分の中に取り込むことで、
人生は太く奥深くなり、予想外の方向へと転がり出す……。
それが、ひとりでは得られない、共に生きるとおいうことの
味わいなのだと7人の方のジタバタが教えてくれた気がします。

「おわりに」より

 


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