「わかりあう」より「応援しあう」関係に。鈴木尚子さん vol6

 

私は、相当なズボラですが、キッチンやお風呂、洗面所など水回りだけはさっぱりときれいになっていないと
なんだか気持ちが悪い。そのかわり、床に多少埃がフワフワ舞っていてもまったく気になりません。

一方夫は、食後の洗い物をお願いしても、キッチンまでは掃除してくれません。
濡れたスポンジもそのまんま。
その代わり、埃だけには敏感で、「これに気づかないなんて信じられない!」といつも私に文句を言います。

互いに「きれい」の定義が違って、そのことでずっと喧嘩をしてきました。
やっと最近、「気になることが違うから、家がまんべんなくきれいになるからいいかもね」
と思えるようになりました。

「夫婦って、なあに?」といろいろな方にお話を伺うこのコンテンツ。

ライフオーガナイザーの鈴木尚子さんのお話し、いよいよ最終回です。

第5話では、「過去と相手は変えられない」と知り「今と自分」を変えたら
夫婦関係がうまく回り始めた、というお話を伺いました。

乳がんになって、夫に求めるものが少しずつ変わってきたそうです。

『迷惑かけてごめんね』と言ったら、
夫が『家族なんだから『ごめんなさい』なんていらない』って言ったんです。
その言葉を聞いて、先のことはわからないし、世の中に絶対ということはないけれど、
もし夫が困っていたら必ず助けるし、病気になったら介護するし、
全力でサポートするだろうな、と思いました。

夫婦で一緒の価値観にならなくちゃいけないとか、
同じ方向を向いて同じ思いを持って歩いていくのが望ましい、って
ずっと思っていたけれど、それは不可能だなということがわかったんですよね。
いい意味で、相手に期待しないんです。

自分をわかってもらいたい、と思うこともやめました。
『私はこうなんだ』と思っても、感じ方は人それぞれ。
相手に完全に理解してもらおう、相手を完全に理解しよう、と思うことをやめたかな」

それでも、人は誰かに自分のことをわかってほしいと思ってしまうもの。

「夫じゃなくていいんです。仕事仲間でも、お客様でも、友達でも。
私を理解してくれる人はいっぱいいる。
ひとりに『全部わかってほしい』と望むから無理になる。
今は、いろんな人に理解されて一人の鈴木尚子になっている、って感じです」

なるほど〜!と膝を打ちました。
確かに、自分で自分のことを理解することさえ難しいのに、
夫という他人に対し「すべてをわかって」ということ自体に無理があるのかもしれません。

仕事で得た発見は仕事仲間と、子育ての悩みはママ友と。
そうやって自分を分解し、わかってくれる人を多人数持つ……。
理解者の数が増えれば、「この人にわかってもらえなくても、
あの人ならわかってくれる」と希望を持つことができそうです。

 

 

「私は5年前に大腸癌になって、そこからすごく変わりました。
自分の強みも弱みも受け入れたことで、
相手の強みと弱みが理解できるようになったと思います。
私は夫には強くあって欲しかったんです。男って強いものと思っていたから。
でも、そもそも「強さってなに?」という定義は人それぞれなんだ、と気づきました。

今、男として、というより人間として相手に願うのは、
『自分の人生を楽しんでほしい』ってこと。

私がこの仕事を始めて一番大事にしていたことが、自分がどんなに忙しくても、
相手が飲みに行ったり、キャンプや釣りに行ったりするのを絶対に邪魔しない、
ということでした。
夫は、子育ての中で私が得意じゃない分野、虫を採ったり、
キャンプで川に飛び込んだり……が本当に得意。遊びの天才なんですよ。
そういうところはすごいなあと思います。

つまり、夫の価値観は「仕事は生きるために必要なこと。
だから、楽しむために俺は仕事をする!」ってこと。そこが私とは真逆なんですよね。
最初、私はそれが気に入らなかったんだと思います。
男の人には仕事を頑張ってほしかった……。
なのに最初から『俺は出世には興味がない。
仕事に人生の大方の時間を注ぐなんてことには魅力を感じない。
そこそこの稼ぎで遊ぶ時間を確保できるなら、そっちの方がいい』って言うんですから。

でも、ひとつの家庭にふたつの価値観があるって、
もしかして素晴らしいことなんじゃないか、って思えるようになったんです。
そして夫婦って、お互いの応援団じゃなきゃいけないってすごく思うんですよね。
男とか女とか、愛するとか愛されるというのは、最初のうちだけ(笑)。
長い年月を一緒に歩んでいくなら、
お互いが楽しくなるように応援し合えばいいんだなって」。

 

応援する、ということは走る人と、声援を送る人が分かれることです。
トラックの中にいる人と父兄席にいる人といった具合に立つ場所が違うということ。
一緒に走らなくてもいい。一緒の場所にいなくていい。
でも、精一杯がんばる姿を違う場所から見ているし、「がんばれ〜」と旗を振る。
そんな関係は一見ドライのようですが、
大きな視点で相手を見守るというより大きな愛情のようにも思えます。

もしかしたら、「違う」のに「応援」できるのは、
夫婦だからこそ、家族だからこそなのかも。
これから、夫と意見が食い違っても、
自分のことをわかってもらえないと落ち込むことがあっても、
「互いに人生の応援者」というおまじないの言葉を知っていれば、
一歩引いた冷静な目を持つことができる気がします。

 

撮影/近藤紗菜

この連載をまとめた書籍「ムカついても、やっぱり夫婦で生きていく
絶賛発売中です!

「どうにもならなさ」が、夫婦で生きるといういことを、
面白くしているんじゃなかろうか? と思うようになりました。
自分と違う人間を自分の中に取り込むことで、
人生は太く奥深くなり、予想外の方向へと転がり出す……。
それが、ひとりでは得られない、共に生きるとおいうことの
味わいなのだと7人の方のジタバタが教えてくれた気がします。

「おわりに」より

 


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