「肩書きは要らない。“何者か”は周りが後から決めてくれる。」大内美生さん vol.3

「お母さんが働くって、どういうこと?」というテーマで記事を書かせていただいています。

町田市で地域活動をしながら、
フリーランスでイベントや展示会などの企画・デザインをしている大内美生さんにお話を伺っています。

前回は、ご病気の経験から「身の回りの空間を美しくできるような仕事がしたい!」
と美術大学で “空間演出デザイン”を専攻。
建築関係の出版社の編集を経て、北海道の職業訓練校で建築技術を学び、
東京でエコリフォームの会社に転職するまでのお話でした。

「暮らしにまつわる仕事をしたい」という希望を叶え、
着々と経験を積み重ねていった大内さん。

エコリフォーム会社では、研修プログラムのシステムが整っていて、
社内資格を取るとステップアップしていく仕組みだったそうです。

「会社の研修プログラムでかなりストイックにシックハウス症候群の勉強をしました。
シックハウス症候群の原因の一つには、
建材や家具に含まれる化学物質による空気汚染があると言われています。
勉強すればするほど、化学物質を意識しすぎたのか、
私自身が過敏症になってしまいました。
味覚障害が出たり、口内炎や蕁麻疹になったり…。
その頃からファンデーションも使わなくなりましたし、
シャンプーやリンスもやめて石鹸にして、
歯磨きのペーストや生活洗剤類も成分表示を徹底して見てから買っていました」。

 

化学物質を意識しすぎて過敏症になる…。
たまたま勉強をした時期に体調不良が重なったのか真相は不明ですが、
化学物質過敏症の仕組みについては、未解明な部分があり、
治療法も確立されていないそうです。
外からは分からない本人の苦しみがあると思います。

そんなモヤモヤとしていた時期に、一筋の光がさします。

エコリフォームの会社では、モデルハウスのスタイリングや
環境に配慮したインテリア雑貨のコーディネートもしていたので、
いろんなインテリアショップに出入りしていました。

そんな時、インテリアショップの「TIME&STYLE(タイムアンドスタイル)」に飾られていた
フラワースタイリストの谷匡子さんの花に衝撃を受けたそうです。

「こんなにストイックに化学物質を排除したオーガニックな生活をしているのに、
何だか不調だし、満たされていない。
“あれ、おかしい?”と思いました。
谷さんのお花が、本当の豊さとは何か気づかせてくれたんです。
TIME&STYLEは無駄な装飾を削ぎ落とした日本人の美意識と高い技術が詰め込まれた
オリジナルデザインのプロダクトが置かれた家具ショップです。
まるで技術の限界に挑戦しているような繊細で美しい手仕事の数々にも
興味を惹かれましたが、心を奪われたのは、谷さんのお花。
さりげなく飾られた花の横には花のスケッチにその名前を記した布張りのノートが置かれていました。こんな心を動かすような空間を創っているスタッフと話をしてみたい、仕事をしてみたい、と思ったんです」。

本当の豊かさをひとさしの花が教えてくれた…
このお話に深く心を打たれました。
近くにあるものの美しさに気づけるということが、本当の豊さなのかもしれません。

帰宅してから、早速TIME&STYLEのホームページを見てスタッフを募集していることを知り、
“思わず”応募してしまったとか。

トントン拍子で社内の面接にパス。
自分でも思ってもみなかったスピードで就職が決まりました。

社内カレッジで勉強をさせてくれたエコリフォーム会社には申し訳なく思いつつも、
退職してTIME&STYLEで新たな仕事が始まりました。

「新店舗の立ち上げスタッフとして採用されたので、
最初は見習いでマンションのモデルルームのスタイリングなどをやっていました。
しばらく経ってからは、新規プロジェクトの一員になることが決まって…。
そのプロジェクトは成功したけれど、その頃から私は再び体調不良に悩まされていました」。

実は、大内さんは上京してからご主人と暮らし始めていて、
このころ気づかぬうちに妊娠していたのです。

「その頃、ずっと生理が来ていなかったことに気づいてはいたものの、
まさかこんな不調が続いている状態で妊娠するとは考えてもみませんでした。
ある朝、大量出血をしてしまいました。会社で経験したいことは沢山あったけれど、辞めざるを得ない状況になってしまったんです」。

聞いていて、胸が苦しくなりました。
妊娠・出産は、自分ではコントロールできないものです。

でも、仕事のキャリアアップに邁進している時期、
大内さんは自分を責めてしまったり、
気持ちの遣り場もなく悲しみに沈む日もあったかもしれません。
そこには当事者でなければ分からない深い悲しみがあったのだと思います。

「”しばらくゆっくりしよう”と思いました。
谷匡子さんにお花を習いに行ったり、
“折形デザイン研究所”で伝統的な“折形”を学んで暮らしに取り入れたり、
金継ぎやお料理を習ったり。
自然に沿った暮らしで日々を楽しもうと思いました。
もうフルタイムの仕事をしたいという気持ちはありませんでした。
これまでやってみたかったことをやりつつ、
子供を待ち望みながら、作り手たちと関わっていきたかった」。

フルタイムの仕事をするつもりはなかったけれど、
週2〜3回のアルバイト先は探していました。

そんな中、タイミング良く、
インテリア・ショールームビル「東京デザインセンター」で、
希望する条件の仕事が見つかりました。

「とても自由な社風でした。
日本全国のいろんな職人の手工芸をジャパンブランドとして
パリなどの海外に販路開拓へ斡旋する事業や、
インテリアのショールームの管理などをしていました。
出産を迎える直前まで5年間お世話になりました」。

その頃、フラワーデザイナーとビーズジュエリー作家の美大時代の仲間から
「企画展をやりたいけれど、自分の作品だけではスペースが余ってしまうので、
グループ展ができないだろうか」といった相談を受けるようになってきたそうです。

そんな声を受けて、作り手を繋ぐイベントを始めたのが
「NOMADIC CIRCUS (ノマディックサーカス)」の始まりでした。
「“NOMADIC=遊牧”、“CIRCUS=複数の演目”で構成される見せ物”、のような感じがいい。
サーカスなので、団長と団員でいいんじゃないか、と思いました。
実は、こういったお声がかかる前に、二度目の流産を経験していました。
安定期に入る直前での出来事でしたが、
前回のことがあったので周りには一切言っていませんでした」。

想像もつかない悲しみを「今を生きること」に昇華していった大内さん。
私だったら、こんな風に声をかけてくれる人がいても、
一歩を踏み出すことができなかったかもしれません。

「じゃあ、企画展をやるなら、私も何か作ってみたい、と思ったんです。
妹は元パッケージデザイナーでアロマアドバイザーの資格を持っていたので、
何か一緒にやらないか、と妹に持ちかけました。
ちょうどその頃、私は義理の母が経営しているシュタイナーの幼稚園も定期的に手伝っていて、手仕事で関わっていた蜜蝋(ミツロウ)の素材に可能性を感じていました。
そこで、デザイン・制作を妹が担当し、
私が企画・ディレクションを担当することにして、
“peker chise(ペケルチセ)”という蜜蝋キャンドルが誕生しました」。

北海道生まれの大内さん。
「ペケルチセ」とは「清らかな家」という意味をもつ、アイヌの言葉を元にした造語。
ペケルは「澄んでいる、清らかな」という意味があり、
そこに妹さんの名前チセ(アイヌの言葉で“家”と言う意味がある)を合わせたそうです。

私も、この蜜蝋キャンドルを購入したことがあるのですが、
“折形”の要素を取り入れた、白い紙に包まれた蜜蝋キャンドルは、
香りは勿論、見た目にもとても美しいものでした。

「過去に大きな病気もしているし、体調を大きく崩した時点で、
NOMADIC CIRCUSは大きなビジネスにするつもりはなかったんです。
ただ、赤字にならないように、次に繋げられるようには努力していました。
大事にしたかったのは、流通のシステムに乗せず、
作り手一人ひとりの思いや背景を伝えられるようなイベントにしたい、ということでした。
活動を続けるうちに、仲間も広がっていって、
ありがたいことに企業からのポップアップショップの依頼や
ライフスタイル誌からの取材もいただき、オファーが続いていました」。

肩書きを聞かれることも多くなり、
「自分の肩書きって何だろう」と思ったのだとか。

「周りから、あなたは何者ですか?と問われる度に、
特定の”何か”でいなくてはいけないのだろうか?と、
肩書きをつけることに違和感を覚えるようになりました。
自分が何者かは、後に分かるかもしれない。
けれど、今現在何者なのかなんて、自分では分からないし、
その時々にカメレオンのように変わっていったっていいじゃないかと思ったんです。
肩書きに縛られる必要もなければ、どこかに所属する必要もない」。

こんな風に言えるのは、本当にすごいこと!
私は「何者かになりたい」と考えたこともあるし、
周りからも「夢を叶えよう」と言われていました。

でも、もしかしたら、それは世間からの刷り込みだったのかも…。
本当は、何か目の前のことに一生懸命に取り組んでさえいれば、
後から続いてきた道を振り返ってみて、
自分は何者なのか周りが決めてくれるのかもしれません。

次回は、待望のお子さんが誕生してからのお話を伺います。


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