夫婦は互いに見えない波動を送りあっている。久保輝美さん vol.2

夫と言い合いをして、あまりの価値観の違いに愕然とし、
やっぱり「わかり合うのは無理……」とあきらめる……。
だったら、「結婚」ってなんなのだろう?と思う……。
日々はそんな繰り返しのような気がします。

一方で、素晴らしい景色を見たら、夫にも見せてあげたいと思うし、
ふたりで、おいしいものを食べたら「ああ、これがいちばん幸せ」と思ったりします。

夫婦って本当に難しい……。
新しく始めたコンテンツ「夫婦って、なあに?」は
いろいろな方に夫婦の在り方を伺っていく予定です。

第一回は「kuboぱん」という店を今年6月で閉店されたばかりの久保輝美さん。
vol,1では、「この人じゃなきゃ」と確信を持って結婚してのではない……
というお話を伺いました。

結婚してすぐご主人の転勤について大阪から上京。
ところが、そこには思いもしなかった苦しい毎日が待っていたのだといいます。

「とりあえず専業主婦になりました。
半年ぐらいご飯を作って夫の帰りを待つ日々でしたがもう最悪(笑)。
友達はいない、身内も親戚もいない、
ひとりで家にいるしかなくて、誰ともしゃべれないから壁に向かってしゃべっていましたね(笑)。
久しぶりに友達から電話がかかってきても、普段あまりにも黙っているから、
言葉が出てこなくてしゃべれないんですよ。これはやばいな……と思っていました」。

私が知り合った時には、久保さんは超人気の「kuboぱん」店主として、生き生きと働かれて
いたので、そんな専業主婦の時期があったなんて驚きました。

その時、暇だったからと友達に誘われて通い始めたのがパン教室でした。
まさかそれがのちに久保さんを支える柱になってくれるとは、
当時は思ってもいなかったそう。

夫婦関係はどうだったのですか?と聞くと……。
「かいがいしく朝ごはんを作っても、『いや、僕は朝は食べないから』って。
恋愛と日常生活は違うんだと思い知りましたね」。
さらにお義母さまとの同居が始まった頃から、関係はますます悪化。
「食卓で、夫と義母の間で思い出話が繰り広げられて、
私の入れない2人の世界がずっと続くんです。
どこかに出かけるときにも、車の助手席に乗るのはお義母さん。
私ね、結構我慢するタイプだったみたい。だから、じっと耐えていました。
『離婚』という言葉が頭に浮かんだ時、うちの両親に相談しても、
『我慢するのが結婚でしょ!』と……。
そうすると、『こうなっているのは、私がいけないんだ』と思っちゃうんですよね。
もう限界でした」。

結婚してすぐに、夫が自分より義母を大事にする姿を見続けなければ
いけないなんて、なんてつらい日々だったのでしょう……。
我慢を続けた久保さんの気持ちを思うと胸が痛くなります。

 

我慢に我慢を重ね、お義母さまに振り回される形で結婚11年目、38歳の時に離婚。
「だから、彼とはきちんと向き合わないまま別れたんです」。
そう語る久保さんが、離婚することで初めて考えたのが
「自分ってなに?」「生きるってなに?」ということでした。

「ず〜っと本屋さんにいました。
夫や義母に相当かき回されましたけど、最初の結婚から離婚までの流れは、
自分を構築するためには、必要なことだったんだな、と今ではわかります」。

ここが久保さんのすごいところ。
つらいこと、悲しいことがあったら、
ひたすら自分の内側を掘る……。
私は今、facebookで久保さんが、ご自身のメモから選んであげてくれる言葉を読むのを楽しみにしています。
どの言葉も、「なるほど〜」とすとんと腹に落ちるものばかり。
そんな言葉を、久保さんは、ずっと蓄積されてきたのでした。

 

実は、結婚している間にパン作りの講師の資格を取り、
32歳で自宅でパン教室をはじめていたそうです。
離婚で一旦中断しましたが、知り合いから声をかけられて、
居抜きの店舗で1か月という限定期間の中、パン屋さんを開業したことも。
まだ「これだ!」という確信には至っていなかったけれど、
「自分にとっての核になるもの=パン」という小さな種が、
久保さんの中で確実に育ち始めていました。

ところが‥‥。せっかく自分の足で歩み始めたと思いきや……。
離婚して4年が経った頃、久保さんは元夫と一緒に暮らしはじめるのです。
いったいどうして?

「いろんな事務処理があって、夫と会ったときに、
彼がまるで廃人のようになっていたんです。
後から知ったんですが、脳梗塞で一度倒れたのだとか。
この人、私がいないとダメなんだなって思ったんです。
まあ、私もやっぱり一緒にいると安心感があったんですよね」。

離婚の際に、久保さんはご自身の思いをご主人にすべてぶちまけていました。
「義母のことなど、自分が感じていたことをすべて話しました。
『それは仕方がないね』とやっと気づいてくれましたね」。

ちょうどその頃、ご主人は北海道に転勤。これが2人にとって大きな転機となったそう。
久保さんも北海道という土地の魅力に惹かれて、
月に1度はご主人の単身赴任先を訪ねるようになりました。

人は、どうして一人ではなく二人で生きようとするのだろう?
そんな大前提を考えてみたくなりました。

夫婦は互いに「見えない波動」を与え合っているんだなあと、
50歳を過ぎて感じるようになりました。

ともすれば、夫に望むのは「たくさんお金を稼いできてくれる」とか、
困ったときに「的確なアドバイスをしてくれる」など、
「すぐ利く」ことばかりを考えがちです。
でも、夫婦って、毎日毎日一緒に過ごしながら、
互いに自分の人生を歩んでいるうちに
話さなくても、生きる姿を互いに見て、感じ、その「波動」を交換しあっているんじゃないかなあ?
それはごく微細な波動かもしれないけれど、
長年降り積もることで、じわじわと互いの内臓に利いてくるような気がします。

次回は、再婚後に訪れた、2度目の離婚危機についてお話を伺います。

撮影/近藤沙菜

 

 


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