
昨日は、夕方夫と一緒にスーパーへ買い物へ。
一日中、クーラーのきいた部屋で互いに仕事をしていたので、
暑いけれど、歩いて行こう、
ということになりました。
夕焼けがドラマチックだったなあ〜。
昨夜のご飯当番は夫で、豚キムチ炒めを作ってくれました。
夫と話をするときに、
私はすぐに「それはさあ〜」
とすぐに相手の言うことを否定して、自分の意見を述べたくなります(笑)
「それはさあ〜、違うんちゃう?」
「それはさあ〜、もっとこうした方がいいんちゃう?」
などなど。
夫が「こうした方がいいんちゃう?」
と私のことを思ってアドバイスしてくれたとしても、
大抵の場合、聞く耳を持ちません(笑)
基本的に、「私の方が正しい」というスタンス。
でも……。
たとえば、ときどき取材先で話を聞いた方が、夫と同じことを言っていて
「ほ〜、それ、夫が言ってたこととおんなじだ」
と思ったら、素直に聞いて、それを取り入れやってみたりします。
むむ……。
もしかしたら、私は夫の話の聞き方を間違えているんじゃなかろうか?
とちらりと感じていました。

取材で話をお聞きする時、
「ちょっと違うんだよなあ」と思う意見を持つ人の場合もあります。
でも、
「ちょっと違うんだよなあ」と思いながら、原稿を書くと、
大抵、校正の段階で大量の赤字が入ります。
そんなことを何度か繰り返し
「私とはちょっと違うけれど……」と思いながらも、
必ず、その方の「愛おしいところ」を見つけるようになりました。
片側から光を当てるだけでなく、
あっちからも、こっちからも、360度から光を当てて質問してみると、
どこかに「へぇ〜!」と共感できるポイントが出てきます。
そこさえ見つければ、
共感ポイントを軸に、その方のお話すべてを理解しなおし、
「なるほど!」
と胸にすとんと落ちる気がするのです。
もちろん、うまくいかなくて「私とはやっぱり違う……」と
思いながら、インタビューが終わってしまうこともあるけれど、
できる限り、この方法を試してみたいなあと思います。

夫が間違えていて、私の方が正しい、
という思い込みで、夫の言葉が聞こえなくなってしまうように、
人は、誰かと出会うときに
「この人はこういう人」とラベルを貼ってしまうことで、
本当のことを見つける扉を、
自ら閉めてしまっているのかもしれないなあと思います。
コテンラジオの深井龍之介さんが
「自分の文脈ではなく、相手の文脈で理解することが大事」
と言っていらしたけれど、
つい、私たちはすべてを「自分の文脈」で理解したくなってしまう……。
自分の価値観を一度手放し、耳をすますことはなかなか難しい……。
手放すための、いちばんの力が
相手の中から「愛おしさ」を見つけることなのかも。
そんなことをつらつらと考えながら、
夫が作ってくれた、豚キムチをおいしくいただいた夜でした。
みなさんは、隣の誰かの言葉をどうやって聞いていますか?
今日もいい1日を