眠る前の10分のシアワセ

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き〜んと空気が冷えた朝。
冬の低い朝の光はきれいですね。
ワタクシ、朝のウォーキングから戻り、ちょっとヨガをして洗濯して
今パソコンの前に座っています。

 

1週間ほど、ず〜っと家にこもって、おへその原稿づけの日々を送っておりました。
やっと昨日ほぼ入稿を終え、まだ少し残ってはいるものの、出口の光が見えてきた状況です。
今回も全力投球! 来年1月末の「おへそ」、皆様どうぞお楽しみに〜!

 

爽やかな朝なのに、夜の写真で失礼します。
どんなに原稿を書いて夜遅くなっても、疲れていても、本を読まないと眠れません。
起きている時間ほぼ全て、活字を追っているのに……。
多分、本の世界に入ることで、一度現実をシャットアウトし、別世界へ行けるからだと思います。

 

そして、いよいよ眠くなって、(1ページぐらいですぐ眠くなります 笑)
ランプをパチンと消して、眠るとき、
「あ〜、今日も原稿かけたし、好きな仕事ができて、ご飯も美味しく食べて、
湯たんぽはぬくぬくだし、幸せだよな〜」
って思うのです。

実は、これは私にとって大きな変化です!!

私のブログをずっと読んでくださっている方は、
私が心配性で、悲観主義者(ペシミスト)で、「ペシミッコクラブ」会員だということを
ご存知だと思います。

少し前まで、パチンとランプを消したら
「あ〜、今日あんなこと言っちゃったけど悪かったかなあ〜」とか
「今は、おへそがあって幸せだけど、いつまで続けられるかわかんないしな〜」
「もし、おへそがなくなったらどうしようかなあ」
「おへそにかかりっきりの間、他の仕事ができなくて、みんなに忘れられたらどうしよう?」

とひたすら不安のループをぐるぐる描き、
「あ〜、いつになったらこの不安から抜け出せるんだろう?』
と思いながら、布団をかぶって眠っていたのでした。

 

どうして変わったのか……?
自分でもよくわからないのです。
何か大事件が起こって、価値観がくるりと変わったというわけではありません。
ごく、自然に気が付いたら変わっていた……。

たぶん、私は「不安がる」ことに疲れてしまったのだと思います。
そして、50歳を過ぎて、今まで生きていた年月より、これからの年月の方が短い!
という驚愕の事実を感じるようになって、
「不安がってるともったいない!」
と思ったのかもしれません。
寝る前のひと時は、不安がっても、「幸せだなあ」と思っても、
同じように流れていきます。
だったら、「幸せだなあ〜」と思った方が、ぐっすりハッピーに眠れる……。

 

そして、「ペシミッコ」から、片足が少し抜けたところで、
かつての私を思い返してみると、
「あれは、言い訳だったんじゃなかろうか?」と思うのです。
不安ということは、「今」に満足していないってこと。
それは、裏を返せば
「私のいるところはココじゃない」って思っているってこと。
いつか、もっと安定して、もっと充実して、もっと幸せな場所に
行けるはず、
と思っているってこと……。

自分に自信がないと言いながら、
実は、「私は本来はもっといいステージに行けるはず」と思っていた……。
それが、今を悲観する、というペシミッコの正体だったかもと思うのです。

そして、「幸せだな〜」ということが怖かった。
もしかしたら、明日足元がガラガラ崩れるかもしれない……。
だったら、「幸せ」だなんて言ったら、その落差に絶望するかもしれない……。

 

あ〜、なんて面倒くさいヤツだったんでしょう!笑

 

歳をとるっていいこともあるもんです。
あれこれ思い悩む体力がなくなってきて、あっけらかんと生きれるようになる……。
もしかしたら、また不安な夜が巡ってくるかもしれないけれど、
今のところ、
あ〜、幸せだな〜と
ランプを消して寝る1日の終わりを、ゆっくりたっぷり味わいたいと思うこの頃です。

 

 

 

 

 

 


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