父の終活をどう受け止めていいのかわからなくて……。

東京の今朝はぐんと冷え込んで、やっと冬がやってきた、という感じです。
少し寝坊をして、いつもより15分ほど遅く家を出たら
こんなきれいな朝焼けと出会えました。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

昨日のこと。
父からなにやら郵便が届きました。
開けてみるとこれ。

父がず〜〜〜っと以前に買って、あまり使っていないというカルティエの財布でした。
電話をしてみると、
「もう使わないし、のりこにやるわ」
とのこと。
さらに、さらに……。
「もうひとつ、同じカルティエのメガネケースもあってな。それもやるわ」
そして、そして……。
「ロレックスの腕時計もな、もう少し先でやるわ」
と大盤振る舞い!

実は、父の兄貴分だった知り合いが、
今年の2月に96歳で亡くなっていたことが、つい先日わかり
父は大層残念がっていたのでした。
高齢だったこともあり、家族でひっそり見送ったのだと言います。
父はきっと、今度は自分の番だ、と思ったのだと思います。

母に電話を代わると
「とにかくこのごろ、急に終活に拍車がかかったのよ」と……。

今までも、少しずつ身の回りのものを整理している風だった父。
こんな風に、どんどん「あれもやるわ」「これもやるわ」と言われると
「わあ、ありがとう〜」といいながら、どう受け止めたらいいかわからなくなります。

自分の死を前提にして行動するって
いったいどんな心持ちなのだろう?と、
どう捉えたらいいのか、どう考えたらいいのか、わからなくなってしまいます……。

人はあと数年先に死がやってくる、という状況になったとき
いったいどんな気持ちになるんだろう……。

さっぱりわからないから、今は
いろんなものをありがたく受け取ることしかできないなあと思っています。

もうひとつ……。
父のコートと母の杖」を出して、
父と母がこの1冊を読んで、いったい何を思うだろう?
とずっとドキドキしていました。

その心配のひとつが
「親に甘えられない問題」と題した1本のエッセイでした。
そこにはこんなふうに書きました。

「私には母に抱っこしてもらった、という記憶があまりない。(中略)
幼稚園や小学生など、記憶が残る年齢になってから
母に抱きついたり、抱きしめてもらった覚えがないのだ。(中略)
子供と同じ目線に立つことが苦手で、母はいつも大人のままだった。
幼い頃は、それがちょっと寂しかった気がする」

その後、私は母の愛情を十分に感じたエピソードを綴ってはいるのだけれど、
こう書いたことを、母がどう感じるか心配でした。

すると……。
先日母が急にこのことについて語り出したのです。

「あの、子供の頃甘えられなかったって書いてあったところあったでしょう?
あそこね、ああ、私とおんなじだって思ったのよ」
と言います。

え?どういうこと?と聞いてみると……。

父方の祖母と同居だった我が家。
私が幼い頃、祖母はそれはそれは私を可愛がってくれました。
私も自分がおばあちゃん子だったなあと思っています。
母は、私の世話を預けることで、お姑さんの機嫌がよくなる。
だったら、のりこはおばあちゃんに、
母は妹の世話をしよう、と考えたそう。

そして、その状況は、母自身が育った環境と同じでした。
母もまたおばあちゃん子で、自身の母(私の母方の祖母)に
甘えられなかったと感じていたのだと言います。

「だからね、同じだなあと思って」と母。

この話を聞いて、私は思わず
「その話を聞けて、私、この本を書いてよかったって今思ったよ」
とぽろりと言っていました。

親にどう育てられ、それをどう感じているか。
それを親子で話し合う機会はあまりないように思います。
そのことを、ほんの数分の電話の会話だけだったけれど、
私は母と話せて、本当によかったなあと思ったのでした。

もし、「父のコートと母の杖」を読んでいただいて、
みなさんのご両親と、今まで語ってこなかった何かを話すきっかけに
していただいたら嬉しいなあと思っています。

幼い頃のワタシ

 

さて!
父のコートと母の杖」のトークイベントを
大阪と広島で開催します!

親の老いとどう向き合うか?
親と出会い直すってどういうことか?
そして、親の姿から、自分の老いをどう考えるか?

そんなお話ができればと考えています。
お近くの方、よかったらご参加くださいね。

12月7日(土)
14:00~15:00
広島蔦屋書店

12月8日(日)
14:00~15:30
MARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店
*こちらは、会場参加、オンライン参加(アーカイブ配信あり)

*イベントの詳細や、チケットの購入については、各書店さんのHPの「イベント」欄をご覧ください。

みなさま今日もいい1日を〜

 


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