遅めの夏休みで、夫と一緒に旅に来ています。
大きなお寺に行ったり、
博物館を訪ねたり。
そして
海沿いの昔ながらの風情を残す街にある
古民家を改装した宿にやってきました。
それにしてもあっつい!
秋の旅のつもりだったのに、真夏の旅になりました。
いつもの通り、
交通手段も、宿も、巡る先もすべて夫任せ。
私はついてきただけです。
以前は、任せているのに
「ここの宿が気に入らん」とか「この店はイマイチ」
など、小さな文句をあれこれ言っていましたが、
今は、ほとんど言わなくなりました。
どんなところでも、一緒に旅に来れるだけでラッキー!
旅に出ると、なぜか両親のことを思い出します。
こんな店は母が喜ぶだろうなあとか
父はこんな鉄道が好きだろうなあとか。
以前は出かけることが大好きだったのに、
父が80代後半になってから、
出かけると疲れるらしく、ぴたりとどこかへ行きたいとは
言わなくなりました。
かつては、私が「ノリコツーリズム」と名乗り
九州や北海道周遊の旅を企画して、
旅や飛行機などの手配をし、
両親を連れて出かけたものです。
あの時、行っておいてよかったなあと思います。
この時のくだりは、今度11月に出すエッセイ「父のコートと母の杖」にもチラリと書きました。
夫とご飯を食べながら
「あと何年ぐらい、こうして旅に出れるかねえ?」
と話をしました。
「あと長くて30年ぐらいしか生きらんし」という夫の言葉を聞いてどきりとしました。
30年か〜って……。
若い頃、旅に出れば、
次はどこへ行こう? 今度はあそこへ行きたい!
など呑気に考えていたもの。
時間は永遠にあるような気がしていたし、
「終わり」があるなんて、考えてもいませんでした。
でも、どんな人でも「次」が来るかどうかはわからない……。
そう考えると、
この旅のひとときが、とても尊い時間だと思えてきます。
たぶん、普通の日々だって本当はそうなのでしょうね……。
ただ、忙しさにかまけて、そう感じられていないだけ。
日常から一歩外に出ると
今まで続いてきた時間と、今と、これから続く時間を、
俯瞰で見られるような気がします。
それが、旅に出る一番の良さなのかも。
一棟貸しの宿には、キッチンがついていて、
コーヒーミルとコーヒー豆が用意されていました。
BOSEのスピーカーがあって、
携帯と繋げて、音楽を流し、
ミルで豆をガリガリ挽いて、夫がコーヒーを淹れてくれました。
こんなことだけで満足!
halの後藤由紀子さんが、「私は幸せ袋が小さいからすぐにいっぱいになるの」
とおっしゃっていたけれど、
欲張りの私は、ずっと大きな袋を引きずって歩いてきたんだよなあ〜。笑
これから、その袋をちょっとずつ小さくしていきたいなあと思います。
皆さんは、どんな旅をされますか?
今日もいい1日を!