「500年の学校」って? 価値観の枠の外に出て、ふわりと漂ってみる。

新緑がもりもりと育って美しいこのごろです。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

昨日は、東京町田の簗田寺(りょうでんじ)というお寺に行ってまいりました。
ここで「500年の学校」という取り組みが始まることになり、
そのプレスデーにご招待いただいたのでした。

個人の個性と感性を育み尊重することが、社会の豊かさに繋がると信じて
北欧で作られた人生の学校「フォルケホイスコーレ」をモデルに、
町田の自然豊かなお寺でマザーディクショナリーが提案する、
人生の寄り道と自分自身を見つめる時間、を核にした取り組みなのだとか。

わあ、面白そうだなあ〜と申し込んだものの、
朝、車で向かっている最中に気が重くなってきていました。

そうだ、実は私はこうしたイベントに参加するのが苦手だった……。
何をするのかもわからない。
誰がくるのかもわからない。
初めての人と会って、ワークショップ的なことをする……。
そういうことが、とても苦手……。

でも、先日もここに書いたように
「わかること」だけでなく、「わからないこと」の中に身を置いて
そこで、自分が何を感じるかを観察してみよう!
と思っているこのごろ。

さわやかに晴れた空を見つめて運転しながら、
す〜は〜と深呼吸をして、
そうだ! 何が起こっても、受け止めればいいだけ……。
と自分に言い聞かせました。

きっと、私は「すぐに結果が出ないこと」が苦手なのです。
何が始まったら、自分はどう行動すればいいかを判断し、
正解へとひた走る……。
そんな時間ばかりを過ごしてきた結果、
「何が起こるだろう?」
とじっと待って、観察してみる……という時間に、
お尻がもぞもぞするようになってしまいました。
ああ、いかんいかん!
逃げて帰りたくなるのを抑えながら、お寺へと到着したのでした。

裏に里山が広がるそのお寺は、風が抜けてとても気持ちいい空間でした。
まずは、みんなで散策を。
植物のこと、山のこと、などのお話を伺いました。

この簗田寺というお寺。
とても面白いのです。
敷地内に精進料理の食堂や宿坊、コーヒーの焙煎所や花屋さん、
そして、お香作りを体験できる「まとい」という調香所もあります。

副住職、齋藤紘良さんがしてくださったお話が、胸に響きました。
調香所「まとい」の中の壁には、
大きな「書」がかけられています。
書いてあるのは
「知足安分」という文字。

「足る」ということを知れば、「安らか」ということがわかる……。

ものごとを「わかる」ためにはエネルギーが必要です。
「足らない」と思って、もっともっと知りたい、わかりたいと思えば
どんどんエネルギーを消費し、心が乱れていきます。
でも、本当は目の前にすべてがそろっている……。

このお寺では、森の「手入れ会」というイベントを開いているそう。
みんなで鎌を持って下草を刈る……。
すると、土が見えるようになり、土の中で微生物の活動が盛んになり、土がふかふかになるのだとか。
そうすると、木々の根がしっかり張り、
雨が降っても、表面を滑るだけでなく、しっかり土の中に染み込み、
いい循環が生まれます。

こうやって時間をかけて築いていくことが大事……。
そのためには「時を確保する」ことが大事……。

ただ黙々と下草を刈る……。
そんな状態のことを、
紘良さんは「価値をはずし、ただ漂っている状態」
とおっしゃいました。
そして
「かぐわってくるものに触れて体感することから始めましょう」と……。

あれ?
これ、来る最中、私が車の中で感じたこととおんなじ!

ずっと何者かにならなくちゃいけないと走り続けてきたけれど、
ずっと「いい文章を書かなくちゃ」と焦り、
「書けなくなったらどうしよう?」と不安になっていたけれど、
そんなすべての枠組みから抜け出して、
ふわりふわりと漂っていていいんだ……。

それが、昨日この「500年の学校」のプレプログラムに参加して感じたことでした。

最後は精進カレーをいただいて、心も体も元気になりました。

心がほどけ、ひらいていく。
人生の中の「余白の時間」を味わい、
心の寄り道をしながら、わたしたちの「今、この時」を捉え直す取り組み。
それが「500年の学校」なのだそうです。

11月から1年間のプログラムが始まるそうですが、
6月30日、7月28日には、体験会も開催されるそう。

ご興味のある方はぜひ、余白の時間を味わいに行ってみてください。
みなさま、今日もいい1日を〜。

一田憲子ブログ「日々のこと」一覧へ