新幹線で異次元の扉を開ける

昨日は寒かったですね〜。
今日も朝起きたら、我が家は5度でした……。
でも、冬の寒さってこうじゃなくちゃなあとも思います。
コートの前を閉じながら、ぎゅっと体を縮める……。
そんな寒さが少なくなっていることに、ちょっと不安も感じていたので。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
昨日は、日帰りで関西出張。
午後からの打ち合わせだったので、比較的ゆっくり朝の新幹線に乗りました。

かつて、親の大反対を押し切って上京して、
その結果
自分が生活している東京と、若い頃に過ごした兵庫県の環境が別世界のようにがらりと変わったので、
ずいぶん長い間、
新幹線で関西に帰るとき、
途中で異次元への扉があるように感じていました。
東京と大阪が地続きで繋がっていることが信じられなくて……。

今、ふと気づくと、その扉はなくなっていて、
当たり前のように月に何回か新幹線に乗って行き来するようになりました。
そして、関西で暮らした年数より、東京で暮らす年数の方が多くなりました。

ホームが寒くてたまらず、待合室へ。

 

25歳で上京するとき、
数人の友達と母が新大阪の駅に見送りにきてくれました。
優等生だった私が、自分の道を行くと初めて自分で決め、
決められたレールを、初めて外れた瞬間でした。

いよいよ東京行きの新幹線がホームに入ってきたとき、
突然母が泣き出しました。
それまで、私は母が泣いた姿を見たことは、祖母が亡くなったとき1回だけ。
そんな母の涙を見て、
これからの未来に胸を膨らませていた私も、号泣……。

その時、初めて私は、
親に愛情を持って育てられたことを知ったのでした。
若かったなあ〜。
そんなこともわからないほど……。

今でもあの日のシーンを思い浮かべると涙が出ます。

そして、母にあんな思いをさせてまで自分の思いを押し通したのだから……。
という思いが、その後の私を支えてくれました。

打ち合わせ前においしいにしん蕎麦をいただきました。

あれから30年以上がたち、
私はあの時ホームで泣いていた母の年齢を超えてしまいました。
今は、すっかり小さくなった母のことが心配で、
実家に手伝いに帰るように。
30年以上の月日をかけて、
私は東京と関西の扉を開けて、ふたつの空間を繋ぎ直したのかもしれません。

あと、どれぐらいの時間が残されているかはわからないけれど、
今は、帰る実家があることをとても幸せに思います。

打ち合わせを終えて帰ってきたら、夜8時すぎ。
夫がチゲ鍋を作って待っていてくれました。
やるやん!笑

みなさま、今日もいい1日を。


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