父の背中

これは、木蓮より小さいからコブシでしょうか?
実家から近所の駅までの道で
ぷっくりとしたつぼみが膨らみ始めていました。

能登の被害の様子を見るたびに何かできることはないかと
寄付先をあれこれ調べています。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

いよいよ今日、東京に戻ります。
昨日は、いつも実家から帰る前に作る
恒例のカレーづくり。
30分以上、たまねぎを炒め
父は「いい匂いやのお〜」と鼻をくんくんさせておりました(笑)。

昨日に続き、またちょっと若い頃の思い出を………。

植物が好きな母が育てているブーゲンビリアが咲き、大喜びしております。

若い頃、私は父が大嫌いでした。
権威主義で、上から目線。
いい学校を出ていい会社に勤め、いいところにお嫁に行く、
というのが父の望み。
「人からどう見られるか」
が判断の基準で、
私の優等生体質は、そんな家庭で着々と育まれたのだなあと思います。

「どうして勉強しなくちゃいけないの?」
という中学生の頃の無垢な私の質問にも
「勉強しないなら、出ていけ〜!」と言い放ち
子供の心をまったくわかってくれませんでした。

海外出張や単身赴任が多くて
家にあまりいなかったせいもあり、
私は父に「あのおもちゃ買って〜」と
甘えることもできませんでした。

そんな父と離れたくて、
私は大反対を押し切って家を出て、結婚しました。

今はアイロンかけが父の役割

でも、やっぱりうまくいかなくて、
リコンしたとき、
「それみたことか!」と言われることを覚悟して
実家に電話したとき、
「よお〜!がんばれよ〜」
という父の声を聞いたとたん、私は号泣したのでした。

どんなに考えや価値観が違っても、
私がピンチのときには、必ず味方になってくれる……。
親という存在のありがたさに、私はそのときやっと気づきました。

母のプチ介護のときに、
家を出て以来初めて、長期間父とふたりで暮らしたとき
父が企業戦士として働いていた頃の話を
あれこれしてくれました。

高度経済成長の中、英語を学び
海外の技術を取り入れられるよう交渉し、
成果を上げたものの、
社内の人間関係に悩み……。

それは、まさにあのNHKのかつてのドキュメンタリー番組
「プロジェクトX 」で見たような
波乱万丈の物語でした。

あの「だいっきらい!」と私が思っていた時期に
父は外で戦っていたのだなあと知りました。

今、父はあの頃の話を何度も何度も
100回ぐらい繰り返してしています。
「へ〜」「ふ〜ん」と聞くことが、
今の私のいちばんの親孝行なのかもしれないなあと思います。

私が子供の頃一緒に寝ていたぬいぐるみ

今、私はときおり
あの大嫌いだった父の大嫌いな部分と同じことを
自分の中に発見してハッとすることがあります。

見栄張りだったり、
人の目を気にしたり、
いばりんぼだったり、
マウントをとりたくなったり……。

「いかん、いかん! 気をつけなくちゃ」
と思いながらも
「ま、パパの娘だもんね……」
と自分の中の血を再確認しながらにんまりしたり……。

親に植え付けられた価値観を塗り替え続けるのが
子供というものの役割なのかもしれません。

さあ、東京に帰ります。
今日も実家の窓からは美しい朝焼け。
自宅に戻れるのでほっとする反面、なんだかちょっと寂しい朝です。

みなさま、今日もいい1日を。

 

 

 

 


一田憲子ブログ「日々のこと」一覧へ