
あっという間に三が日が終わりました。
被災された方々の状況に胸が痛みます。
物資がまだまだ届いていないとニュースで読みました。
1日でも早く、せめて暖かい場所での眠りと、
きちんと食べる生活が戻りますように……。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
今日から仕事始めという方も多いのでしょうね。
私はまだ実家にいて、
リビングでパソコンに向かっています。
マンションの4階にある実家からは、
毎朝、東の空から朝日が昇る姿が見えます。
夕方には、西の空が染まる様子が見え、
マンションって、空が広いのがいいですよね。
年末から年始にかけて、
何をする、という特別なことはなく
ただ、淡々と毎日ご飯の準備を手伝い、
掃除を手伝い、洗濯物を干したり取り入れるのを手伝って、
過ごしています。
いつもは、母ひとりでやっていることなのに
つい横にいると見ていられなくて、
「いいよ、いいよ、私がやるから」
と手を出してしまいます。
ああ、こんな不自由な思いをして、重たいものを動かしていたんだなあ
と思うと、胸が痛くなり、
一緒に暮らしていれば、いつも手伝ってあげれるのになあと
思う反面、
ずっとだったら、きっとしんどくなるのだろうなあとか、
大変だけれど、母が自分でやることで、
それがリハビリ代わりになっているのだろうなあと思ったり。
複雑な思いを胸に、
「まあ、お正月だけはせめてラクをして」と
静かだけれど、意外に忙しい日々を送っています。
私はこの家に25歳までいて、
その後、上京したのでした。
今日はちょっと、この家で暮らしていた頃のことを
書いてみようかと思います。

母が重たい荷物を自分ひとりで動かせるよう、昨日「無印良品」でキャスターつきのボードを買ってきました。
若い頃、私は「最後のひとふんばり」ができない子でした。
中学受験の時には、
大学附属の男女共学の学校に行きたなかったのに、
受験勉強がつらくて、成績が伸び悩み、
結局、私立の女子校に行きました。
中、高と女子校で過ごしたことは、
ちょっと物足りないような、
でも、カトリック系の学校で、
静かに自分と向き合うことを教えてもらってよかったような。
小学校の時の担任の先生に憧れ
小学校の先生になりたいと、
国立大学の教育学部に行きたかったのだけれど、
ここでもまた最後のふんばりが効かず、
当時の共通一次試験の成績が思わしくないと、
とっとと諦めて、
私立の女子大の文学部に行ったのでした。
就職の際も、本当は出版関係の会社に行きたかったのに
関西には当時ほとんど出版社がなく、
業界のことがまったくわからなかったので、
ここでも、また諦めて
親のすすめで商社に就職しました。
バブリーな時代で、
ワンレンボディコンで会社に通い、
終わったらディスコに行ったり、飲みに行ったり。
それなりに楽しかったけれど、
常に「何かが違う」と思っていたなあ。

取り寄せた、りんごとみかんの箱も、す〜っと動くようになりました。
こうして、「最後のひとふんばり」をしないまま生きてきて、
本当の最後の最後に大爆発!
親の大反対を押し切って上京。
編集プロダクション勤務を経て、フリーライターとなり、
やっと、「自分の責任は自分でとる」
と腹を括って生きることになりました。
あんなに反対を押し切って家を出たのだから、
もう戻れない。
この道は自分で選んだのだから。
そんな思いだけが、
不安なときも、稼げないときも、私を支えてくれたように思います。
今、実家のリビングに座って、
窓の外を眺めていると、
あの時、そのままこの関西でずっと暮らしていたら、
どうなっていたのかなあと思います。
これから私は人生最後の「ひとふんばり」の時期に
差し掛かっているのかもしれません。
最後の最後の「ひとふんばり」は、
無理をしないで、楽しく愉快に過ごす方向へ
エンジンをふかしたいなあ。
きっと私が若い頃は、
自分を使い切っていなかったのだなあと思います。
これからの「ひとふんばり」は、
頑張ることではなく、
自分が自分らしく、自分を使えるように……。
お正月は、そんな過去の自分と対話してみる
いい機会なのかもしれませんね。
みなさんは、若き頃のご自身とどんなおしゃべりをされるでしょうか?
今日もいい1日を。