母のマイルール

昨日の地震、兵庫県の実家でもかなり揺れてびっくりしました。
毎日両親たちは、4時頃に少しお昼寝をします。
父はベッドルームで、母は和室にお昼寝用マットを敷いて。
私もソファでブランケットをかけて
少し寝転がっておりました。
そんなときにグラグラと揺れ始め、飛び起きました。

輪島など、被害がひどかった地域のみなさま、
心よりお見舞い申し上げます。

阪神淡路大震災のとき、私はすでに東京におりました。
実家のマンションは、家具が倒れ、
リビングの飾り棚にいれていたウイスキーの瓶が割れて
家中にウイスキーの匂いがしていたそうです。
寝室からリビングへの扉の横の納戸から荷物が溢れてて
扉が開かなくなり、扉のガラスを割って開けたそう。
我が家はマンションの4階で、隣の棟に渡る橋があったのですが、
母が玄関ドアを開けると、橋がくずれ落ちていたのだとか。
ちょうど、その頃父が足の骨を折って入院していたので、
ガスが出ない自宅を出て、
母は病院の父の部屋に寝泊まりしていました。

そんな被災時の話をしながら、昨夜は過ごしました。
あの地震は、もう今から29年も前になるのですね。
母は、今の私の年齢よりも若く、50歳になったばかりということです。
あの年齢だったからまだ動けたけれど、
80代と90代になった今、
あんなことが起こったらどうするだろうか……
と、テレビで白髪のお母様を背負って避難する
方の姿を見ながら胸が痛くなりました。

年末に戻ってから、私はベランダに置いてある箱から
重たいりんごを出してきたり、
母がつけた千枚漬けの、重しをしたボウルを運んだり、
食事の後の洗い物をしたり……
と力仕事と立ち仕事を中心に母の手伝いをしています。

それでも、私が手伝えない仕事もあります。
それが母のマイルール。
母は杖をつきながら、部屋のあちこちを移動するので
「そんなことまでしなくていいやん!」と思うこともたくさん。
それでも
「こうなっていないと気持ち悪いんよ」とおっしゃる。

たとえば、一番上の写真は、ソファの上の座布団です。
(ソファの上になぜ、座布団を敷くのか疑問ですが。笑)
そのカバーに、ブラシをかけるのが日課。
座ってすれると、白い毛玉のようなものができるからなのだそう。

ベッドルームは、以前はベッドカバーをかけていたけれど、
重たいカバーを持ち上げられなくなったので、
今はそれをあきらめて、布団をピシッとそろえます。
私が、真似をして整えたら、ダメ出しをくらって、
母が自分でやり直しておりました。
その方法が上の写真。
寝たままの状態で布団を整えると、
掛け布団の端から毛布が見えてしまいます。
そこで、下の毛布の端っこをこうやって折ってから
かけ布団を整えると、
その上の写真のようにすっきり見えるそう。

いやはや、我が母ながら、その細やかさにびっくりです。


やかんは、毎日中まで洗って……。
どうやら、どんなに頑張っても
私は力仕事以外は、母に叶いそうにありません。

「ずっと専業主婦だったからね。
家のことをきれいにするしか、仕事がなかったのよ」と母。

それでも、そんな家の仕事を完璧にすることに誇りを持ち、
「どこか」ではなく、「ここ」に
自分がすべきことがある、と考えたところが
エライなあと思います。

私には私の暮らしがあって、
時折実家に戻って、
まだ知らなかった母のマイルールに驚くことができる……。
そんなことを、幸せだなあと思います。

被災された方が、少しでも早く、暖かく安全な日を取り戻せますように。

みなさま、今日もいい1日を。


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