1冊の本にじっくり向き合う自分になれるように……。

今日の東京の空は朝からグレーの暑い雲に覆われています。
カサコソ落ち葉の音を聴きながら、歩いてきました。

上の写真は数日前のもの。
お日様の光って、本当にありがたいですね〜。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

私は今、次号の「暮らしのおへそ」の原稿執筆の山場を迎えております。
毎日朝起きてからず〜〜っとパソコンの前で原稿を書く日々。
この1週間はほぼ、どこにも出掛けていません。

起きて、ウォーキングに行って、掃除をして、原稿を書いて、
朝ドラを見ながらフルーツ食べて、また原稿を書いて
お昼ご飯を食べ、原稿を書く。
外に出るのは、近所のスーパーに行くときだけです。

ずっと家の中で淡々と過ごしていると、
毎日ほとんど刺激がありません。
すると、原稿の締め切りのプレッシャーはあるものの、
少しずつ心が穏やかになって、
毎日を眺める目の粒子が、少しずつ細かくなってくるような感じがします。

夫がいない日の夕食は、大根とたまねぎを豚バラ肉で巻いて焼いたものと、小松菜の炒め物。そして、いただきものの肉まん!

そして、改めて思ったのでした。
ず〜っと、外に出掛けて行って、何かを得て、成長しなくちゃ面白くない!
って思っていたけれど、
この生活の中で、さつまいもを蒸しておやつにしたり、
庭の花を生けてみたり、
みずみずしいりんごを齧って、「おいし〜!」と感動したり。
そんなちょっとしたことでも、ずいぶん楽しいんだよなって。
今まで、ず〜っと外に探しに行っていたけれど、
そろそろ、身の回りのものをあれこれ組み合わせて、
自分で自分を面白がらせる術を、身につけてもいいお年頃なのかなって……。

そんなとき、先日ご紹介した、島田潤一郎さんの本「電車の中で本を読む」で
紹介されていた、早坂大輔さんの書かれた「ぼくにはこれしかなかった」(木楽舎)を読みました。

いやあ〜、面白かったなあ。
この本は、盛岡で早坂さんがサラリーマンを辞め、
ご自身の本屋「BOOK NERD」をオープンするまでを綴られたものです。

しかも、ものすご〜く正直に。
どうして、サラリーマンがイヤになったのか。
「ただ、なんとなく生きてきた」こと。
小さな会社を起業してみたけれど、うまくいかなったこと。
本が大好きだけれど、どうしたら本を売って食べていけるかわからなかったこと。
そして、ニューヨークに古本を買い付けにいき、本屋をオープンするまでのエピソード。

惜しみなく自分の経験を書き切る、
ということは、こういうことなんだなあと思いました。

特に、本が読まれなくなったこの時代に、
本の価値を再確認する心のプロセスに、胸を打たれました。

人類が長きにわたり、みずから体得した叡智や授かった教えを、
言葉によって語り継いできたものがいまアーカイブとしてすべて閲覧できる。
そんな時代にぼくたちは生きている。それなのにぼくらの大半は
インターネットで検索した表層の情報だけで知った気になり、満足してしまう。
そこに深い森が、大きな海原がひろがっているのにもかかわらず、だ。

ぼくが小さな地方都市で資本力もコネもない本屋をはじめるにあって
提供しようと考えた付加価値はあの物語性だ。
一冊の本に宿したひとりの人間の思い。
ほうぼうを駆けずり回って見つけた本の持つ、不思議な磁力。
無数に並んだ無味乾燥な商品の群れにはない、
血の通ったモノだけが持つ、人間性のようなもの。
ぼくの本屋にはそうした本だけを並べようと本気で考えていた。

自分の本も、ヌーテルさんの「おじさん」と一緒に飾ってみました。

 

先日もここに書いたけれど、
インスタの乗っ取り事件以来、いろんなことが、
「もっとゆっくり」
「時間をかけて」
「欲張りにならずに」
と私に告げてくれているような気がしています。

なんでもネットで調べられるけれど、
知ったつもりにならないように。
ゆっくり1冊の本と向き合う時間を味わえるように。
1日出掛けず家にいて、
少しずつ変わる日の光の方向を楽しめるように。
縁側のかごの中の、みかんのツヤツヤ具合に、微笑むことができるように。

そんな本来の暮らしのスピードを、もう一度取り戻してみようか……
と考える今日このごろです。

みなさま、今日もいい1日を。

 


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