「あること」が当たり前になっている便利さ

三連休が終わってしまいましたね。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

写真は連休前に届いた養生ゼリー。
酵素シロップを広めていらっしゃる杉本雅代さんのオンラインショップで買いました。
梨と黒豆がはいっていて、ゼリーはレモングラスやカモミールなどのさわやかな香り。
酵素シロップの優しい甘さでおいしかったなあ〜。

残念ながらもう売り切れですが、来年またいただきたいなあと思っています。

 

さて……。
先日ポッドキャストで、哲学者で経済学者の斎藤幸平さんのインタビューを聞きました。
私はこのとき斎藤さんのことを初めて知ったのですが、
「気候変動を食い止めるには、もう悠長なことは言っていられない。ときには劇薬が必要だ」と……。

巷ではエコバッグが盛んに売られているけれど、
本当にあれだけの種類や量が必要なのか?
大量に作って大量に消費する経済から「買わない」という「劇薬的チェンジ」がないと、
気候変動は食い止められない……。

そんなお話から始まっていました。

お恥ずかしながら、気候変動や自然環境について、まだまだ意識が低いワタクシ……。
でも、その中で心にひっかかった言葉がありました。

それが、「そんなに必要?」ってこと。
たとえば、コンビニは24時間営業が当たり前になっているけれど、そんなに必要?ってこと。
コロナ禍になった頃から、少しずつ24時間営業でない店舗も出てきましたよね。

私たちの生活の中で、この「コンビニ的存在」のものがたくさんあるよなあと思ったのでした。

 

養生ゼリー、こんな素敵なパッケージでした。

 

これがあった方がもっと便利。
これもあった方が、もっと素敵。
若い頃から、ずっとそうやって何かを追いかけ続けてきたけれど、
実は、それって本当は必要なかったのかも?

「あること」が当たり前になっている便利さでも、
たとえば、コンビニは、たまたま朝イチの飛行機で出張に行くとき、
朝4時や5時に利用したり、
夜中にどうしてもコピーしなくちゃいけないことが出てくるのは、年に1〜2回だけ、だったりします。

あった方がいざというときに安心……。
というだけで持ち続けているものが、たくさんあるのかも?

人生後半、暮らしをひとまわり小さくしたい。
そう思っていたけれど、
単に物理的にものを減らすだけでなく、
当たり前に便利、必要、と思っていた意識を
ちょっと変えてみるのもいいのかもなあ
と思ったのでした。

 

連休後半、出張で広島に1泊で行ってきました。
1泊でも、職業柄、パソコンを持ってでかけます。
リュックに着替え用のシャツを1枚、下着をワンセット、化粧品類。
これでパソコンがなければ、ずいぶん荷物が軽くなります。

「パソコンがなくちゃダメ」という思い込みも、もしかしたら
なかったらなかったでどうにかなるのかもなあ〜。
そうしたら、もっと身軽にホイホイ歩けたかもなあ。

「当たり前」が何なのか、気づくってなかなか難しいもの。
でも……。
それさえ気づけば、軽やかに暮らしていけるのかも?
そう思うと、身の回りをキョロキョロ見渡して、
実はいらなかったものを探してみてくなりました。

 

 

みなさま、今日もいい1日を。


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