「違い」の奥底には、「おんなじこと」が眠っていた!

先日、淡路島に行ったときに咲いていたかわいい花。

昨日の東京は、雨が降ったり、突風が吹いたり。
電車があちこちで遅れていました。
みなさまのところは、大丈夫だったでしょうか?

私は、イベント続きで、その合間に取材やら打ち合わせやらがぎゅっと詰まり、
バタバタ過ごしております。
今日、札幌出発なのに、まだ荷造りもしていない……。大丈夫か!? 笑


さて……。
そんな中、土門蘭さんの「死ぬまで生きる日記」(生きのびるブックス刊)を読みました。
いやあ〜。いい本だったなあ〜。
実は、読み始めたとき、「あれ? 間違えちゃったかな……」と思ったのです。

というのも
土門さんは、10歳になるころから、特別な理由はないけれど、
何かの拍子にふと「死にたいな」と思ってきた……と書いてあったから。

私は「死にたい」って考えたこともなかったし、
これは、そんな風に思う人の本なのかな? だったら私には関係ないのかな?
と思ってしまったのです。

この本は、そんな土門さんが、カウンセラーさんと対話しながら
ままならないご自身を見つめた、2年間の記録です。

でも、読み進めるうちに、どんどん引き込まれていきました。
そこには、「死にたい」という気持ちを分解し、
何が潜んでいるのかを分析し、発見したことが、
丁寧に丁寧に綴られていました。

そして、その「分析」の中には、
「死にたいなんて思ったことがない」私も、
「そうそう、そう思ったことある!」ということが、
いっぱいあったのです。

自称ペシミッコ(ペシミスト)の私は、

『幸せ』がなくなるのが怖い。それなら最初から『幸せ』などない方がいいと思ってします。

という土門さんの言葉に、「そうそう、そうなのよ!」と頷き、
それに対するカウンセラーさんの言葉

「人間は本能的に『幸せ』に対して恐怖を感じるのだそうですよ」(中略)
「『幸せ』を失うのが怖いから、苦痛だからです」。(中略)
「『幸せ』って、『不幸』より認識しにくいんですよ」

に、「へ〜!そうなんだ!」とびっくりし……。

「不安になると不安をなくしたいと思うし、
死にたいと思うとその気持ちをなくしたいと思う」という土門さんに対し、
カウンセラーさんは、
「では『解決しようとしない』というのをやってみてはいかがでしょう?」と提案されます。

「問題ってね、『解決しよう』と思わなかったら、問題じゃなくなるんですよ」

この言葉には驚きました!

お母様との関係がうまくいかず、小さな頃から寂しかったという土門さん。
それに対してはカウンセラーさんは、こんな風に言います。

「みんな、自分の穴を埋めたくて必死なんです。
その穴を埋めてくれる他人……つまり愛情を、必死で求めています。
でもね、その穴にパズルのようにぴったりはまる愛情ってないんです。
なぜなら、人と人は違うから」

この言葉も胸にしみました……。

 

こんな風に、土門さんとカウンセラーさんのやりとりの中には、
死にたくなる人にも、死にたいなんて考えたことがない人にも、
たぶん、ポジティブな人にも、ネガティブな人にも、
共通する人間の根源のようなものが確かにある。
だから、読む人はみんな、そこに自分の心のどこかにある何かと
共鳴させて読むことができる……。

それは、きっと、土門さんがご自身の中に起こったことを、
信じられないほどの精密さで、丁寧にすくい上げられたからなんだろうなあ〜。

あの人と私は違うと諦めてしまうことは簡単です。
だから、私のことを説明したってわかりあえないって……。
でも、違いの中にも「おんなじこと」ってあるんだ!
それが、私がこの本を読んで発見したことでした。

土門さんと私はまったく違う。
でも、同じことがたくさんあった。

私は今まで文章を書くとき、みんなが「そうそう、そうだよね〜」
と思ってくれることを書こう、と思ってきました。
でも、もしかしたら、それだけじゃなかったのかも……。

みんなはそうじゃないかもしれないれど、私はこう。
そんな違いも、丁寧に丁寧に分解していけば、
多くの人とシェアできる「真実の粒子」みたいなものが静かに眠っているのかな。

「できること」の幅が、今までよりちょっと広がったようで嬉しくなりました。

死ぬまで生きる日記」(生きのびるブックス)、おすすめです。

みなさま、今日もいい1日を。
さ!荷造りしよう!

 


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