昨日5月3日は誕生日でした。
憲法記念日だから憲子……。
覚えやすいでしょ〜!(笑)
朝から原稿を書いたり、いたって普通に過ごし、
夜だけ、夫が予約をしておいてくれたフレンチビストロに食事に行きました。
プレゼントはなし。
夫の誕生日も、両親の誕生日も、プレゼント交換はやめちゃいました。
何にしようかなあ?と悩み、買い物に行き……という時間はもういいかなと……。
「ちょっとだけお祝いする」というこのスタイルが、ラクチンで定着しています。
おいしい一皿一皿をいただきながら、去年の夫の誕生日を思い出してしまいました。
その日、人間ドッグの結果が届いたのでした。
私は大腸ポリープがあり、夫も再検査が必要で……。
その日も、私が予約していた素敵なレストランで、おいしい料理を食べたのだけれど、
「これから私たちの体、どうなっちゃうんだろう?」と不安で、
「来年もこうやってお祝いできるとは、限らないんだなあ」と
心がヒリヒリしたんだったなあ〜。
そんな中で、西加奈子さんの「くもをさがす」を読了。
お子さんと夫と3人で、カナダに移り住み、そこで乳がんが見つかったという西さん。
その経験と、そこから広がる人間観察をするどく書き切った1冊でした。
異国の地で、英語もスムーズには通じず、しかもコロナ禍で……。
日本とはまったく違う医療体制で、
手術はなんと日帰り!
その中の恐れ、愛に溢れる友人たち、そして西さんのクールな分析。
「病気の体験記」というよりも、
人間ってなんだ? ということを、リアルな現実のエピソードの中で
見せてもらった気がしました。
そう、人間ってなんだ? ということを説明するのではなく、
西さんと、周りの人の姿が、「見せて」くれている、という感じだったなあ〜。
最後にこんなふうに綴られていました。
「文章を書くことは、そしてそれを発表することは、
大海に小石を投げるようなことだと、尊敬する作家が言っていた。
ささいな音だ、小さな波紋だ、
でも、自分の持っている全てを投げるのだと。
私の文章が、あなたの心でどんな音を鳴らすのか、
あなたの魂にどんな波紋を作るのかは、分からない。
それが、どれだけささいで、小さくても、
私は私のすべてを投げたい」
そうだ!
私が「見せてもらった」と感じたのは、
西さんが、「私のすべてを投げて」書いてくれたからなのかも。
「配慮の上で『書けない」こともあったし、意図して『書かない』こともあった」
と西さんは綴られていました。
「すべてを投げて」は「あからさまに」とは違う……。
人が誰かのためにできることって、
「あの人のどこにどう役立つか」と意図することじゃないんだなあと改めて思いました。
そうやって、誰かのために何ができるかと計画したって、
自分の思い通りにならないし、
自分がいいと思うことと、受け取る人がいいと思うことは一致するとは限りません。
仕事をすることも、子供を育てることも、
親の心配をすることも、
友人のために心を重ねることも、
私にできることは、「私のすべてを投げる」ことだけなんだなあ〜。
私は西さんの足元にも及ばないけれど、
そんなふうにこれからも文章を書いていければいいなあと思ったのでした。
誕生日の前に、この本に巡り会えたことに感謝します。
この本の中でもうひとつ知ったのが「Meal train」というシステムでした。
病気などでご飯が作れない人のために、
友人たちが集まって、順番にご飯を作るスケジュールを立てるしくみです。
いつか私もやってみたいなあと思います。
みなさま、今日もいい1日を。