自分の思考をかき混ぜる!

我が家の山芍薬ちゃん、4輪も咲きましたよ〜。
まんまるな蕾がぽっかり咲くと、雌蕊と雄蕊の色合いの美しいこと!
どなたかが、「神様デザイン」という言葉を使っていらっしゃるのを聞いたことがありますが、
まさにそうだなあ〜と思います。

みなさま、いかがお過ごしですか?
新緑が薫る季節。
黄砂やスギ花粉はあるけれど、ちょうど気持ちのいい気温ですね〜。

昨日は、日本近代文学館にある「BUNDAN」という素敵なカフェで打ち合わせでした。
テラス席が気持ちがいい季節って、本当に短いから、
お茶を飲み、あれこれおしゃべりしながら、風を楽しみました。

このカフェ、「ベーリング行列車の紅茶」(宮沢賢治の物語から)や、「谷崎潤一郎の炭酸水」
など、メニューのネーミングもザッツ「文壇」という感じで面白いんですよね〜。

さて……。
先日、以前「暮らしのおへそ」でも取材させていただいた、稲葉俊郎さんが、信濃毎日新聞の連載で書いて
いらっしゃった文章にハッとしました。

稲葉さんは、「健康とは問いである」
と綴っていらっしゃいます。

「〇〇すれば健康になる」のように誰かから答えが与えられるのではない。
健康とは「自分自身の体、心、魂、命と対話し続けるための『問い』」なのだと。

障害が病を得る前の自分に完全に戻ることは不可能だ。
障害や病とともに、それでも納得した生き方ができるようになることを
「回復」と呼ぶならは、それはまぎれもなく新しい自分を発見することである。

なるほど〜。
先日の入院をきっかけに、
どうして神様は、人に「病」というものを与えられるのだろう……
ととても理不尽な思いでおりました。

でも、あのとき、確かに当たり前に健康でいたときには考えもしなかった
命のこと、生きるということ、死ぬということを、たくさん考えました。

健康とは問いである……。
そう知ると、病や自分についてを、新たな視点で考えることができるなあと思ったのです。

そして、もし病を得たときも、
「それでも」と前を向いて「新たな生」を生きたなら、
そこに新しい自分を発見できる……。
体がよくなることだけが「回復」じゃない。

大きな希望を教えていただいなあと感じています。

今までと同じことなのに、
違う角度から光を当ててもらって、
思考がくるりと回転する……。
そんな体験ほどワクワクすることはないなあと思います。

健康や病気や命について、
医師の立場から、こうやって指差し、教えてくださることに本当に感謝。

私たちはつい、同じような価値観、常識、美意識を持っているもの同士で
集まりがちだけれど、
こうやって、まったく違う職種、立場の方の考えを知るって
本当に刺激的です。

人の話を聞いたり、読んだりして、
自分の思考をかき混ぜる……。
そんな体験を大事にしたいなあと思うこのごろです。

 

みなさま、今日もいい1日を

 


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