実家で、窓の桟を拭く

出張で関西へ来ています。
新大阪駅から、実家の最寄駅までのJR神戸線の車窓の風景は、
若い頃に何度も見たもの。
ずいぶん変わってしまったけれど、
それでも、あちこちに、あの頃の記憶が残っている風景って、
理屈抜きに、ほっと心を安らかにしてくれるなあと思います。

さて。
取材の1日前に実家に到着し、1日は母の手伝いを。
押入れの奥の方から冬物のパジャマを取り出したり、
寝室のカーテンを冬物にかえて、夏用を洗濯して干したり。

ああ、もっと近くに住んでいたら、
「ちょっとお願い〜」って声をかけてもらって、
すぐ駆けつけられるのになあ〜と、毎回思います。

本日の母の最後の「お願い」は、窓の外の桟を拭いてほしい、というものでした。
以前は週に一度、網戸を拭くついでに、
桟を拭いていたそうですが、
最近は、体が思うように動かず、このルーティンは泣く泣くあきらめたそう。

母の用意していた専用のシートで室内から拭いていたら、
どうしても手が届かないところがあり、
「あそこは無理だからいいよね〜」と言うと、
「外から拭いて」とおっしゃる!

そこで、マンションの廊下に椅子を出し、1本ずつ上から下まで桟を拭きました。
私一人だったら、ぜったいこんな丁寧なことしないよなあ〜と思いながら……。

体が思うように動かなくなって、
以前のように掃除は行き届かなくなったけれど、
それでも実家に帰ると、我が家よりずっと隅々まできれい!

「ちょっと動くと疲れて……」と言いながら、
どうしても気になって、やってしまう……。

「もういいじゃん」と言うのですが、母の中には「これがきれい」
という方程式が組み込まれていて、
それを満たさないと気持ちが悪いそうです。

就職経験がなく、専業主婦として60年ほど。
この家に住んでからは、40年ほど。
母は、毎週1回この窓の桟を拭き続けてきたんだなあと思うと、
すごい仕事をしてきたんだなあ感動してしまいます。

何かを成し遂げるとか、成果を出すとか、誰かに褒められるとか、
そんな「外の軸」はまったくなく、
ただただ、自分と家族が気持ちよく暮らすために、あれこれ工夫する……。

どこか遠くの、あるかないかわからないものではなく、
手を動かして、必ずきれいになる日々の営みを、自分の仕事とする。

その力強さを思うと、
ああ、シアワセってそういうことなんだよなあと思います。

人生後半、
何かを生み出すことができなくなったとき、
私もそんな母の姿を見習って、
窓の桟を拭いて、心満たされる生活を送れるようになるでしょうか?

みなさま、今日もいい1日を。


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